蜀犬 日に吠ゆ

1919-03-25

[][]三月二十五日 異常なものを見たり聞いたり はてなブックマーク - 三月二十五日 異常なものを見たり聞いたり - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 異常なものを見たり聞いたりすることについて、あなたはもっと多く知りたいと望むであろうが、私にもそれを詳しく説明することはできない。とにかく、聞くのは心で聞くのである。しかし、それはいつもきわめて明瞭な言葉であって、たいてい聖書のなかの言葉である。私はすでに十四歳の時にそれを経験したが、しかしながく中断したこともあった。異常なものを見る方は、それにくらべて晩(おそ)くやってくる。これは、その時により多少の明瞭さのちがいがあるがあるが、内的映像(イメージ)の一種の具体化である。聞くのも見るのも、理由がないわけではないが、いつも全く思いがけなくやって来る。だから、そういうことを人為的に喚び起そうとするのは、冒涜的な行いである。こういう事柄について語ることすら、私にはふさわしくないように思われるし、それを叙述しようとしても決してうまくゆかないであろう。それに、こういうことはすべて全く不必要でもある。異常なものを見たり聞いたりするのは、一つの賜物であって、それを経験した人には驚嘆すべきものであり、しかもただその当人にとってのみ意義あるもである。だから、あなたはそれについてこれ以上深く考えない方がよい。そのようなことは人生の説きがたい事柄に属するが、いわゆるアディアフォラ(どちらでもよい事)の一つでもある。固い信仰に基づいて正しく行動することの方が、はるかにまさっている。そういう立場に立っている人は、このような異常なものを必要としない。それは、全く特別な状況における、神の例外的な助けにほかならない。

 ひとが本当に神を信じ、それが単に口先きだけのことでないなら、唯物論的世界秩序においてはただ不可能としか思えない多くのことが当然のことになってくる。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