蜀犬 日に吠ゆ

1919-03-30

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眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

三月三十日

 キリスト教の合理的な部分、すなわち、理知的な普通人のだれでもがただ知性だけで理解しうる部分は、善き意志をそなえたすべての人に親しみやすいものである。なぜなら、この宗教は、すくなくともこれまで知られているどの宗教よりもすぐれており、また人間的な事柄により親切なことが、たやすく分るからである。

 これに反して、その神秘的な部分、すなわち、神と個人との内的な直接な関係になると、これは説明できないもので、ただ自己の経験によって把握するよりほかはない。ところが、このような経験は説明できないもので、ただ自己の経験によって把握するよりほかはない。ところが、このような経験は、それをもっぱら研究したり、記述したり、そればかりか、批判しようとする人たちには、決して与えられることがない。彼らのうちのだれ一人、おそらくまだそういう経験をしたものはあるまい。それだから彼らは、それを否定することも実に手軽にやれるのである。しかし彼らは、たとえば実際に神とその直接のみわざを親しく知りながら、しかもそれを否定したり批難したりするような人の場合よりも、まだしも赦されやすい。思うに、神について知りながら拒むことはきわめて重い罪であって、だからそれはすでに多くの不安な魂にとって悲哀の原因となったのである。それにくらべて、ただ内的な体験を欠くために神の否定者となった人びとには、たしかにまだ恩恵を受ける機会がのこされている。たとえそれが、この人生のあとにつづく生活で、初めて許されるかもしれないにしても。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