蜀犬 日に吠ゆ

1919-05-31

[][]五月三十一日 現代の聖職者たちが はてなブックマーク - 五月三十一日 現代の聖職者たちが - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

五月三十一日

 現代の聖職者たちが、どのような表情をしていて、そのためどのような印象を人に与えているかは、簡単には言えない。時にはそれらしい表情が「あまりに度をすごし」ていることで、時には「あまりに少なすぎる」ことでも、当代の聖職者だということが見分けられる。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-05-30

[][]五月三十日 現代の世間人たち はてなブックマーク - 五月三十日 現代の世間人たち - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

五月三十日

 現代の世間人たちの表情や態度全体がありありとこう語っている、「私は、私自身をのぞいて、周りのあらゆるものを軽蔑する。なにしろ私はそいつらとはまるっきり無関係なんだから。」その表情や態度にそれが表れていない時でも、ひどい心の不安定や、ひとになにか印象づけたいという願いがひそかに隠されているものだ。もっとも、そういう気持はたいていすでにうわべのおしゃれとなって現れているのだが。

 われわれは、われわれの子供たちをこのような流儀に近づけさせず、もう一度、より人間らしい態度に慣れさせるように、全力をつくさなければならない。しかしここしばらくは、金持ち連が自信たっぷりにこのよくない傾向の音頭を取るにちがいない。彼らはほとんど残らず、いくぶん粗野な、上から人を見おろすような眼ざしを持っている。それに、いかんあがら学者たちまでが彼らをまねて、しきりにそんな態度をとり、そこで「お上品」というのが彼らの口癖になっている。このような気風を要請する処は、立派な館邸のほか、現代の保養地であって、そこでは人びとは大勢の、さまざまな人と、内心は冷淡に、それどころか不親切にさえ、交際しており、その土地の元からの住民にはまるで目もくれないのが普通である。それだから保養地は、とりわけ子供たちのためによくない滞在地である。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-05-29

[][]五月二十九日 われわれが出会うそれぞれの人のために はてなブックマーク - 五月二十九日 われわれが出会うそれぞれの人のために - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

五月二十九日

 われわれが出会うそれぞれの人のために、われわれは何かしてやったり、言ったり、考えたりする責任がある。

 次のようなことをためしてみなさい、世間の人たちは、それをお上品と考えるからか、出会う人に対して、親しみの眼差しを向けもせず、冷淡に、そればかりか軽蔑をもってやりすごすことさえあるが、あなたはそうしないで、もしあなたがなにも言ったり行ったりできにくい場合は、少なくともその際なにか善いことや親切なことを考えてやるがよい。しかしこのような場合はたいへん多いものであり、それがまたあなたの内的進歩のためのよい機会ともなるだろう。なぜなら、人びとはしばしばわれわれにつかわされた使者であり、神が通例用いられる不断の郵便配達人であるからだ。だが、いうまでもなく、神に反する霊の使者であることもある。

 ところで、あなた自身は人びとに対して、どちらの霊の使者であり、郵便配達人であろうか。これこそ、大切な問題である。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-05-28

[][]五月二十八日 神は時おり自然の出来事や自然の事物を通して はてなブックマーク - 五月二十八日 神は時おり自然の出来事や自然の事物を通して - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

五月二十八日

 神は時おり、自然の出来事や自然の事物を通して、私たちに話しかけることもある。これは現代の人びとにとって、まだしも一番早わかりのする言葉である。時には花を通しても、特に愛らしい話し方で語られる。しかし、いつも生気を欠く切り花や、温室で人工的に育てられた花を通して話されることはない。――ヴァンダル族*1のような、乱暴な女たちの手でどしどしむしり集められ、じきにしおれてしまうアルプスの花は、ただ悲しい言葉しか語らない。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:紀元五世紀にローマに侵入し文化を破壊したゲルマンの一種族。

1919-05-27

[][]五月二十七日 キリスト教の人生観と結びつくすべての幸福を はてなブックマーク - 五月二十七日 キリスト教の人生観と結びつくすべての幸福を - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 キリスト教の人生観と結びつくすべての幸福を、前もって知ることができるなら、世の人びとはこぞってこの教えに集ってくるだろう。彼らが歩む道では、それに似たものはなにも見つからないからだ。そしてまた、この世俗の道で出会うであろうあらゆる困難が、ただちに最初からひとまとめに予見できたら、だれ一人その道を踏むものはないだろうに。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-05-26

[][]五月二十六日 真のキリスト教が実際驚くほど単純で はてなブックマーク - 五月二十六日 真のキリスト教が実際驚くほど単純で - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 この真のキリスト教が、実際驚くほど単純で、ほとんど子供にもできるくらい容易なものだと思えるような、幸福な時間や、日々があり、いや、長い期間があるのである。

