蜀犬 日に吠ゆ

1919-05-15

[][]五月十五日 ストア主義者の はてなブックマーク - 五月十五日 ストア主義者の - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 ストア主義者のあの「耐えよ、忍べよ」はなんといっても正しいものではなく、少なくとも、すべての場合に必ず正しいとはいえない。健全な、雄々しい気象の人はつねにそのような生き方に反対するであろう。とくに事が人間に対する反抗とか、盲目的な「不合理な」運命に対する抵抗にかかわる場合にはそうである。だが、人間を愛する神のみこころと導きに従うのは、それとは全く別ものであり、もっと積極的なものである。

 しかし、あなたがストア主義者に倣おうとするのなら、少なくとも不平や不満なしに、静かな諦めのうちにそれをするがよい。いったい、不平がましい哲学というものは、たとえばショーペンハウアーの哲学のように、全体としては(彼の言葉の個々においてではなく)、生活基準としてほとんど実質的価値がなく、また世界原理としても全然用をなさない。だからわれわれには、エピクロスや彼の門弟のルクレティウスの方がまだしも好ましいといってよいし、さらにカントもそうである、たとえ彼のそれ自体理性的な要請に対する実証的基礎がどんなに薄弱であろうとも。

 一般的にみて、現代の哲学は人に影響を及ぼすことがほとんどない。教養ある人びとでさえ折衷主義者であって、一定の指導者にひたすら従うことはしない。かつてのすぐれた指導者のうちの幾人か、例えばヘーゲル、シェリング、フィヒテ、ヘルバルトのような人びとは、ほぼ忘れられてしまって、ただわずかに大学の講義や教科書のなかで余命を保っているだけである。その他の人、例えばクーノー・フィッシャーなどは、要するにただ才気ある講義を行った人にすぎず、決して人生の指導者ではなかった。現代における人生指導的な種類のものとして決定的な方向は、ゲーテ的なもの、すなわち自分自身と世界とを美的に享受する傾向であるが、この行き方は下層の階級では無神論的唯物主義に堕してしまっている。そして今一つそれに対立する方向は宗教的なそれであるが、しかしこれはおそらく過去の教会的形式を多かれ少なかれ変革することになるであろう。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