蜀犬 日に吠ゆ

1919-04-29

[][]四月二十九日 離婚者たちに再婚を許すことは はてなブックマーク - 四月二十九日 離婚者たちに再婚を許すことは - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 あなたはマタイによる福音書五の三二*1を前にして、離婚者たちに再婚を許すことは、近代のヒューマニズムの要求であり、従って近代の法律でも承認されているのは当然だと、どうして主張することができよう。それどころか、このことはキリストの実に明白な言葉にそむくものであり、だから、このような結婚には祝福が与えられないのである。私はまだかような結婚で真に幸福だった例を見たことがなく、従ってそうする必要をも認めない。離婚は時として必要で、その点にはもともとなにも問題はない。キリストが禁じたのもただ再婚だけであって、離婚は必ずしもそうではない。われわれプロテスタントと異なり、カトリック教会はこの点で誤っていないが、なおキリストの命令を文字通り厳守したならば、もっとよかったであろう。もう一度結婚しようという意図をいだいて行う離婚は、私の考えによれば、その当事者たちから、キリスト教団に精神的に所属する資格を奪うものである。すでに言ったように、事情によっては離婚の必要があるかもしれないが、しかしそのあとで再婚する必要は、道徳的教養をそなえた人には、全然存しない。ことに、男から男へ、しかも時には幾度となく、移ったりする婦人は、必要やむなく金銭のためにそれをする貧しい街の女よりも、たしかに神のみこころに一層適わない者である。だが、そのような婦人の場合も、たいていやはり金銭が一と役演じているのであろう。

 それどころか、牧師でありながら、離婚した婦人と結婚する者があるのは、実にいまわしい現象である。

 姦通にせよ、また総じて道徳的純潔のことにせよ、両性のいずれにおいても全く平等であり、だから婚姻する者双方の道徳的純潔が幸福な結婚を営むための要請であり、根本条件だという考えにまで、われわれはもう一度到達しなければならない。特にドイツにおいては、それがふたたび一般の人びとの確信となる必要がある。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「だれでも、不品行以外の理由で自分の妻を出す者は、姦淫を行わせるのである。また出された妻をめとる者も、姦淫を行うのである。」