 実際、通例はその通りである。子供のように信頼して神の導きに身をゆだね、また祈願するままに与えられる生活は、決してむずかしいものではない。だが、そうする代りに、むしろ真のキリスト教に対する世間の反抗やその評言が、気にかかる別の瞬間もある。キリスト教の諸派の代弁者自身も、彼らが正しいとしないこのようなキリスト教を決して認めようとしない。その上、世間的な意味での偉大なものへ反対は、その偉大なものが成功するとともに消えるのが普通だが、キリスト教への反対は弱くなるときがない。そればかりか、死によってさえ、それらの反対はとり除かれない。われわれはこのことを覚悟していなければならない。さらに、攻撃を受ける方の人も、ときどき陰気な瞬間に、自分は人生のほかの道を進めばもっと成功しただろうにとか、自分は人生の「真実」とその空しい幻影とをとり違えてしまったとか、そんな気にもなる。キリストでさえ、だれからも見捨てられ、二人の強盗の間にはさまれて十字架につけられながら死期を迎えたとき、やはりそのような瞬間を味わった。けれどもかれはこの最も困難な最後の試煉にうち勝って、彼の神への信仰が義と認められたのである。もしこの事実(マタイによる福音書二七の四六*1)が、われわれに伝えられていなかったなら、キリストは決してわれわれと同じ種類の人間ではなく、また人間の最大の苦しみを彼自身は経験しなかったとも、言えるだろう。同じ福音書二七の五〇*2は、ヨハネによってのちに語られた、あの平静で崇高な「すべては終った」という言葉*3とは矛盾しているとさえいえる。しかし確実な事は復活である。これのみが事態を救うものである、そうでなければ、この最後は人を意気消沈させる、重苦しい悲劇ともなったであろうに。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:そして三時ごろに、イエスは大声で叫んで、『エリ、エリ、レマ、サバクタニ』と言われた。それは『わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか』という意味である。」

*2:「イエスはもう一度大声で叫んでついに息をひきとられた。」

*3ヨハネによる福音書一九の三〇、「すると、イエスはそのぶどう酒を受けて『すべてが終った』と言われ、首をたれて息をひきとられた。」

1919-05-25

[][]五月二十五日 わたしの知っているキリスト教の教理 はてなブックマーク - 五月二十五日 わたしの知っているキリスト教の教理 - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 わたしの知っているキリスト教の教理(使徒、教父、中世の神の探求者、宗教改革者、その後の説教者とか哲学的著述家などの)の中で、わたしはキリスト自身の教えを特別によく理解した。そしてキリストの教えが、ただそれだけが、真実の、それだけが信頼するに足るキリスト教であると信じている。われわれは、どんな教会中心の思想よりも、この教えを固く守ることが最善の道である。

 わたしは自分の全生涯をかえりみて、全くただこの一点に価値を置くものである。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-05-24

[][]五月二十四日 たしかに世の中は皮相な知識で はてなブックマーク - 五月二十四日 たしかに世の中は皮相な知識で - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 イザヤ書四五の二二、六一の一―三*1。たしかに世の中には、――ただ皮相な知識でそう思い、また見のがしがちであるよりもずっとしばしば――口では言えぬほど苦しい運命があり、しかもその原因はほとんど不可解なように見える。なぜなら、かつてヨブに対してその友人たちが主張したこと、すなわち、不幸はただその人が過去に犯した不正の結果にほかならぬという理論では、あらゆる場合にわたって不幸の原因を説明するには不十分だからである。けれども、神の恩寵に頼り、それにすがってきた者が、いつまでも内からの救いも外からの助けもなく、絶望して死なねばならなかったというようなことは、幾十億の人間の運命のなかにそのような明瞭な実例がただ一つでも見つかったらそれで初めて立証されることがらであろう。

 だが、歴史からも、また私自身がたどった人生行路からも、そのような例は一つも知らない。ただキリストはこれに反する最大の実例であり、彼のあとでは、パウロや、近世ではゴルドン将軍くらいが、そうである。

 それと反対に、個人的な神の信仰がなくて、ヘッケル流の一元論とか、その他のいい加減な、あるいは完全な無神論哲学とか、単にヒューマニズムや社会主義や、芸術崇拝や知識欲や、個々の人への愛情だけをもって、この労苦と困難にみちた地上の生活を、心の痛手も受けずに楽しくやり過すことは、これも同じように不可能だと考えねばならない。この場合、とうてい解決の見込みのない現世につづく存在の問題は全く別としても。だが、よりよき存在への期待がなければ、地上の生存は、たとえ最良の場合でも、いささかあわれすぎるだろう。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「地の果なるもろもろの人よ、わたしを仰ぎのぞめ、そうすれば救われる。わたしは神であって、ほかに神はないからだ。」「主なる神の霊がわたしに臨んだ。これは主がわたしに油をそそいで、貧しい者に福音を宣べ伝えることをゆだね、わたしをつかわして心のいためる者をいやし、捕われ人に放免を告げ、縛られている者に解放を告げ、……また、すべての悲しむ者を慰め、シオンの中の悲しむ者に喜びを与え、灰にかえて冠を与え、悲しみにかえて喜びの油を与え、憂えの心にかえてさんびの衣を与えさせるためである。……」

1919-05-23

[][]五月二十三日 人生の一つの時期の終わりに はてなブックマーク - 五月二十三日 人生の一つの時期の終わりに - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 人生の一つの時期の終りにあたって、あなたは、その期間中に神によってどれだけかの真理が教えられたことに対して、神に感謝しなさい。それらの真理はそれ以前にはおそらくまだそれを学ぶ時でなく、それを認識しうるまで成熟するには、この時期を待たねばならなかったのである。

