蜀犬 日に吠ゆ

1919-04-30

[][]四月三十日 カトリック教会はわれわれプロテスタントよりも はてなブックマーク - 四月三十日 カトリック教会はわれわれプロテスタントよりも - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 カトリック教会は、われわれプロテスタントよりも結婚を厳粛に取扱っているが、それでも彼らに対し非難せざるをえないのは、彼らの教会がひんぴんと婚姻無効の宣言をすることによって、彼ら自身の掟てを無視しており、実際、この宣言はやがて離婚の代用をつとめるばかりであるばかりでなく、再婚をも許すものであり、こうして、まさに最悪の事態を招いていることである。結婚問題はおそらくいつの時代にも、人間生活の問題を成すものでああって、ある民族の道義の全般的水準に最も大きな影響を与えるのである。結婚がまちがっていれば、教育も全く効果があがらなくなる。ともあれ、いま、結婚についての二、三の目標点をはっきり見きわめておくことが必要である。

 一、お互いの愛がなくて、ただ外的理由から行われる結婚は、不道徳な関係であり、従ってしりそけねばならない。

 二、夫婦の責務は全く平等であって、夫よりも妻により厳しいものであってはならない。肉体的責務は決して最も主要なものではない。

 三、よい結婚は最も美しい人間関係であるが、しかし必要欠くべからざる関係では全くない。生の享楽以上の高い関心を自覚するとき、ひとは結婚なしにも十分意義ある生活を営むことができる。

 このことについては、キリストがきわめて明瞭に、また、この上なく立派に述べている。このように生の享楽を適度に重んじる考えをすてない限り、われわれは国民の道義を維持することはできないであろう。なぜなら、さもなければすべての人が結婚するということもできないからである。しかし、結婚外の性的関係は一種の動物的状態への逆転であり、だから教養ある人には、ましてキリスト者には、ふさわしくないものである。マタイによる福音書一九の四―一二。

 結婚は神の望み給うた人間の生活状態であって、どのようなやり方にもせよ、結婚に反対する者は、禍いを招くにちがいない。これは、たとえば、つねに見受けるように、姦通者の子供は決して繁栄しえないし、また結婚しないで結婚したのと同様に生活しようとする人たちは――まもなく理想に対する精神をすっかり失い、それに対して無感覚になりがちだが、――そのような最悪の意味においてだけでなく、なお、結婚そのものの内に、神のみこころにかなった正しい本質があり、またそこに、男女の間の正しい自然な力の配分も存するにちがいない、という意味においても、正しい結婚に反対することは禍いのもとである。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-04-29

[][]四月二十九日 離婚者たちに再婚を許すことは はてなブックマーク - 四月二十九日 離婚者たちに再婚を許すことは - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 あなたはマタイによる福音書五の三二*1を前にして、離婚者たちに再婚を許すことは、近代のヒューマニズムの要求であり、従って近代の法律でも承認されているのは当然だと、どうして主張することができよう。それどころか、このことはキリストの実に明白な言葉にそむくものであり、だから、このような結婚には祝福が与えられないのである。私はまだかような結婚で真に幸福だった例を見たことがなく、従ってそうする必要をも認めない。離婚は時として必要で、その点にはもともとなにも問題はない。キリストが禁じたのもただ再婚だけであって、離婚は必ずしもそうではない。われわれプロテスタントと異なり、カトリック教会はこの点で誤っていないが、なおキリストの命令を文字通り厳守したならば、もっとよかったであろう。もう一度結婚しようという意図をいだいて行う離婚は、私の考えによれば、その当事者たちから、キリスト教団に精神的に所属する資格を奪うものである。すでに言ったように、事情によっては離婚の必要があるかもしれないが、しかしそのあとで再婚する必要は、道徳的教養をそなえた人には、全然存しない。ことに、男から男へ、しかも時には幾度となく、移ったりする婦人は、必要やむなく金銭のためにそれをする貧しい街の女よりも、たしかに神のみこころに一層適わない者である。だが、そのような婦人の場合も、たいていやはり金銭が一と役演じているのであろう。

 それどころか、牧師でありながら、離婚した婦人と結婚する者があるのは、実にいまわしい現象である。

 姦通にせよ、また総じて道徳的純潔のことにせよ、両性のいずれにおいても全く平等であり、だから婚姻する者双方の道徳的純潔が幸福な結婚を営むための要請であり、根本条件だという考えにまで、われわれはもう一度到達しなければならない。特にドイツにおいては、それがふたたび一般の人びとの確信となる必要がある。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「だれでも、不品行以外の理由で自分の妻を出す者は、姦淫を行わせるのである。また出された妻をめとる者も、姦淫を行うのである。」

1919-04-28

[][]四月二十八日 根本的にキリスト教から離れて はてなブックマーク - 四月二十八日 根本的にキリスト教から離れて - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 根本的にキリスト教から離れてしまったものが、しかもなお新宗教だの、新哲学だのと主張することがあろうとも、それらから永続的な善が生じるであろうなどと、本当に信じてはならない。キリストこそ、すべての人類の教師のなかで先ず第一に、自分の教えは全く新しいもの、歴史的発展とかかわりないものだと宣言することができたはずなのに、しかもそれをしなかった。マタイによる福音書五の一七―一九*1

