蜀犬 日に吠ゆ

1919-05-01

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眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 新生については、キリストがヨハネによる福音書第三章*1で比類なく見事に語っているのに、われわれの宗教改革者たちは、その他の教義にくらべて、このことを不思議にも軽く見ている。ところで、このような新生は、通常三十代において始まることが多いのである。それ以前にそのようなことが起っても、それは(いくらかの短命な人びとの場合をのぞけば)結局藁火にもひとしいものだ。それだから、堅信礼(カトリックでは少年期に行う)もあまり大した効果があるものではない。五十歳以後は、山上の説教にほぼ総括されているキリスト教の生活原理にしたがう生活の方が、最良の人たちでもたびたび退転しがちな、世界普通の生活よりも、ずっと容易で、自然なものだと思われるようでなければならない。そうなったら、あなたは教理問答書の初歩などをもうわきに片づけて、教会をすら従来ほどに重んじなくてもよく、いわゆる「完成への道を進む」(ヘブル人への手紙六の一)ことができる。この道はあなたにとって、十年毎にしだいに容易になって行くであろうが、しかしいつまでも、決して完成の域に到ったとは思われないであろう。おそらくわれわれは永久にわたって、このような段階的進歩の状況をつづけるものらしい。われわれの望むところは、あの立琴の音と歌声につつまれた「永遠の安息」ではなくて、活動力と勤労の中での完全な平安である。これはすでに、この地上でも、われわれの生活の最高の瞬間には、心地よく感じられるものであり、また明らかに、それがわれわれの求むべき真の生活の要素をなしているのである。マタイによる福音書五の四八、一一の二八―三〇*2

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1ヨハネによる福音書三の五以下、「だれでも、水と霊とから生まれなければ、神の国にはいることはできない。肉から生れるものは肉であり、霊から生れるものは霊である。あなたがたは新しく生まれなければならないと、わたしが言ったからとて、不思議に思うに及ばない。風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生まれる者もみな、それと同じである。」

*2:「それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」