 真理はすこしずつ与えられて初めて、われわれに消化されるもので、それがわれわれの身にならないかぎり、なんの役にも立たない。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-05-22

[][]五月二十二日 教会の讃美歌に歌われている「聖なる単純さ」 はてなブックマーク - 五月二十二日 教会の讃美歌に歌われている「聖なる単純さ」 - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 われわれの教会の讃美歌に歌われている「聖なる単純さ」についても、事情はやはり同じである。これらの歌から語っているのは謙遜の霊であって、これはアメリカ哲学の理想と思われる「自我の主張」からは完全に自由なものである。この点では、一般民衆から出た人びとの方が、もし彼らが本当に善良であれば、教養ある人たちよりもつねにまさっていよう。彼らは必ずしも「立派な人格」でありたいと願わないで、「奉仕すること」が彼らには、わたしたち以上に、自然なことである。教養を積んだ婦人たちにも、奉仕はますます容易になるようで、一般的に見て、この点では婦人たちの方がわれわれ男性よりも進んでいるように思われる。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-05-21

[][]五月二十一日 一般に個人主義と呼ばれている はてなブックマーク - 五月二十一日 一般に個人主義と呼ばれている - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 われわれは、一般に「個人主義」と呼ばれている、エマソン流の洗練されたエゴイズムに陥らぬように、つねに注意しなければならない。そこに教養の高い人びとにとっての危険が潜んでいる。それに早速いいそえたいのは、われわれは神の生きた恵みと助力がなければ、とうていこの危険を避けることができないということである。もっとも、この神は決してユニテリアン主義の神ではありえない。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-05-20

[][]五月二十日 一般にキリスト教的愛と呼ばれているものは はてなブックマーク - 五月二十日 一般にキリスト教的愛と呼ばれているものは - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 一般に「キリスト教的愛」と呼ばれているものは、今日では明らかに多くの人たちにおいていくらか「冷え」かかっている。根本的にいえば、本当はもはやほとんど以前のように大規模には存在しないといえる。そのことを知るには、ただちょっと教会に出かけて行って、同じ教派に属する人びとがどんなに冷淡に並んで坐っているか、また、彼らは長年の間同じ土地に住みながらも、全く互いに知らないかを、見るだけでよい。さらに、教会によって設立され援助されてきた諸施設が、ほとんど全部欠損と財政難に悩んでいる事実が、このことを雄弁に証明している。ところが救世軍の方は、その莫大な経費に対して、いたるところで、しかも組織的な教会などもなしに、資金を集めている。これは救世軍を支持しようとする傾向が一般にあればこそである。この事実は、明らかに教会全般の改革を要する状態と関連するものである。実際、教会それ自体が、もはや民衆の愛を救世軍と同じ程度に持っているわけではなく、したがって教会は今以上に民衆の愛を要求することも、組織することもできないからである。次の時代の主な課題は、より活気に満ちた教団を再建することであろう。たしかに古い土台の上に、しかし新しい精神をもって。


  「ああ、生命(いのち)の流れよ、豊かに注げ、

  さえぎるものあらば、つき破れ。」

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-05-19

[][]五月十九日 神が望み給う人間の状態で はてなブックマーク - 五月十九日 神が望み給う人間の状態で - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 ピリピ人への手紙三の一五、ローマ人への手紙六の一四、エペソ人への手紙五の八*1。これらは、神が望み給う人間の状態であり、そして私たちがこの地上において到達すべき、また、到達しうる状態である。これによって、あすの火のための心配もなく日々をすごし、どのような場合にも、神の導きと明らかな指図を受け、こうしてできるかぎり最も安楽な生活をいとなむことも可能である。なおヨハネの第一の手紙四の六、五の三*2も、適切な言葉である。

 この二人の使徒(パウロとヨハネ)は、明らかにその生涯にこのような状態に到達していた。そして私たちも、それを願うならば、そこに到ることができるのである。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「だから、わたしたちの中で完き人たちは、そのように考えるべきである。しかし、あなたがたが違った考えを持っているなら、神はそのことをも示してくださるであろう。」「なぜなら、あなたがたは律法の下にあるのではなく、恵みの下にあるので、罪に支配されることはないからである。」「あなたがたは以前はやみであったが、今は主にあって光となっている。光の子らしく歩きなさい。」

*2:「しかし、わたしたちは神から出たものである。神を知っている者は、わたしたちの言うことを聞き、神から出ない者は、わたしたちの言うことを聞かない。これによって、わたしたちは、真理の霊と迷いの霊の区別を知るのである。」「神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである。そして、戒めはむずかしいものではない。」