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「わたしが律法や預言者を廃するためにきたと思ってはならない。廃するためでなく、成就するためにきたのである。よく言っておく。天地が滅びるまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。」

1919-04-27

[][]四月二十七日 人間の性格のなかにも はてなブックマーク - 四月二十七日 人間の性格のなかにも - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 人間の性格のなかにも、神経と関連している要素が多い。もし神経を持続的に鎮めることができるならば、人間の幾多の短所、たとえば我儘、怒りっぽさ、恐怖心、気苦労、人怯(お)じ、人間嫌い、怠惰などの性癖も、しだいに、全くひとりでに、消え去るであろう。だが、反対にそれができない場合には、それらの性格の欠点が病的に威をふるうようになるのだ。しかし、医師や教師や社会事業家にとっては、もう一つの問題が残されている。つまり、神経をただ外的な手段(薬剤)だけで安静にすることができるか、また進んだ病状においてもそうした手段だけで永続的に治療することができるかどうか、という問題である。この点について、われわれの意見は、まだ現代の医学の見解と完全に一致しているわけではない。しかし、今日の医学がしだいにより良い、唯物論的色彩の少ない見解に近づきつつあることは明らかである。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-04-26

[][]四月二十六日 肉体の健康感が はてなブックマーク - 四月二十六日 肉体の健康感が - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 肉体の健康感が、すべて発熱、神経過敏、疲労、違和等という感じが存在しない状態にあるのと同様に、ある人もしくはある時代全体の精神的健康も、すべて過度にエロティックなものや、その他興奮性のものや、異常なものを嫌悪する点において、認められるのである。ダヌンツィオ、フロベール、メーテルリンク、またトルストイも、いやそればかりか、『親和力』や『ウィルヘルム・マイスター』におけるゲーテでさえ、長い期間にわたって接していると、全く健康な精神にとっては、決して益あるものとはいえない。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-04-25

[][]四月二十五日 人びとの交わりは はてなブックマーク - 四月二十五日 人びとの交わりは - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 人びとの交わりは、なんといってもすっかりやめることはできないが、その正しい交わり方はやはり一つの才能であり、真に有効な才能でさえある。ところが、その他の点ではすぐれた人たちであっても、この才能を持たないことが珍しくない。

 最もよい交際の方法は、自然で親しみのある、なごやかな、相手の心に平和の印象を残すようなものであり、それだからキリストもまた、その弟子たちにそれをすすめている。だが、このような仕方は、熱情的な性向の人たちにはまったく不向きだし、また、もの足りないであろう。最もよくないのは、相手を感嘆させようとする態度であって、これは善良さよりも偉大さを目指す今日の時代に似つかわしいものだが、とにかく、そういう態度そのもののなかにすでに罰が含まれているのである。というのは、それはただ愚か者かいくじなし相手の場合にしか成功しないもので、神の霊にみたされた人びとに対しては全く効果がないからである。だから、その「崇拝者」といわれる人たちも、つねにあやしげな連中であり、――その崇拝が最大の人物に向けられている場合でさえ――うそつきか、自分ではほとんど無能なものかである。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-04-24

[][]四月二十四日 聖霊が与える能力(ガーベ)を はてなブックマーク - 四月二十四日 聖霊が与える能力(ガーベ)を - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 どうしたら聖霊が与える能力(ガーベ)を、また原始キリスト教時代に見られたような霊的能力を、手に入れる(それとも「願い求める」と言った方が適切かもしれない)ことができるだろうか。それは、だれもあなたに伝えることはできない。そういう能力はまさしく賜物(ガーベ)なのである。もしあなたが、それをもって人に自慢したり、世間の評判をわかせたいとか、新たな改宗時代を招き寄せたり、あるいは、ただ「小さい集り」の中で人に尊敬され驚嘆されたいとかいうつもりならば、あなたはその能力を確実に手に入れることも、も、長く持ちつづけることもできないであろう。だが、あなたが、あらゆるこの世のことからできるだけ汚されない住居(すまい)をそのために用意すれば、聖霊の能力は最も確実に、そこに入って来るであろう。けれどもあなたはまた、昔から実に多くの善良な誠実なキリスト者たちが、たしかにこれらの能力を持っていなかったこと、おそらくその存在や可能性をも全く信じていなかったことを、よく心にとめるがよい。そればかりか、聖霊の授ける能力を持っていると己惚れる者や、そのことについて沈黙を守り控え目にしようとしない者や、はなはだしいのは、それで金儲けを企てる者は、悲しむべき結末を予期しなければならない。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-04-23

[][]四月二十三日 神のすべてのしもべたちが はてなブックマーク - 四月二十三日 神のすべてのしもべたちが - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 詩篇八九の三八から終りまでは、神のすべてのしもべたちが、その生涯に少なくとも一度か数度、味わわねばならぬ経験であり、またこれは、預言者がその郷里では敬われない、という救世主の言葉とも一致している(マタイによる福音書一三の五七)。

