蜀犬 日に吠ゆ

1901-12-24

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眠られぬ夜のために〈第1部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第1部〉 (岩波文庫)

 ヨハネによる福音書の同じく第三章には、さらに二つの注目すべき聖句がふくまれている。第一九節*1と第二一節*2がそれである。今日でも、世の中によい教訓が欠けているわけではない。また今日でも、人びとは知性が啓発されたために神の言葉がもはや信じられないというわけでもない。むしろ彼らはその行いが神のあふれる光に堪えられないので、この光を欲しないのである。彼らがその行いをあらためようと欲するならば、この信仰もずっと容易な、あたりまえのものと感じるであろう。

 第二一節の方は、本当に真理に仕える者は、この世でのその意義や働きについて心を労する必要がない、という意味である。というのは、真理に仕えていれば、光がその人を照らしてくれるからだ。彼はもはや闇の中にとどまることができないのである。

 実際、人間というものは、その多くの欠点にもかかわらず、なにものにもまして真理を愛し、それをよろこんで聞くさとい耳を持っているものだ。今日でも、真理が世界のへんぴな片隅で語られるとしたら(例えば、当時の文明から見ても「おくれていた」し、とるにたりないユダヤやガリラヤのような土地ででも)、それはなにも宣伝しなくても、すぐにおのずから世の中に知れわたり、多くの人びとの耳に達するであろう。しかし、そのあとで、真理が適当な土地を見出して根を下すかどうかは、また別問題である。キリストはその問題をルカによる福音書八の五―一五の有名な譬えで説明していられる。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第一部 岩波文庫

*1:「そのさばきというのは、光がこの世に来たのに、人々はその行いが悪いために、光よりもやみの方を愛したことである。」

*2:「しかし真理を行っている者は光に来る。その人の行いの、神にあってなされたということが、明らかにされるためである。」