蜀犬 日に吠ゆ

1919-03-05

[][]三月五日 聖書がわれわれの歴史的な神の信仰への はてなブックマーク - 三月五日 聖書がわれわれの歴史的な神の信仰への - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 聖書がわれわれの歴史的な神の信仰への基礎となっている書物だということは、いつまでも変らないであろう。従って、この神の信仰は単なる哲学的信仰にくらべてはるかに堅固であり、そして真正の、自己の体験による、直観的信仰(要するに、これこそ究極の信仰である)のために、最もよく道をきりひらくものである。聖書はまさに、このような信仰経験にふさわしいある特定の民族における、その経験の歴史である。これについて問題があるとすれば、せいぜい、なぜこの記録はそのあと書きつがれなかったか、あるいは、このような経験の継続の一種と見なしうる書物にはどんなものがあるか、ということくらいであろう。しかし、聖書を知らない人、または聖書などなくても済むとか、何かほかのもので代用できるかと考えている人は、彼自身の宗教的確信に対して、真に堅固な基礎を保持しえないであろうことは確実である。

 聖書を知るには、ときどきくり返して全部にわたって通読するのが有益である。

 聖書のための注釈書に頼るというむだな骨折りをしないがよい。本当によい注解書は出ていないし、それは必要でもない。ただし、主として旧約聖書における純然たる歴史的記述に関するかぎり別であるが、しかしそれらは決して主要なものではない。

 聖書のなかで、何が神の霊によるものであり、何が人間の解釈や添加物であるかは、あなたがこの聖なる書を誠実に読みはじめるならば、まもなく自分でわかるであろう。そのために聖書霊感説*1だの、あるいはそれに対する批判だのに、耳をかす必要は全くない。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:聖所の各文書は神の霊感にもとづいて書かれた、すこしも誤りのないものだという説。テモテへの第二の手紙三の一六参照。(訳者注)