 この言葉は、世に敬われるものは預言者でないという、その言外の結論において、とくに怖るべきものとなる。これによって、どんなに多くの新聞の称讃やあらゆる種類の名誉表彰などが一度に下落することであろう。一方、ほどほどの値打しかない多くのいわゆる生涯の事業や功績も、おそらくそれと同じであろう。

 しかし、われわれは聖書の言葉から、論理的に可能な結論なら、必ずしもどんなものでも引き出してよいのではない。また、およそすべての事柄において、ことにある人物について判断を下そうとする場合(平素われわれはいとも手軽に判断を下しては、あとでまた改めねばならぬことが多いが)、やはり真理の霊にたよるのが最もよい。じっさい、真理の霊のほかには、あらゆる人間について真実を正確に知っているものはないからである。ヨハネによる福音書一四の一七。

 すべての事物について、初めにさまざまの、その時かぎりの判定を下し、いつでも、たちまちそれに熱狂するかと思えばたちまちそれを放り出し、そればかりか、前にはやたらに買被ったものにすっかり背を向ける――このような態度が現代の学校の生み出す主我的な、信頼のおけぬ世代の典型的特徴である。

 あなたは彼らを信用しない方がよい。ことに彼らが集団的に「青年}だの「新しい流派」だの、「進歩」だの「未来」などと称して登場し、古いものをことごとく嘲笑する場合は、なおさらそうである。彼らはたいてい、それ以上に能のない人間なのだ。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-04-22

[][]四月二十二日 いずれのキリスト教会にも はてなブックマーク - 四月二十二日 いずれのキリスト教会にも - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 私はいずれのキリスト教会にも反対する者ではない(カトリック教会、ギリシャ正教の教会やイギリス国教教会にも反対しない)、もっとも、これらのどの教会もキリストが心に描いていたとおりの教会だとは思わないけれども。私は、真のキリスト者は、この世の終りにいたるまで、あらゆる民族、あらゆる教会において、つねに少数派を形成するにすぎないと信じている。これはまた、「女がそれを取って三斗の粉の中に混ぜるパン種」(マタイによる福音書一三の三三)について言われた主自身の言葉とも本当に一致するものだ。粉はパン種によって有用なものとなるが、しかし粉そのものはパン種ではない。われわれもまたそういうことで満足しなければならない。パン種においては、量よりも質を重んじなければならないが、粉においてはそれでパンを焼き、食物となり、大勢の人の栄養となれば、それで十分である。もし事柄をこのように考えなければ、ただ教会に受動的に所属し、その儀式に参加すれば、それでよいというほどまでに要求を大幅に引き下げねばなるまい、それとも、キリストはほんのわずかな人たちを救済するだけで、残りの者は救われることなく、ほとんど冷淡に、この世の君(サタン)の手に(人類に対するサタンの支配の分け前として)委ねられてしまうのだという、小会派などの見解に到達するほかはあるまい。

 この両方の見解は、キリストが自身の生活の成果について抱いていられた考えではありえないし、従ってわれわれの生涯の成果であってはならない。

 だから、私は世界最後の審判について、いつも主として大衆的劫罰の印象の強い、いとわしい全般的な審判というものを想像することができない。むしろ、一人ひとりの魂がレーテの河を渡ったのちに、その人の地上生活が自然に継続する形の存在を与えられるという審判を想像するのである。審判は本来、その人の精神的状態の中に存するものであり、来世ではその人の思想だけが問題であって、物質的なものはもはや無にすぎないというその新しい生活条件に、その人の精神状態がどの程度適合するかによって決まるのである。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-04-21

[][]四月二十一日 なんと多くの人たちが、 はてなブックマーク - 四月二十一日 なんと多くの人たちが、 - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 なんと多くの人たちが、明らかに彼らの鎖を引きずりまわっていることだろう。このことい気づくならば、われわれはもっと同情深くなるはずだ。ところが、本当に驚くほど多く見うけられる人間同士の嫌悪も、やはりここから生じるのである。それは、他人を援助しなければなるまいという恐れだとか、それとももっと親しく知り合えば、きっとろくに善いものは発見できないだろうという、確かな予想があるからだ。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-04-20

[][]四月二十日 ただ一切の善事だけを報道して はてなブックマーク - 四月二十日 ただ一切の善事だけを報道して - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 この世界におけるただ一切の善事だけを報道して、悪だの、くだらぬ事柄には見むきもしないというような新聞なり、評論誌なりを、われわれは持つべきであろう。それを読めば、この世には一体どれほど多くの善事がなされており、特に最初は邪悪だったものが善に転じたり、善に仕えるようになるものがどれほど多いかも、はじめて分るであろう。「神は、神を愛する者たちとともに働いて、万事を益となるようにして下さる」(ローマ人への手紙八の二八)。これこそ、正当な、しかも長持ちする楽観主義(オプテイミズム)である。このようなことを、われわれは生涯において、それが単なる「偶然}とのみは思われないほど、たびたび経験するものである。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-04-19