1919-05-18

[][]五月十八日 国家的政策によって、なんらかのよい成果が はてなブックマーク - 五月十八日 国家的政策によって、なんらかのよい成果が - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 エレン・ケイ流の「啓蒙」運動によって、あるいは社会主義者やポーランド人やローマ教皇党員に対する国家的政策によって、なんらかのよい成果が挙げられるなどと、信じてはいけない。上流階級の人びとは、もう一度、単なる美的生活の享楽から離れなければならない。しばしば引用されるゲーテの言葉「学問や芸術を有する者は、宗教をも有するものだ」という考えに従えば、美的生活の享楽が彼らの宗教となってしまったのである。とにかく、下層階級の人にはもう一度信仰が与えられねばならない。けれども、このことは、ただ多くの人の個人的努力により、また真の正しい宗教によってしか実現されない。だが、実際には、おそらくまた不幸を通じて実現されることになろう。というのは、経験上から見ても、このような、より全般的な、最も分かりよい実地の教訓がなければ、単に説教や講演だけで、社会が改善されたためしがないからだ。上からの模範と不幸な出来事とが、民衆にとっては一番効果のある教育手段である。だから、私の考えによれば、プロテスタント教会を改革して従前よりもはるかによいものとすることに、すべての努力が向けられねばならない。これは可能なことであり、そしてそれが革新の中核をなすであろう。なぜなら、世の人びとは現在たしかに宗教に帰りたいと願っているからである。それには、国家の力や社会政策だけでは不十分であり、それいこれらも宗教なしでは正しい基礎を欠くことになる。学問や芸術は、それが本物であれば、よいものにちがいないが、しかしどんな場合にも、宗教に代わりうるものではない。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-05-17

[][]五月十七日 もしあなたが一度神の接近を はてなブックマーク - 五月十七日 もしあなたが一度神の接近を - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 もしあなたが、一度神の接近を体験したなら、その感銘は終生忘れることができないだろう。けれどもそれは、祈りによっても、儀式によっても、または断食やそれに類する方法によっても、招き寄せることはできない。むしろそれは、求めずして突然に、さながら旧約聖書の天使のように、訪れてくるのである。確かにそれに似た幻像(まぼろし)もあって、これは求めて得ることができる。しかし、こういうものは恍惚状態にある聖者たちの神経を錯乱させたりするが、これに反して真の神の接近は、この上ない健康の実感と来世の存在の前味(まえあじ)とをあとに残すのである。さらに、それはつねに神のなにかの告知であるが、委託か命令であって、にせ物の場合のように、単に楽しみなどでは決してない。だが、現代人はこれについて何を知っているだろう!

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-05-16

[][]五月十六日 人々が巡礼することになっている聖地は はてなブックマーク - 五月十六日 人々が巡礼することになっている聖地は - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 人々が巡礼することになっている聖地は、そこでだれかがなにか信仰上の強い感銘を受けた場所とか、さらに神の召しを受けた所である。そういう場所は必ずしも教会とはかぎらない。同じようにしばしば家の中の部屋や野や森や山の上でさえもある――。そこで、このような所である人が神に接するということは、元来つねに個人的なものであるのに、そのような場所が多くの人たちにもはっきりした効験をあらわすように思われると、後世の人びとは、そこに一つの教会堂を建てたりするが、その場所はもとより神の霊を縛りつける力などあるわけがない。あるいはまた、このように神へ接近した人の抜け殻(その人の遺骸)の上に教会堂を造ったりするが、あたかもそれは、脱ぎすてられた生前の衣服と同じく、神の接近とはなんのかかわりもない。なにかを尊崇したいという要求は、たしかに人間の本性にそなわっている。しかし、偶像を拝することは、真の敬神よりもはるかに容易である。なぜなら、真の敬神とはある精神的内容を把握して、それに倣おうとして積極的に努力することだからである。従って、崇拝者たちはほかにもっと自分に都合のよい崇拝の対象を発見するとか、それとも、崇拝される者が彼らに十分な感化力を持たない場合には、彼らはたやすく背教者や反逆者になりかねない。すべての宗教の創始者は、ほどよく早目に世を去らなかった場合、つねにそのような目にあってきた。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-05-15

[][]五月十五日 ストア主義者の はてなブックマーク - 五月十五日 ストア主義者の - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 ストア主義者のあの「耐えよ、忍べよ」はなんといっても正しいものではなく、少なくとも、すべての場合に必ず正しいとはいえない。健全な、雄々しい気象の人はつねにそのような生き方に反対するであろう。とくに事が人間に対する反抗とか、盲目的な「不合理な」運命に対する抵抗にかかわる場合にはそうである。だが、人間を愛する神のみこころと導きに従うのは、それとは全く別ものであり、もっと積極的なものである。

 しかし、あなたがストア主義者に倣おうとするのなら、少なくとも不平や不満なしに、静かな諦めのうちにそれをするがよい。いったい、不平がましい哲学というものは、たとえばショーペンハウアーの哲学のように、全体としては(彼の言葉の個々においてではなく)、生活基準としてほとんど実質的価値がなく、また世界原理としても全然用をなさない。だからわれわれには、エピクロスや彼の門弟のルクレティウスの方がまだしも好ましいといってよいし、さらにカントもそうである、たとえ彼のそれ自体理性的な要請に対する実証的基礎がどんなに薄弱であろうとも。

