蜀犬 日に吠ゆ

1919-04-07

[][]四月七日(キリスト受難日のために) はてなブックマーク - 四月七日(キリスト受難日のために) - 蜀犬 日に吠ゆ

 「今わたしの心が騒いでいる。父よ、この時から私をお救い下さい」(ヨハネによる福音書一二の二七)。これもまた一つの「主の祈り」であって、特に「主の祈り」と呼ばれているもの(マタイによる福音書六の九―一三)よりも、これと同じような深い悲しみにある時には、一層われわれに役立つことが多い。この祈りはまた、こういう時に人はいかに振舞うべきかをも教える。すなわち、悲しみをひそかに心のなかに包んでいてはならないし、また、悲しみに対して人の力でなく、神の助けを求むべきこと、そして最後に、この苦しい状態は「一時」のことであって永続するものでなく、それは神によって一瞬にして変えられるものであり、しかも、その目的がとげられたら、まちがいなく即時に変えられることを教えている。この最後のことを、すぐそのあとの主の言葉、「しかし、わたしはこのために、この時に至ったのです」(ヨハネによる福音書同上)が意味しているように思われる。もっともこの言葉は、おそらく主の言葉を完全に伝えていないのではないか。その点で、ヨハネによる福音書の最後の節(二一の二五*1)で付言されることに該当するものであろう。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「イエスのなさったことは、このほかにまだ数多くある。もしいちいち書きつけるならば、世界もその書かれた文書を収めきれないであろうと思う。」