[][]四月十九日 療養地のどこか一個所を観察しただけでも はてなブックマーク - 四月十九日 療養地のどこか一個所を観察しただけでも - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 今日の療養地のどこか一個所を観察しただけでも、死に近づきつつある肉体のためにどんなに多くのことがなされ、また、どんなに多くの人たちが決して真の永続的な成果を生じるはずがない事柄に熱中しているか、わかるであろう。死をすこし延ばすことだけが、彼らが成しうるすべてである。しかも、すでに彼らの大部分が癈人――しばしば、ぞっとするような癈人――なのである。彼らは、肉体のことにくらべて、永続的な内的人間のことや、またその健康と生命とについて、心を用いることがどんなに少ないことだろう。実は、この方が真にやり甲斐のあることなのだろうに。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-04-18

[][]四月十八日 自己犠牲と克己の偉大な行為は はてなブックマーク - 四月十八日 自己犠牲と克己の偉大な行為は - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 自己犠牲と克己の偉大な行為は、われわれの場合でも、悪の鎖を断ちきり、善の障害をとり除き、過去の思いを消し去り、また何かに囚われ縛られた他人の魂をも救いうる力をもっている。このような広大な、そればかりか救世的な意義においてさえ、われわれはわれらの主の追随者となることができる、もしするように神の恩寵によって召されるならば。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-04-17

[][]四月十七日 肉体的原因のために自分が元気なく はてなブックマーク - 四月十七日 肉体的原因のために自分が元気なく - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 肉体的原因のために自分が元気なく感じたり、憂鬱だとだと思ったりする場合(これは最も内的に進歩した人びとでも、精神が肉体性に縛られている限り起りうることだ)、あなたはそういう状態を実際以上に重大に考えないがよい。肉体というものは、それ自身のためにあるのでなくて、精神のために維持せられるべき一つの機械である。従って肉体のために必要以上に心を労すること、さらにすすんで単に「健康のためにのみ生きる」こと、あるいは何はさておき健康のみを念ずることは、精神的な人間にとってはふさわしいものではない。そういうことは、せいぜい重い病気の時だけ許されることだ。だが、その場合でも、精神はできるだけ早く、また十分に、その主権を取戻さねばならない。わたしたちは将来、もはや少しも肉体に縛られなくなったときに初めて、完全な永続的な健康と力との実感を所有することができよう。しかし、現世ですでに肉体にあまりに強く左右されない人びとしか、そのような健康を持つことはできないだろう。肉体のために生き、またそれにのみ仕えてきたような人たちが、さて突然死によって、どうして純粋な自由な霊となることができようか。そんなことは不可能である。だから、この世では、まずほどほどの健康で満足することにしよう。「主なる神よ、どうぞあなたの祭司たちに救いの衣を着せ、あなたの聖徒たちに、かれらの持てる恵みを喜ばせてください」歴代志下六の四一。しかしわれわれは、われわれが目ざして進んでいる未来の健康を、楽しみとしよう。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-04-16

[][]四月十六日 人間をすべてみな愛することは はてなブックマーク - 四月十六日 人間をすべてみな愛することは - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 人間をすべてみな愛することは、キリストへの愛がなければできないものである。今さらやってみるまでもない。そういう試みからは空しいおしゃべりよりほか何も生じない。そして最後に、もし真実を愛する人ならば、人間嫌いか傲慢なエリート意識におちいるだけだ。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-04-15

[][]四月十五日 キリストの受難史は はてなブックマーク - 四月十五日 キリストの受難史は - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 キリストの受難史は、キリストの復活の信仰がなければ、とうてい堪えられないものである。少なくとも私は、そのためにペシミズムや人間憎悪におちいるであろう。それにもかかわらず、実に多くのキリスト教徒は、これに対してある種の無関心な態度をとって、平然としている。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-04-14

[][]四月十四日 現実にあなたがそうであるところの はてなブックマーク - 四月十四日 現実にあなたがそうであるところの - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 あなたは、現実にあなたがそうであるところの、このような、ものを考える存在が、まもなく、しかも永久に存在をやめると信じることができるか。わたしは否(ノー)と主張する。だれひとりそうだとは信じない。ただ彼らは、このように死の暗やみにふみ入るのを、せいぜいやむなく消極的に甘受するだけだ。しかも同時に、彼らはそういう考えをできるだけ遠ざけ、それについてなるべく語らぬように努めるのである。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-04-13

[][]四月十三日 キリスト教の最初の時代に現れた はてなブックマーク - 四月十三日 キリスト教の最初の時代に現れた - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 キリスト教の最初の時代(概していえば、その時代は現代よりよくはなかった)に現れたあの霊的能力が、今でも存在しうることは、否定できない。現在それが存しないとすれば、とにかくその責めはわれわれにある。しかし、第六感とか「透視力」とか呼ばれるものも、やはりありうるものであって、普通には目に見えないものや耳に聞こえないものが、そういう能力ある人たちには、往々知覚されるのである。しかしそういうことがひんぴんと起る場合には、神経性の病気であり、また、だれかがそうしたことをやたらに吹聴するならば、おそらく何かよくない企みがあってのことであろう。いずれにしても、こういう能力は、きわめって慎重に取扱うべきもので、それが人間の自由な意志を永いあいだ抑圧するような力となってはならない。