 一般的にみて、現代の哲学は人に影響を及ぼすことがほとんどない。教養ある人びとでさえ折衷主義者であって、一定の指導者にひたすら従うことはしない。かつてのすぐれた指導者のうちの幾人か、例えばヘーゲル、シェリング、フィヒテ、ヘルバルトのような人びとは、ほぼ忘れられてしまって、ただわずかに大学の講義や教科書のなかで余命を保っているだけである。その他の人、例えばクーノー・フィッシャーなどは、要するにただ才気ある講義を行った人にすぎず、決して人生の指導者ではなかった。現代における人生指導的な種類のものとして決定的な方向は、ゲーテ的なもの、すなわち自分自身と世界とを美的に享受する傾向であるが、この行き方は下層の階級では無神論的唯物主義に堕してしまっている。そして今一つそれに対立する方向は宗教的なそれであるが、しかしこれはおそらく過去の教会的形式を多かれ少なかれ変革することになるであろう。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-05-14

[][]五月十四日 ひとは過ぎ去ったことを はてなブックマーク - 五月十四日 ひとは過ぎ去ったことを - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 マタイによる福音書六の三三・三四*1のために。

 ひとは過ぎ去ったことをもはやかれこれ考えず、また同じように将来のためにあまり取越し苦労しない習慣を一旦養ったならば、時間の点でも、心のやすらぎの点でも、実にうるところが多いであろう。

 しかしそのためには、われわれのことを心にかけている誠実な神を持つことが肝要である。そうでなければ、ことに心配のない生活などは不可能であり、それこそまさに軽率というものだ。神にたいする溌剌たる愛と結びついて、はじめて不安のない生活ができるのであって、すでに多くの人がその生涯でこのことを経験している。私自身にとっては、以前私の心配のたねになった多くの苦難が、それによってまったくとり除かれるか、それともずっと耐えやすいものとなった。また私の生涯におけるすべての善は、私が予期しないのに不意にやって来た。たいていの場合、私はそれに対して十分な用意をしていなかった。というのは、神が私に対して抱いている道に添わないような計画に、私は多くの時間を浪費していたからである。人間を頼りにすることは常に危険である、しかもそれらの人が身分あり、高い地位にあればあるほど、ますますそうである。エレミヤ書一七の五―九*2

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて添えて与えられるだろう。だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」

*2:「おおよそ人を頼みとし肉なる者を自分の腕とし、その心が主を離れている人は、のろわれる。……おおよそ主をたより、主を頼みとする人はさいわいである。……」

1919-05-13

[][]五月十三日 数ある書物の中で聖書にまさるものを はてなブックマーク - 五月十三日 数ある書物の中で聖書にまさるものを - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 数ある書物の中で聖書にまさるものを、あなたは見出さないだろう。なにかよい本を探し求めるというこの段階を、あなたは省いてもよいのである。だが、キリストの言葉をどのような仕方で読むか、すなわち、そのような人生観や世界観に対する愛好心をもって読むか、あるいは歴史的もしくは哲学的批判をもって読むか、あるいは機械的に規則正しいやり方でか、それとも深い反省もなくただ言葉のうわべだけを追うのか、その読み方しだいでキリストの言葉はあなたに全く違ったものに見えてくるだろう。それらの言葉は、まさに彼自身が語ったように、全く「霊でありまた命である」(ヨハネによる福音書六の六三)。こう言ったからといって、あなたがそのほかのものを読んではならないというのではない。それどころか、あなたが教養ある人になりたければ、むしろ読まねばならない。しかし、あなたをキリストの言葉から他にそらすものは、正しいものとはいえない。あなたは、それらをただ教養のための材料として用いることができるにすぎない。

 宗教的内容をもつ実にたくさんの書物(その中に教父たちやスコラ学者のものも含めて)については、次のように言ってよい、これらの書物は真の意味で「信仰を高める」ようにはたらくよりも、むしろはるかに精神に重荷を負わせ、昏迷にみちびくように作用する、と。あなたが神学の研究をするのでなければ、それらをことごとく読んでしまう必要はない。それぞれの種類からその見本を一冊でも読めばたくさんであろう。

 私自身は、それらの多くの本で、ずいぶん苦労をした。もしも私が、たやすく他人の説に感服させられないだけの良識を持ち合わせていなかったら、精神的危険にみちたこのジャングルを、無事に通り抜けられなかったであろう。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-05-12

[][]五月十二日 健康なこころよい十分な睡眠を はてなブックマーク - 五月十二日 健康なこころよい十分な睡眠を - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 健康な、こころよい、十分な睡眠をとるように心がけなさい。これはたしかに、だれにでもできるわけではない。だが、なんといっても、これは最良の神経鎮静剤であり、心の興奮に対してもいちじるしい効能がある。よい眠りのあとでは、ものごとが全く違って見え、前の晩には、まるで行く手をはばむ巨人のように思われた難事をも、笑いたくなるものである。そればかりでなく、われわれ自身がそれを望むならば、体についての不断の気づかいもない健康状態を保って、善人ばかりとの交わりのうちに、これからの全生涯を送ることもできる。こう想像すれば、これ以外になお別のものを求めるのは愚かだと自分を叱り、世間の人がひどく熱心に努力し、追求するものの大部分を、全くばかげた事として棄て去ってしまうだろう。こうなれば、まことの生活に到るまっ直ぐな道をすすんでいるのである。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-05-11

