蜀犬 日に吠ゆ

1919-07-31

[][]七月三十一日 体の力をもいたわり はてなブックマーク - 七月三十一日 体の力をもいたわり - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

七月三十一日

 あなたが体の力をいたわり、できるだけそれを維持しようとつとめ、そのために医師のよき助言を用うるのは、たしかに、全く当然のことである。というのは、この生命を投げすててよいわけがないからだ。しかし、老年期における主要事は、おそらく肉体の生命の維持ではなくて、別の力をできるだけ強めることであろう。それは死にもうち勝ちうる力、つまり、精神力を十分に保ちながら元気よく人間を死につかしめる力である、ちょうどキリスト教について確かな根拠をもって語られているように*1。これについては、通常、医師はあまり知ろうとしない。なぜなら、今のところまだ、それは彼らの講義ノートに記されていないからだ。しかし、そのようなことは、確かにありうる事だが、ただ残念ながら、それはあまりにも稀れにしか見られない事実である。かようなより高い生命と、来世の力とを、すこしも自分のうちに持たない高齢者というのは、自分にとっても、他人にとっても、よろこばしい姿ではない。結局、自他いずれにとっても重荷にすぎないことがよくある。

 あなたはそのような羽目におちいってはならない。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1マルコによる福音書一五の三九、「イエスにむかって立っていた百卒長は、このようにして息をひきとられたのを見て言った、『まことに、この人は神の子であった』。」

1919-07-30

[][]七月三十日 ずっと老年になると はてなブックマーク - 七月三十日 ずっと老年になると - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

七月三十日

 ずっと老年になると、次のような二つの全く異なったことが感じられる折りがある、もっとも、それまだ経験しない人には理解しえないのは当然であろうが。

 すなわち、自分がまだ比較的若々しくて、生活力もあり、時には生の享楽欲さえ感じられる場合と、いま一つは、現在の肉体とはまるで無関係な、全く新しい、全く別の生命力が、自分のうちに始まっているのがわかる場合とが、そうである。これは混同されてはならない二つの別種の力であるが、とくに後者は、決して単なる空想ではありえない。というのは、それは、ひとが時としてそう思いこむかもしれない人間的な昂揚感とはなんら共通点はなく、また多くの場合、このような生命力は断じて神経の高ぶりなどではありえないからだ。むしろ、まさに死にもうち勝ちうる別の世界の力であって、かような力にとっては、人生の終りとしての死は存在しないのである。ルカによる福音書二三の四五・四七、ヨハネによる福音書一〇の一八、、一一の二五・二六*1・四〇、同じく五の二四*2、六の四七、八の五一。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

ルカによる福音書

LUKE 23

イエスの死

45 太陽は光を失っていた。神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。

45 Then the sun was darkened, and the veil of the temple was torn in two.

47 百人隊長はこの出来事を見て、「本当に、この人は正しい人だった」と言って、神を賛美した。

47 So when the centurion saw what had happened, he glorified God, saying, "Certainly this was a righteous Man!"

『新約聖書』ギデオン協会

ヨハネによる福音書

JOHN 10

イエスは良い羊飼い

18 だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟である。」

18 No one takes it from Me, but I lay it down of Myself. I have power to lay it down, and I have power to take it again. This command I have received from My Father."

『新約聖書』ギデオン協会

ヨハネによる福音書

JOHN 11

イエスは復活と命

25 イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。

25 Jesus said to her, "I am the resurrection and the life. He who believes in Me, though he may die, he shall live.

26 生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」

26 And whoever lives and believes in Me shall never die. Do you believe this?"

イエス、ラザロを生き返らせる

40 イエスは、「もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか」と言われた。

40 Jesus said to her, "Did I not say to you that if you would believe you would see the glory of God?"

『新約聖書』ギデオン協会

ヨハネによる福音書

JOHN 5

御子の権威

24 はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。

24 "Most assuredly, I say to you, he who hears My word and believes in Him who sent Me has everlasting life, and shall not come into judgment, but has passed from death into life.

