1919-03-27
■ [書留][ヒルティ]三月二十七日 真理を永遠に疑い、問い求める人は、 

- 作者: ヒルティ,Carl Hilty,草間平作,大和邦太郎
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1973/08/16
- メディア: 文庫
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三月二十七日
レッシングが要求したような、真理を永遠に疑い、問い求める人は、たしかに、真理への正しい道にあるものとはいえない。最後には、二、三の主要な事柄がその人の固い確信となっているのでなければならない。すなわち、神が存在すること、また、「心をつくして神を愛し、自分を愛するように隣り人を愛する」こと、あるいは、救いへの導き手はキリストであって、仏陀でも、プラトンでも、カントでもないこと、これらのことはもはや疑ってはならない。ところが、あなたは、これと反対の思想を持つ新聞の論説やヘッケル流の小論文を読むやいなや、またしても右の真理を問題として取りあげようというのなら、もうこれ以上私をわずらわさずにおいてもらいたい。最も忍耐づよい人のひとりであったパウロでさえ、耳新しい説教にばかり耳をかして、なかなか堅固な心をもちえなかった、あのガラテヤ人に対して、ついに我慢しきれなかった。どこで断然、懐疑心を捨てるべきかという一つの限界を自分に課することが、今日ではなお一層必要である。若い人に対してならば、そのような真理への模索をなおしばらく大目に見ることもできようが、年をとった人に対しては、そうはいかない。なぜなら、神を見出したり、見失ったり、捨て去ったりする絶えまない心変りは、老年者においては、精神的不健康のしるしだからである。だからあなたは、主義としての懐疑家になってはならない。むしろ信頼すべき「真理のための同労者」となりなさい。(ヨハネ第三の手紙八章)
まるで悪のためにその栄えの日が時には許されているかに見えることが、しばしば起る。私も大きな事や小さな事でこれを体験した。しかしながらこのことは、キリストのすべての弟子たちにとっては、つねに謙遜で用心深くなければならぬという一つの理由になり、また改革者や伝道者にとっては、人間に頼ってはならないという理由でこそあれ、決して懐疑主義を是認するものではない。
ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