[][]五月十一日 あまりにたくさん書きすぎた はてなブックマーク - 五月十一日 あまりにたくさん書きすぎた - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 あなたはおそらく、取扱う事柄がまだ十分熟しない前に、あまりにたくさん書きすぎたのでしょう。世間ではそういうのを、「すっかり書きほす」とか、「生きつくす」とか言っている。そしてその例として、ゲーテやその他の詩人たち、特にバイロンをも、挙げたりする。こういう生き方によって、周知のような才気あふれる情熱的場面の描写が生れるが、しかし自分に役立つような人生哲学は決して生れない。そこで、このような人びとは、老年にいたるまでついにそういう哲学を持たずに終るのが常である。ずっと晩年になってからも、彼らは往々、青年時代にふさわしいような情熱的興奮に陥ることがある。するとそれさえも彼らの追随者によって、すばらしいことだと感嘆されるのである。

 あなたは広く世間の人に呼びかける前に、まず自己の成熟のために、あなたの内的形成に時間を与えなければならない。もっとも、今日では、やっと学校を出たばかりの連中が猫も杓子も、世間に呼びかけたがるのだが。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-05-10

[][]五月十日 まことの善への はてなブックマーク - 五月十日 まことの善への - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

  あなたのみ言葉は力づよく、

  精神と魂へしみとおる。

  あなたの軛は快く、み霊の導きは確かであり、

  はや天国の門が開かれている。

     (同胞教会讃美歌九七三番)


 もしひとが、まことの善への正しい指導者になりたいと思うならば、まさにこの歌のように人びとを導かねばならない。そして相手の心の中の嵐や燃える火をあまりに早く静めようとしないで、心の固い殻を溶かすのに必要なだけの時間を、相手に与えねばならない。その上で、適当な時に適当な言葉をおだやかな声で語ること、これが教育の秘訣である。しかしこれを会得した教育家や牧師は、いつの世にもわずかしかいないし、それにこの秘訣は、「学問の体系」のなかに編みこむことができない。それを会得するには、自分のあまたの人生経験とある種の心理学とが必要である、もっともそれは、大学などで教える普通の心理学ではないが。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-05-09

[][]五月九日 「神の探究」については はてなブックマーク - 五月九日 「神の探究」については - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 いわゆる「神の探究」については、列王記上第一九章(特にその一一・一二節参照)にこの上なく見事に描かれている。それには、人生目的に対する絶望や火や嵐がつねに伴いがちである。しかし、正しいものはおだやかな説き勧めの声をもって訪れてくる。あまりに早く、まだ初歩的段階にありながら、他人に呼びかけようとする人たち――しかも、ニーチェにいたるまで、本当の声を待ちきれなかった人たちがいつもなんと多かったことだろう――彼らは結局誤った哲学や宗教学説をうち立てることになった。そして、これらの学説は、同じような段階にある多くの人びとに出会うとき、これらの思想家のうちに宿る激しい情熱によって、その影響力を及ぼすのである。だが、パウロのように、貸すかな神の声に向かって開かれた耳を獲得するまで、辛抱し抜く者はきわめてまれである。けれども、あらかじめ疾風怒濤の苦悩の時期を経なければ、人の心は十分に開かれることがない。そこで、確固不抜の信念が生じないで、ただ教義の習得と口まねになりがちである。こうなると、それこそ「成果が挙らないこと」を嘆く「働きのない」説教師や著述家が生じる羽目になる。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-05-08

[][]五月八日 しかしわれわれはキリスト教をもって はてなブックマーク - 五月八日 しかしわれわれはキリスト教をもって - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 しかし、われわれはキリスト教をもって日常生活の無数のささいな事柄にどのように対処し、それにうち勝って行くべきであろうか。このように、誠実な多くの人びとが自問するのもまんざら理由のないわけではない。だが、その点にちょうど彼らのキリスト教信仰の程度と内容とが現れている。もし彼らのキリスト教がただ学んで得たものか、また人生の大事件のために役立てようと受けいれたものにすぎないならば、小事においては、人間の自然のままの「本性」がその「権利」を主張するのは当然である。ところが、小さな事柄はずっとひんぱんに起こるものだ。もしそのキリスト教が完全にキリストの考えた通りのものであれば、このような大小の区別はもはや存在せず、小事にも大事にも同じ精神が示されるであろう*1。しかし本当にそうなるまでには、人生においてかなり長い期間が必要である。それはとにかく、怒りっぽい、気むずかしい、心の狭い、貪欲な、あるいは、富や身分に執着するキリスト者というものは、決して見よい図ではない、もっとも「この世の君」にとっては、別であろうが。というのは、サタンは、そういう人間の場合、それらの「いやしい性質」につけいって、彼らを捕える見込みがあるからだ。マタイによる福音書一二の三五*2

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1ヨハネによる福音書二五の四〇、「あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである。」

