蜀犬 日に吠ゆ

1919-04-06

[][]四月六日 教養ある人でキリスト教に心を向ける者は はてなブックマーク - 四月六日 教養ある人でキリスト教に心を向ける者は - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 教養ある人で、キリスト教に心を向ける者はだれでも、実際、初めのうち、とくにパーカーやエマソンによって代表されてきたユニテリアン主義に傾きやすい。わたし自身は、まだかなり若い年代に、この信仰の使徒として登場したアメリカ人の若い夫妻の様子を見ただけで、断然この信仰からひき離されてしまった。そればかりでなく、教養あるカトリック信者にも、根本においてわれわれよりもユニテリアン主義に近いものがいる。同様に、あらゆる種類の哲学的傾向の人たちや、全くの汎神論者さえ、この教義に親しみを持つことができよう。しかしユニテリアン主義は決してキリスト教ではない。この教えに反対して、古くからの教会が三位一体説を唱えるのは正当である。ただ教会は、元来説明しえないことを強いて説明しようとする固苦しい教理的形式によって、その信者の大部分に怖気を起させ、教会から去らせてしまった。けれども、世間の人びとが唯物論からキリスト教に復帰しようとつとめる時がきたら、たちまちこの問題が新たに台頭してくるであろう。ある問題についてその実際上の、あるいは表面的に完全そうに見える説明が見つかったと思われるとき、これで問題は「解決された」と言うが、このキリスト教の根本問題はそのような意味では「解決され」えない事柄である。それどころか、ユニテリアン派やその他すべての改革者たちが望むようなキリストでは、あわれな人類のためにも、また自己の魂の要求にもなんら助けとはならないし、なおこのようなキリストでは、そもそもキリスト教なるものは創始されえなかったであろう。このような思いがしだいに強い確信となっていつまでも心に残るにちがいない。従ってわれわれは、あくまでわれらの救世主のもとにとどまり、また教理論を問題として取りあげる限り、三位一体説を固く守るものである。ルカによる福音書九の六〇、一〇の二一*1

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「その死人を葬ることは、死人に任せておくがよい、あなたは、出て行って神の国を告げなさい。」「天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました。父よ、これはまことに、みこころにかなった事でした。」