蜀犬 日に吠ゆ

1919-04-30

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眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 カトリック教会は、われわれプロテスタントよりも結婚を厳粛に取扱っているが、それでも彼らに対し非難せざるをえないのは、彼らの教会がひんぴんと婚姻無効の宣言をすることによって、彼ら自身の掟てを無視しており、実際、この宣言はやがて離婚の代用をつとめるばかりであるばかりでなく、再婚をも許すものであり、こうして、まさに最悪の事態を招いていることである。結婚問題はおそらくいつの時代にも、人間生活の問題を成すものでああって、ある民族の道義の全般的水準に最も大きな影響を与えるのである。結婚がまちがっていれば、教育も全く効果があがらなくなる。ともあれ、いま、結婚についての二、三の目標点をはっきり見きわめておくことが必要である。

 一、お互いの愛がなくて、ただ外的理由から行われる結婚は、不道徳な関係であり、従ってしりそけねばならない。

 二、夫婦の責務は全く平等であって、夫よりも妻により厳しいものであってはならない。肉体的責務は決して最も主要なものではない。

 三、よい結婚は最も美しい人間関係であるが、しかし必要欠くべからざる関係では全くない。生の享楽以上の高い関心を自覚するとき、ひとは結婚なしにも十分意義ある生活を営むことができる。

 このことについては、キリストがきわめて明瞭に、また、この上なく立派に述べている。このように生の享楽を適度に重んじる考えをすてない限り、われわれは国民の道義を維持することはできないであろう。なぜなら、さもなければすべての人が結婚するということもできないからである。しかし、結婚外の性的関係は一種の動物的状態への逆転であり、だから教養ある人には、ましてキリスト者には、ふさわしくないものである。マタイによる福音書一九の四―一二。

 結婚は神の望み給うた人間の生活状態であって、どのようなやり方にもせよ、結婚に反対する者は、禍いを招くにちがいない。これは、たとえば、つねに見受けるように、姦通者の子供は決して繁栄しえないし、また結婚しないで結婚したのと同様に生活しようとする人たちは――まもなく理想に対する精神をすっかり失い、それに対して無感覚になりがちだが、――そのような最悪の意味においてだけでなく、なお、結婚そのものの内に、神のみこころにかなった正しい本質があり、またそこに、男女の間の正しい自然な力の配分も存するにちがいない、という意味においても、正しい結婚に反対することは禍いのもとである。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