*2:「善人はよい倉から良い物を取り出し、悪人は悪い倉から悪い物を取り出す。」

1919-05-07

[][]五月七日 イザヤ書は数千年も前に書かれたものであるにも はてなブックマーク - 五月七日 イザヤ書は数千年も前に書かれたものであるにも - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 イザヤ書五四の一七*1、六〇の一四は、数千年前に書かれたものであるにもかかわらず、今日の新聞紙の攻撃に対して、なお一つのよい慰めとなる言葉である。実際、いずれの党派にも全く属していない者は、決してそのような攻撃をまぬかれえないのがつねである。ただ党派に属する者だけが彼らの新聞から尊重されるし、それだから反対派の新聞からも、本気に攻撃されるよりも、むしろ大目に見られたり、ほめられたりする。中立の人びとは、自分たちが預言者の言葉どおりこの上なく有力な保護を受けていることを、はっきり知らなくてはならない。エレミヤ書一五の一九―二一。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「すべてあなたを攻めるために造られる武器はその目的を達しない。すべてあなたに逆らい立って、争い訴える舌は、あなたに説き破られる。これが主のしもべらの受ける嗣業であり、また彼らがわたしから受ける義である。」

1919-05-06

[][]五月六日 現代の最悪な現象の一つは はてなブックマーク - 五月六日 現代の最悪な現象の一つは - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 現代の最悪な現象の一つは、すべての文明国において下層の階級の大衆がキリスト教から、またおよそ宗教的なものから全く離れ去り、ひたすら社会主義の未来国家に彼らの状況の改善を期待していることである。この点で彼らがやがて失望するであろうことは、彼らにとってもう一つの不幸である。だが、この不幸は、なんらかの改善が始まる前に、まず個々の国において起るにちがいない。まさにキリスト教こそ、貧しい者、虐げられた者のための、およそ世にあるかぎり最上の世界観をふくんでいること――これを個々の人に理解させるのが、今や教会や学校の任務であろう。ところがこれまで、両者ともこの任務をただ不十分にしか満たしていない。ただ救世軍だけが、実践的にこの事に励んできたが、教会もふたたび大衆を獲得しようとすれば、この実例にならなわねばなるまい。単に日曜日の説教や宗教授業や堅信式の指導だけで、なすべきことがすんだとはいえない。だから、われわれの教会にある改革を行って、一層活気ある社会的施設に変ずることを怠ってはならない。これに反して、聖職者たちが普通の社会主義に心を寄せるのは、大きな誤りである。なぜなら、社会主義は徹頭徹尾無神論であり、従って祝福と繁栄を伴わないからである。ところがキリスト教は、外部からなにか添加しなくてもすでに十二分に社会的なものをふくんでいる。だから、あなたは「キリスト教的にして社会的」と自称するものや、あるいは一般にキリスト教と今日の社会主義との結合を目ざすものを、一切信じてはならない。そういうものからは、よいものはなにも生じない。ただ真のキリスト教を活気づけることによってのみ、意義ある事が達成されるのである。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-05-05

[][]五月五日 来世の生活の様子については はてなブックマーク - 五月五日 来世の生活の様子については - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 ピリピ人への手紙三の一三―二一、四の六・七―一二・一三・一八。

 特に目立つことは、主自身ばかりでなく、その解説者であり第一の伝道者であったパウロも、来世の生活の様子については、ほんのわずかしか語らず、すでにこの地上の生活を未来の生活の準備としてきた人びとに、来世では疑いのない善福が与えられるという確実な期待を抱かせることで満足していることである。それだからわれわれも、やはりそれで満足すべきである。肉体に原因するすべての虚弱、不快、心配、苦悩などを免かれて、肉体なしの生活が行われるということは確かである。そしてそのことだけでも、本当に私たちの心を、来世に対する切なる憧れで満たすにちがいあるまい。しかしまた、来世では、神に一層近くなり、新しい精神的進歩をなすであろうということも、まちがいなく想定してよろしい。同じように、それにふさわしい、よろこばしい活動、しかも地上の労働に伴う重荷や性急さの不安のない活動が、われわれの運命となるであろう。だが、その他のことはすべて確実ではない。この地上で交わったすべての人と再会できるか、またこの世での私たちの個性をそのまま保持するかどうかも、不明である。たしかに後者は私たちの希望の一つにちがいない、さもなければ完き希望とはいえないだろうから。だが、地上のものの記憶は、それが来世における個性の保持に必要と思われないかぎり、私は断念するであろう。だから、善き最終目的に到達するために、なおこの世でできるだけのことをするのが、最もよい道である。イザヤ書五二の一二、五五の一二・一三。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-05-04

[][]五月四日 われらの兄弟N氏とか姉妹X嬢が はてなブックマーク - 五月四日 われらの兄弟N氏とか姉妹X嬢が - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 われらの兄弟N氏とか、姉妹X嬢が、まことのキリスト者であるかどうか、あなたは知りたがっているようだ。

 私はマタイによる福音書七の一・二*1の言葉を前にして、これに答えるのをさし控えよう。しかし、あなたは全体として真のキリスト教に対する一つの基準を、同じ福音書の第五章から第七章のうちに見出すことができる。主自身それを七の二〇・二一*2にはっきり示されている。これに較べると、教会とか、何かの信条とかに対する「信仰」は、なんの値打ちもないものである。ただ単純に軍隊的な感情にしたがったにすぎない、ある異教徒(カペナウムの百卒長)の信仰でさえ、キリストによってイスラエル第一の信仰として宣言されている(マタイによる福音書八の五―一〇)。これは今日もなお変りないものである。