 タボル山上で使徒たちが見た事*1も、そういうふうに説明せらるべきであるが、ことキリストの復活に関しては、同じような説明はできない。このような事柄についてはあまり深く気にかけないがよろしい。

 人間が体験しうる最高最善のことは、透視などではなくて、神のそば近くにあるという実感であって、これはそのような異能とは全く無関係である。

 「しかし、かような超感覚性に属する事柄にどの程度までたずさわってよいのか、それとも、全くこれを避けるべきかを知るには、どうすればよいのだろうか。」

 この問題は常識だけでは決定しがたい。なぜなら、それでは結局、否定しえないもの、また聖書にさえ記されている多くの事をも否定することになるからである。しかし私自身の経験によれば、人間には一つの本能的な感覚がそなわっていて、これがまごうかたなく嫌悪感の形で(たとえば多すぎる食物や有害な食物を拒むのとちょうど同じ具合に)無用な思惟の領域にこれ以上深入りしないように、警告を与える力をもっている。しかしひとはこのかすかな警告に対して注意ぶかく心の扉を開けておかねばならない。というのは、ひとは精神的に不健康なものにも慣れやすく、ともするとその不健康なものを欠かせないものにまで変えることがありうるからだ。ごく近い将来に、そういうことが多くの人たちに起るであろう。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

マタイによる福音書 17

The Gospel According to MATTHEW 17
イエスの姿が変わる

1 Now after six days Jesus took Peter, James, and John his brother, led the up on a high mountain by themselves;

1 六日の後、イエスはペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。

2 and He was transfigured before them. His face shone like the sun, and His clothes became as white as the light.

2 イエスの姿が彼らの目の前で代わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。

3 And behold, Moses and Elijah appeared to them, talking with Him.

3 見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。

4 Then Peter answered and said to Jesus, "Lord, it is good for us be here; if You wish, let us make here three tabernacles: on for You, on for Moses, and one for Elijah."

4 ペトロが口をはさんでイエスに言った。「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」

5 While he was still speaking, behold, a bright cloud overshadowed them; and suddenly a voice came out of the cloud, saying, "This is My beloved Son, in whom I am well pleased. Hear Him!"

5 ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、「これは私の愛する子、私の心に適う者。これに聞け。」という声が雲の中から聞こえた。

6 And when the disciples heard it, they fell on their faces and were greatly afraid.

6 弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。

7 But Jesus came and touched them and said, "Arise, and do not be afraid."

7 イエスは近づき、彼らに手を触れて言われた。「起きなさい。恐れることはない。」

8 When they had lifted up their eyes, they saw no one but Jesus only.

8 彼らが顔を上げて見ると、イエスの他にはだれもいなかった。

9 Now as they came down from the mountain, Jesus commanded them, saying, "Tell the vision to no one until the Son of Man is risen from the dead."

9 一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が使者の中から復活するまで、今見たことを誰にも話してはならない」と弟子たちに命じられた。

新共同訳『新約聖書』国際ギデオン協会

*1マタイによる福音書一七の一以下。キリストが高い山の上で突然変容した事を指す。(訳者注)

1919-04-12

[][]四月十二日 どんなよき衝動にも はてなブックマーク - 四月十二日 どんなよき衝動にも - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 どんな善き衝動にもただちに従うという習慣は、楽園にいたる一番の近道である。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-04-11

[][]四月十一日 もし本書のなかに はてなブックマーク - 四月十一日 もし本書のなかに - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 もし本書のなかに、ヨハネによる福音書一四の一七に言われている「真理の御霊(みたま)」によって満たされ、啓示されたのでないと思われる個所があったら、あなたはそれを遠慮なくさっさと捨て去るがよい。「しかしそのほかはそのまま残しておき、それにたいして感謝してはならない」(ルターの讃美歌)。あなたはしばらく時をおいてから、もう一度それを読みなおして、熟考するがよい。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-04-10

[][]四月十日 普遍的な人間愛は はてなブックマーク - 四月十日 普遍的な人間愛は - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 普遍的な人間愛は、ほぼ中立と同じようなもので、「平和の時代には大変立派な、明白な事柄」(ナポレオン三世の言葉)である。しかし、われわれは魂の嵐の中でも、やはりこのような愛をたもつことができなくてはならない。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-04-09

