蜀犬 日に吠ゆ

1901-12-20

[][]十二月二十日 人生の実に多種多様な不孝は はてなブックマーク - 十二月二十日 人生の実に多種多様な不孝は - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第1部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第1部〉 (岩波文庫)

 申命記五の二五―三〇。人生の実に多種多様な不孝は、ただ人為的に蔽い隠されているにすぎない。そのようなあらゆる不孝に対して、申命記の右の言葉やそれにつづく第六章―第一一章に含まれている内容以上に、明確な助力の約束を望むことはできない。しかし、この約束が今日もなお有効で、適切であるかどうか、それはあなたがみずからためしてみることができる。ただしそれは、ある人から条件付きで約束された場合に、われわれはその人に対してその条件通りにためしてみなければならぬと同じように、神の約束をためしてみるべきであろう。そうすれば、神は条件の厳守ということを、几帳面な人がやかましく言うほどには、決して厳しく言われないことを経験するであろう。もっとも、それは、あなたの心がつねに誠実である場合にかぎるのである。しかしもちろん、完全な祝福は、これらの大昔の言葉に従ってどこまでも善い行いをした結果としてのみ与えられる。つまり、それらの神の言葉を実行することが福音なのである。すでに実に多くの人びとが、それを実行しようとした時、それ以前よりも幸福な生活に入ることができた。


 今日誤った道を歩いている人々の、少なくともかなりの部分は、決してその生来の傾向からその道にふみ入ったのではない。それ以外の道では今の世の中はとても渡れないという世間一般の考えに従っているにすぎないのだ。そういう考えに対して、すでに旧約聖書に、それと反対の明白な保証がいくつも述べられている。そしてこの保証は、われわれの知るかぎり、いまだかつてだれをも欺いたことがない。少なくともわれわれは、かなり長い間の人生経験にもとづいて(中途半端な、無気力な一時的の試みにもとづいてでなく)、自分はたしかに欺かれたと主張しうるような人に、出会ったことがない。これに反して、「世のすべての人の行く道」を歩いたために、人生の幸福を根こそぎ失った人たちの数はいまやどれだけ多いか分らない。

 マラキ書三の一三―二〇、エレミヤ書二の一三・一七・一八・一九、三の二五、八の七・一一、三二の一九・二三・三八―四二、イザヤ書四八の一八、四九の一一―一六。

 すでに旧約において、ユダヤの民に対してこのようなことがあったとすれば、われわれは一体、何のためにキリスト教徒になったのであろうか。われわれが今日(旧約の時代よりも)さらに悪い事態に置かれていなければならないのなら、なんのために「救世主」がわれわれのために生れたのであろうか。新約聖書は、これらの古い約束をより内面的に、より深く理解しただけで、それを棄てたのではない。

 マタイによる福音書五の一七―二〇。


   奇跡の信仰

 神の国に到ることを願い

 その栄(はえ)ある救いを見たい者は、

 この世の霊を軽んじ、

 神のみことばに信頼すべきだ。


 奇(くす)しくも救いに召され、

 わたしの心がゆるがないのは、ただ奇跡による。

 夜から光にいたる道は

 すべての段階が不思議にみちている。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第一部 岩波文庫