蜀犬 日に吠ゆ

1919-05-08

[][]五月八日 しかしわれわれはキリスト教をもって はてなブックマーク - 五月八日 しかしわれわれはキリスト教をもって - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 しかし、われわれはキリスト教をもって日常生活の無数のささいな事柄にどのように対処し、それにうち勝って行くべきであろうか。このように、誠実な多くの人びとが自問するのもまんざら理由のないわけではない。だが、その点にちょうど彼らのキリスト教信仰の程度と内容とが現れている。もし彼らのキリスト教がただ学んで得たものか、また人生の大事件のために役立てようと受けいれたものにすぎないならば、小事においては、人間の自然のままの「本性」がその「権利」を主張するのは当然である。ところが、小さな事柄はずっとひんぱんに起こるものだ。もしそのキリスト教が完全にキリストの考えた通りのものであれば、このような大小の区別はもはや存在せず、小事にも大事にも同じ精神が示されるであろう*1。しかし本当にそうなるまでには、人生においてかなり長い期間が必要である。それはとにかく、怒りっぽい、気むずかしい、心の狭い、貪欲な、あるいは、富や身分に執着するキリスト者というものは、決して見よい図ではない、もっとも「この世の君」にとっては、別であろうが。というのは、サタンは、そういう人間の場合、それらの「いやしい性質」につけいって、彼らを捕える見込みがあるからだ。マタイによる福音書一二の三五*2

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1ヨハネによる福音書二五の四〇、「あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである。」

*2:「善人はよい倉から良い物を取り出し、悪人は悪い倉から悪い物を取り出す。」