[][]四月九日 あらゆる宗教が単に空想的まぼろしにすぎない はてなブックマーク - 四月九日 あらゆる宗教が単に空想的まぼろしにすぎない - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 あなたは時おり、突然あらゆる宗教が単に空想的まぼろしにすぎないと思われることがあっても、そのためにあなたの信仰の道で、決して怯えて歩みをとめてはならない。わたしの知るところでは、そういうことは、人類の精神的戦いと経験について多生詳しい知識を持っているかなり教養の高い人には、だれにでも起ることである。元来、教会そのものが維持されているのも、すべての歴史や哲学や倫理学や教育学などがあまりに論議の余地が多く、しかも一方、すでにある程度動物以上に進んだ人間には、超感覚的なものに対する要求が深く内在していて、それは根絶することも、ほかのもので補うこともできないという事実を、人びとが絶えず新たに見抜くからである。このことを否定する人たちにあっては、彼らがどんなに教養に富んでいようとも、ふたたび獣性が彼らをしだいに支配するようになるだろう。これこそわれわれがまさに欲しないものであって、それというのも、われわれがこのような獣性をのり越えて、より気高い存在に進む資格を取得するという、この人生の目的全体をなおざりにしないためである。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-04-08

[][]四月八日 「神のみが偉大である」 はてなブックマーク - 四月八日 「神のみが偉大である」 - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 「神のみが偉大である、わが兄弟たちよ。」これは、生前好んで「大王」と呼ばれたがった、フランスのルイ十四世への弔詞の冒頭の言葉である。この言葉が実際に確信となるならば、神以外の大きな力をつねに――しかもつねに誤って――計算に入れて考える現代の政治的ならびに社会的見方を、ことごとく変革するであろう。あなたは、できることなら、そのような誤れる見解から自由になりなさい。普通のいわゆる教養とは反対に、真の教養の基いは実に主としてこの点にある。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-04-07

[][]四月七日 あなたのキリスト教に対する はてなブックマーク - 四月七日 あなたのキリスト教に対する - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 あなたのキリスト教に対する確信が一旦ある段階に達すると、教理論の研究など大して役に立つものではない。このとき神がそれを欲し給うなら、超感覚的生命についてのむずかしい諸問題に関して、一瞬のうちにはっきりした解明を与えられるであろう。それは、あなたが多くの書物によって得られる解明にはるかにまさるものである。これらの本の著者の大多数が、彼らみずから確固たる信念を持つべきはずなのに、おそらくそれを所有していなかったのである。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

[][]四月七日(キリスト受難日のために) はてなブックマーク - 四月七日(キリスト受難日のために) - 蜀犬 日に吠ゆ

 「今わたしの心が騒いでいる。父よ、この時から私をお救い下さい」(ヨハネによる福音書一二の二七)。これもまた一つの「主の祈り」であって、特に「主の祈り」と呼ばれているもの(マタイによる福音書六の九―一三)よりも、これと同じような深い悲しみにある時には、一層われわれに役立つことが多い。この祈りはまた、こういう時に人はいかに振舞うべきかをも教える。すなわち、悲しみをひそかに心のなかに包んでいてはならないし、また、悲しみに対して人の力でなく、神の助けを求むべきこと、そして最後に、この苦しい状態は「一時」のことであって永続するものでなく、それは神によって一瞬にして変えられるものであり、しかも、その目的がとげられたら、まちがいなく即時に変えられることを教えている。この最後のことを、すぐそのあとの主の言葉、「しかし、わたしはこのために、この時に至ったのです」(ヨハネによる福音書同上)が意味しているように思われる。もっともこの言葉は、おそらく主の言葉を完全に伝えていないのではないか。その点で、ヨハネによる福音書の最後の節(二一の二五*1)で付言されることに該当するものであろう。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「イエスのなさったことは、このほかにまだ数多くある。もしいちいち書きつけるならば、世界もその書かれた文書を収めきれないであろうと思う。」

1919-04-06

[][]四月六日 教養ある人でキリスト教に心を向ける者は はてなブックマーク - 四月六日 教養ある人でキリスト教に心を向ける者は - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 教養ある人で、キリスト教に心を向ける者はだれでも、実際、初めのうち、とくにパーカーやエマソンによって代表されてきたユニテリアン主義に傾きやすい。わたし自身は、まだかなり若い年代に、この信仰の使徒として登場したアメリカ人の若い夫妻の様子を見ただけで、断然この信仰からひき離されてしまった。そればかりでなく、教養あるカトリック信者にも、根本においてわれわれよりもユニテリアン主義に近いものがいる。同様に、あらゆる種類の哲学的傾向の人たちや、全くの汎神論者さえ、この教義に親しみを持つことができよう。しかしユニテリアン主義は決してキリスト教ではない。この教えに反対して、古くからの教会が三位一体説を唱えるのは正当である。ただ教会は、元来説明しえないことを強いて説明しようとする固苦しい教理的形式によって、その信者の大部分に怖気を起させ、教会から去らせてしまった。けれども、世間の人びとが唯物論からキリスト教に復帰しようとつとめる時がきたら、たちまちこの問題が新たに台頭してくるであろう。ある問題についてその実際上の、あるいは表面的に完全そうに見える説明が見つかったと思われるとき、これで問題は「解決された」と言うが、このキリスト教の根本問題はそのような意味では「解決され」えない事柄である。それどころか、ユニテリアン派やその他すべての改革者たちが望むようなキリストでは、あわれな人類のためにも、また自己の魂の要求にもなんら助けとはならないし、なおこのようなキリストでは、そもそもキリスト教なるものは創始されえなかったであろう。このような思いがしだいに強い確信となっていつまでも心に残るにちがいない。従ってわれわれは、あくまでわれらの救世主のもとにとどまり、また教理論を問題として取りあげる限り、三位一体説を固く守るものである。ルカによる福音書九の六〇、一〇の二一*1