 だから、マタイによる福音書第五章から第七章までを読んで、正直に、「そうだ、これは宗教の最もよき、最も真実の、永遠に価値ある神髄である。私は多分それを実行しているとはいえまいが、しかし実行することを願い、また真面目にやってみようと思う、」と言う者は、真のキリスト者である、たとえその人が現在どの教会にも属していない者であっても。また、そんなことは不可能だと考えたり、あるいは、すでに古臭くなって、もはや今日の生活条件には全く合わないものだと思う者は、次のステッドの激しい言葉をかえりみるがよい、ひとは自分の魂を株式取引所で失うと同じように、教会でも失うおそれがあるものだ、と。あなたも、あなたがたの信者の集会で自分の魂を失わないように気をつけなさい。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「人をさばくな。自分がさばかれないためである。あなたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたが量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。」

*2:「このようにあなたがたはその実によって彼らを見わけるのである。わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨(みむね)を行う者だけがはいるのである。」

1919-05-03

[][]五月三日 このような愛 はてなブックマーク - 五月三日 このような愛 - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 このような愛、あるいはそれをむしろ友愛と呼びたいが、本当にこの愛の能力を持っていることを実証する人がどんなに少ないかを、あなたはなお生きている間に、経験するであろう。それでもあなたはその事に驚いて、愛をすててはならない。なんといっても、愛は、神のそば近くにあることに次いで、地上における最善のものである。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-05-02

[][]五月二日 地や戦争が起りしかもにせ預言者が現われ はてなブックマーク - 五月二日 地震や戦争が起りしかもにせ預言者が現われ - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 マタイによる福音書二四の六・七・一一―一四*1は、またもや、われわれが現在生きているこの時代に、ほとんどぴったり当てはまる。すなわち、すべての民族において、地や戦争が起り、しかもにせ預言者が現われ、またこの愛の福音についての皮相な説教とならんで愛の冷却が見られることなどがそれである。これに対して、われわれのなすべきことは、単なる唯物論に代って今やふたたび現われはじめたあらゆる狂信を遠ざけること、また、愛をできるかぎりこの世の中で生かしつづけることである。この後者の方がずっと困難な事柄である。なぜなら、愛が本当にその人生経験の結論となっているような人びとは、今日まだわずかしかいないからである。むしろ、その反対の結論を抱いている場合の方が、現代の教養ある階級全体を通じて普通になっている。それにもかかわらず、現在あるがままの世界は、どんな科学的啓蒙だの教養だのによっても今後有効に救われる見込みはなく、むしろただ、良識ある愛がいちじるしく増すことによってのみ、救われることができよう。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、あわててはいけない。それは起らねばならないが、まだ終りではない。民は民に、国は国に敵対して立ちあがるであろう。またあちこちに、ききんが起り、また地があるであろう。」「また多くのにせ預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。しかし最後まで耐え忍ぶ者は救われる。そしてこのみ国の福音は、すべての民に対してあかしをするために全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。」

1919-05-01

[][]五月一日 新生については はてなブックマーク - 五月一日 新生については - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 新生については、キリストがヨハネによる福音書第三章*1で比類なく見事に語っているのに、われわれの宗教改革者たちは、その他の教義にくらべて、このことを不思議にも軽く見ている。ところで、このような新生は、通常三十代において始まることが多いのである。それ以前にそのようなことが起っても、それは(いくらかの短命な人びとの場合をのぞけば)結局藁火にもひとしいものだ。それだから、堅信礼(カトリックでは少年期に行う)もあまり大した効果があるものではない。五十歳以後は、山上の説教にほぼ総括されているキリスト教の生活原理にしたがう生活の方が、最良の人たちでもたびたび退転しがちな、世界普通の生活よりも、ずっと容易で、自然なものだと思われるようでなければならない。そうなったら、あなたは教理問答書の初歩などをもうわきに片づけて、教会をすら従来ほどに重んじなくてもよく、いわゆる「完成への道を進む」(ヘブル人への手紙六の一)ことができる。この道はあなたにとって、十年毎にしだいに容易になって行くであろうが、しかしいつまでも、決して完成の域に到ったとは思われないであろう。おそらくわれわれは永久にわたって、このような段階的進歩の状況をつづけるものらしい。われわれの望むところは、あの立琴の音と歌声につつまれた「永遠の安息」ではなくて、活動力と勤労の中での完全な平安である。これはすでに、この地上でも、われわれの生活の最高の瞬間には、心地よく感じられるものであり、また明らかに、それがわれわれの求むべき真の生活の要素をなしているのである。マタイによる福音書五の四八、一一の二八―三〇*2

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1ヨハネによる福音書三の五以下、「だれでも、水と霊とから生まれなければ、神の国にはいることはできない。肉から生れるものは肉であり、霊から生れるものは霊である。あなたがたは新しく生まれなければならないと、わたしが言ったからとて、不思議に思うに及ばない。風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生まれる者もみな、それと同じである。」

*2:「それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」