『新約聖書』ギデオン協会

ヨハネによる福音書

JOHN 6

イエスは命のパン

47 はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。

47 Most assuredly, I say to you, he who believes in Me has everlasting life.

『新約聖書』ギデオン協会

ヨハネによる福音書

JOHN 8

アブラハムが生まれる前から「わたしはある」

51 はっきり言っておく。わたしの言葉を守るなら、その人は決して死ぬことがない。

51 Most assuredly, I say to you, if anyone keeps My word he shall never see death."

『新約聖書』ギデオン協会

*1:「イエスは彼女に言われた、『わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者はたとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じるものは、いつまでも死なない。……』。」

*2:「わたしの言葉を聞いて、わたしをつかわされた方を信じるものは、永遠の命を受け、またさばかれることがなく、死から命に移っているのである。」

1919-07-29

[][]七月二十九日 ドイツの英雄伝説の はてなブックマーク - 七月二十九日 ドイツの英雄伝説の - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 ドイツの英雄伝説のなかでは、『ヴァルターとヒルデグントの歌*1』が私の一番好きなものだった。このふたりの英雄の子たちがハンガリアから今のフランスまで、手をたずさえて落ちのびていく有様は、いかにも誠実なドイツ風の愛(ミンネ)(騎士的愛)と婚約関係の一幅の絵であって、くだくだしい言葉や感傷は一切ともなわず、ほかのゲルマン文学の、またおそらくあらゆる民族の、どんな詩にも見られないような、心情のあからさまな率直さと純潔さをもって描かれている。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:一〇世紀頃の英雄叙事詩、修道士エッケハルトの作か。フン族のアッチラの宮廷に人質とされたヴァルターが、愛するヒルデグントとそこを脱走し、追手と幾度も戦ったのち、勝利をおさめ、愛を成就した物語。(訳者注)

1919-07-28

[][]七月二十八日 この地上でとくに人生の晩年に はてなブックマーク - 七月二十八日 この地上でとくに人生の晩年に - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 すでにこの地上で、とくに人生の晩年に、あるカトリックの聖女(エリーザベト・フォン・バイヨン)の美しい言葉をかりれば、「命の息吹のごとく」軽やかに、自由に、自己を感ずる瞬間があらわれることがある。このような瞬間が、死ぬ前になお長くつづいて感じられるとすれば、それこそ素晴らしいにちがいない。だが、これはわれわれに予測を許さぬことであり、また、すぐれた人びとの伝記からも、ほんの不十分にしか知りえないことである。いずれにしても、このような瞬間には、この世の生活とは別の、それに似た一つの生活がありうるという確信が、実に揺ぎないものとなる。こういう経験を一度も味わったことのない人は気の毒な人だ、たといその他の点で極めて才智にとんでいようとも。その人は天国の門が開かれてあるのを見たことがなく、また本当の「生の楽しみを味わいつくす」ということが、どんなものかを知っていない。

 こんな人は、限りなくまずしい生活感情をそれ(生の楽しみを味わいつくすこと)だと思い、それが人間のなしうる最高最善のものだと見なしているのだ。

 たとえば、われわれがひとしく尊敬するゲーテやベートーヴェン、あるいはカーライル、エマソン、スペンサーなどについてさえ、以上のことを、はばかりなく主張してさしつかえない。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-07-27

[][]七月二十七日 イザヤ書は三千年後の今日 はてなブックマーク - 七月二十七日 イザヤ書は三千年後の今日 - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 しかし、イザヤ書第五六章や、第五七章の一〇―二一は、ほとんど三千年後の今日これを読んでみても、まるでわれわれ自身の時代のために書かれたもののように感じられる。今日神から離れて、一人で勝手に生きている人たちは、本来あわれな人間の心があこがれ求めてやまない平安の感情を、あの当時と同じように、今もやはり持っていない。どんな社会改良や、知識の進歩や、物質的生活条件についての認識の増大によっても、彼らに平安の思いを与えることはできない。これら外的な事物は、人間の内的生活から全く離れた領域のことであって、多くの学者や技術家にとっては神の代用物であろうが、それも決して完全な代用をなしうるものではない。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-07-26