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「その死人を葬ることは、死人に任せておくがよい、あなたは、出て行って神の国を告げなさい。」「天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました。父よ、これはまことに、みこころにかなった事でした。」

1919-04-05

[][]四月五日 すべての苦難におけるよき慰め はてなブックマーク - 四月五日 すべての苦難におけるよき慰め - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

  まことにわれらの救い主イエス・キリストは、

  われらの苦難をにない給うた。

  病めるもののこころを知り給うゆえ、

  なにびとも気落ちしてはならない。


 これは本当であり、そしてすべての苦難におけるよき慰めである。苦難に臨んだとき、キリストは実際、彼みずからが己れについて語った通りのものであることが分った。すなわち、彼は並みはずれたお方であって、その「本性」は決して「説明しえない」ことである。ルカによる福音書一〇の二二*1。ところで、もしキリストがただ二千年前に生きて死んだひとりの気高い人間にすぎないのなら、たしかに幾つかの立派な生活原理をわれわれに残しはしたが、しかし彼はそれらの原理を(当時といくぶん異なる環境のもとで)守ってゆく力とか、また、彼の教えのために同じようにこの世との争いに陥ったときの彼の慰めを、われわれに与えることはできないにちがいない。これからみても、純理的なユニテリアン主義には、人間がその必要を感じて宗教に求めざるをえないもの、つまり超自然的な力と助けとがつねに欠けているのである。マタイによる福音書一一の二八―三〇*2

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「すべての事は父から私に任せられています。そして、子がだれであるかは、父のほか知っている者はありません。また父がだれであるかは、子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほか、だれも知っている者はありません。」

*2:「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」

1919-04-04

[][]四月四日 神にそむく者がこの世で罰せられることがない はてなブックマーク - 四月四日 神にそむく者がこの世で罰せられることがない - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 あなたは、神にそむく者がこの世で罰せられることがないといって、あまり深く嘆かないがよろしい。愛のない魂が、神に見捨てられて闇に住まねばならぬことは、一つの宿命であって、これはその厳しさにおいて、とうてい外的な刑罰とはくらべものにならない。「そうだ、でも、罰せられた者は、それをそのようには感じない。」私の経験によれば、それを感じないのはただ一部の人たちの場合だけである。そうでなければ、彼らがあのように、やたらと娯楽や刺戟や気晴らしを追求したり、ついには酒やモルヒネにまで手を出したりして、自分のみじめさを忘れようとはしないだろう。

 もしわが国でも多くの人びとが、なんでもすべて高貴なもの、豪華なものを讃美するほどに無知でなかったならば、神に背く人たちは自分の悲惨さをもっとはっきり感じるであろう。だから、彼ら神に背く人たちは、いつも比較的お人よしの連中の彼らに対する驚嘆にささえられて、わずかに元気を取りもどしているのである。悪人が落ちる地獄とは、いつか彼らがそこへ行って見ると、ただ彼らと同じ悪い仲間ばかりしかいないということであろう。これは、さすがの悪人たちも苦痛なしには耐えきれまい。この世において悪の力が強いのは、全く、事にあたって生ぬるい人たちの恐怖心と不信仰にもとづくものである。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-04-03

[][]四月三日 人生において何が最も困難であるか はてなブックマーク - 四月三日 人生において何が最も困難であるか - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 人生において何が最も困難であるか、あなたはそれを知りたいと思うか。元来、この問いに対しては、ただ個人的な答えしか与えられないものである。だが、一般的な答えをするとすれば、こうであろう、すなわち、神から遠ざかることがそれである。しかしこのことも、すべての人にとって同じ程度に感じられるわけではない。私にとって最も困難だったのは、我欲を克服することでも、さらに広い意味で自分の感覚・感情への執着にうち勝つことでさえもなく、また信仰のことでもなく、人間に対する諦めや彼らのよい評判を断念することでもなかった。これらのことは私にはむしろ反対にいつもあまりに容易なくらいで――それがかえってわたしの欠点でもあった――、そうではなくて、最も困難なのは忍耐であった。人間の最もよい性質は、ただゆっくりと、しかも多くの忍耐によって初めて、伸びて行くものであり、また悪や利己心はなかなか急には退散しないものである。そこでわれわれが、人間を相手にして、彼らを助けて進歩させようとするとき、ほとんど超人的な忍耐をもっていなければならない。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-04-02

[][]四月二日 あなたはいわゆる社会政策とか、平和運動とか はてなブックマーク - 四月二日 あなたはいわゆる社会政策とか、平和運動とか - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

四月二日

 あなたはいわゆる社会生活とか、平和運動とか、これに類する事柄にあまり身を入れすぎないようにしなさい。それらはすべて、たしかに興味ある、またたいてい賞讃すべき努力ではあるが、しかしそれによって社会問題も、その他のどんな問題も、解決されるわけではない。この世に存在する、あらゆる種類の、おびただしい量の悲惨時は、それによってほとんど何ほども減らないだろう。結局、人類はただより多くの愛によってのみ、しかも、だれでもみな直接にその「隣人」から始めねばならぬあの個人的な、本当に強い愛によってのみ、助けられるのである。この愛の精神こそは、また真のキリスト教の精神でもあるが、これが世を救うのであって、その他のすべてはこれと反対に、やたらに声のみ高い無用事にすぎないことが多い。世間の人たちは、これ以上、あやまった理想を追わなくてすむために、このことをもう少し明らかに覚(さと)らねばならない。その間に、われわれ自身が、まず第一にだれでも一人ひとりで、また自分との関係において、これまでと全くちがった考え方に改め、そして権利や現実政策をもってではなく、また「大きく全体のために」働こうなどとしないで、本気に愛をためしてみることから始めようではないか。大きく全体のために働くのは、なるほど世間の人の前で、はるかに大きな名誉をもたらすであろうが、しかし神の前や自分の良心の前では、そうではなく、しかも、しかも「この世の君」であるサタンの支配はいぜんとして変りがないのである。そこでこの世の君は、自分を当然恐るべき理由があると思われる人びとを、ひとり残らず、大急ぎで、団体や教会や派閥のなかに引き入れようと、たえず全力をつくすのである。そうすれば、これらの人びとは、彼サタンにとってもはや危険性の大部分を失うことになるからだ。ルカによる福音書一〇の二五―二八*1

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「するとそこへ、ある律法学者が現われ、イエスを試みようとして言った、『先生、何をしたら永遠の生命を受けられましょうか』。彼に言われた、『律法にはなんと書いてあるか。あなたはどう読むか』。彼は答えて言った、『《心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ。》また《自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ》とあります』。彼に言われた、『あなたの答えは正しい。そのとおりに行いなさい。そうすれば、いのちが得られる』。」

1919-04-01

[][]四月一日 人間生活において、ひとをひどく疲れさせ はてなブックマーク - 四月一日 人間生活において、ひとをひどく疲れさせ - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

四月一日

 人間生活において、ひとをひどく疲れさせ、多くの人たちに人生を説きがたい謎と思わせるものは、われわれがつねにその渦中に立っている、なにかの悪とのたえざる戦いである。われわれはほんの一時の休息か享楽を自分に許してみるがよい、そうすればすぐさま悪がなにかの形で勢いを盛りかえし、その古くからの(悪の考えによればまだ時効にかかっていない)彼の権利を主張してくるのだ。なんといっても悪は、まさに「この世の君」であり、退位させられたとしても、いぜんとして支配権を主張しようとたくらんでいる。ただ、悪が支配権を握るには、それに対する、人間の自由意志による同意がなくてはならぬ。ところが、キリスト教の信仰の基礎である、この自由意志の必要性の問題が、かえって多くの人に煩わしさと、恐れとを与えているのである。そこで人びとは、これを防ぐためのあらゆる補助手段を案出した。例えば、あらゆる悪とその結果とから守られるためにはただそこに加入しさえすればよいという教会だとか、世間とのあらゆる接触を断つ信仰生活とか(しかしこれは心の中の毒をまだ吐きつくしていない一種の逃避策である)、それから、キリストや聖者たちによる身代りの功徳(キリストの贖罪による義認)にかんする教理(これは自己の責任を放棄して他人の責任をもってその代りにしようとする考えだ)などがそうである。これらの手段をもって、自由意志による絶えざる選択とその苦悩を避けようと、すくなくとも一時的にも、試みなかった者はないであろう。

 あなたは断然そういう方法から目をそむけなさい。それらはすべてあなたをより高い段階に導くこともなく、それによってかの審判(さばき)を避けることもできないだろう。実際、あなたは、またその審判に従って、この人生の終りにあなたにふさわしい新しい状態に入ってゆくのであり、また入ってゆくよりほかないのである。

 これと異なる審判の観念は、おそらく正しいとはいえまい。その審判がたとえあなた自身によってなされるのでなくて、第三者から下されるときでさえ、せいぜいそれは「この女はそのできるだけのことをした」(マルコによる福音書一四の八)と言われるにすぎまい。しかし、あなたができるだけのことをしようと決心するという、その程度のことはぜひなされねばならない。

 それ以上のことは恩寵の力による。恩寵は、ただ欠けているものを機械的に補うのではなくて、むしろ、人間の内部においてその欠けているものを可能なもの、存在するものに変えるのである。こういう考えは両教派(カトリック・プロテスタント両教会)の教理問答書と完全に一致するとはいえないが、しかし人生の経験とはよく合致している。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