[][]七月二十六日 一体なぜこのように多くの社会的悲惨と はてなブックマーク - 七月二十六日 一体なぜこのように多くの社会的悲惨と - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 イザヤ書第五五章*1。もしこの言葉が真実であるとすれば、一体、なぜこのように多くの社会的悲惨と、そのたmのかくも多くの嘆きがこの世にあるのだろうか。しかし、そういう疑いをいだく前に、この聖書の言葉は、骨折ってためして見るだけの値打ちがたしかにあるだろう。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:この章で、神は預言者イザヤを通じて、神に従う者に、確かな恵みとあわれみと豊かなゆるしとを約束している。(訳者注)

1919-07-25

[][]七月二十五日 祈りと心の目ざめをもって はてなブックマーク - 七月二十五日 祈りと心の目ざめをもって - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 いましばらくの間、祈りと心の目ざめをもって、耐え忍ぶがよい。あなたの家族や親しい人びとのためにも。そうすれば、きっあなたの最良の時がくる。

 「主よ、わたしはあなたの救いを待ち望む*1。」

 詩篇一一九の六六、九七の一一*2ルカによる福音書一八の七・八*3

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:創世記四九の一八。

*2:「主よ、わたしはあなたの救いを望み、あなたの戒めをおこないます。」「光は正しい人のために現われ、喜びは心の正しい人のためにあらわれる。」

*3:「そこで主は言われた、『まして神は、日夜叫び求める選民のために、正しいさばきをしてくださらずに長い間そのままにしておかれることがあろうか。あなたがたに言っておくが、神はすみやかにさばいてくださるであろう。しかし、人の子が来るとき、地上に信仰が見られるであろうか』。」

1919-07-24

[][]七月二十四日 スイスが持たねばならないものは はてなブックマーク - 七月二十四日 スイスが持たねばならないものは - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 現在、わがスイスが持たねばならないものは、模範的な教育施設(ハルデンシュタイン、マルシュリンス、ブルクドルフ、イヴェルドン、ホーフヴィル*1などにある学校の上級の施設)であろう。すなわち、そこでは、過労におちいっている、あるいは、そうでなくてもあまりに虚弱な青年たちのために、肉体に有害な影響をさけ、一方、精神力をそぐ唯物一元論やニーチェ主義を防ぐための避難所が与えられるであろう。公共の学校は、さしあたり、そのような任務を果すことができない。このことは、確信や指導力や個人的献身を必要とする多くのほかの仕事と同じように、まず私的な任務である。その上、このような仕事は、すべての偉大な事業と同様に、小規模から始められねばなるまい。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:ペスタロッチのイヴェルドンにおける学校など、いずれも有名な私立学校のあった地名。

1919-07-23

[][]七月二十三日 真にたのしい気分になれないことがあっても はてなブックマーク - 七月二十三日 真にたのしい気分になれないことがあっても - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 あなたが、しばらくの間、真にたのしい気分になれないことがあっても、なおその時、神とわれらの主に対して、完全に愛と信頼の正しい間柄にあるのだったら、不安になったり、悲しんだりしないがよろしい。それは、精神的進歩の新しい良い段階への、生みの苦しみなのだから。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-07-22

[][]七月二十二日 神に導かれている人 はてなブックマーク - 七月二十二日 神に導かれている人 - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 神に導かれている人びとによくあることだが、これまで彼らに課せられていた多くの任務や仕事が、その人びとにふさわしくない、あるいはもはやふさわしくなくなった場合に、適当な時にそれが彼らから取り去られるのを見るのは、じつに不思議である。神はこのために、しばしば敵を利用することもある。そうすると、その敵は、神みずからがなすにはあまりふさわしくないこのよい仕事(任務をやめさせる)を、実に見事にやってのけ、また、そうでなければ、ひじょうに困難な決心をもしやすくしてやることが多い。このようなことを、私自身もたびたび経験してきた。つまり、神と完全に正しい関係にある人にとっては、結局、敵というものはもはや存在しないのである。すべてのものが神のしもべにすぎず、しばしば、敵みずからが、不正な行いをしている場合にも、実は神のみこころを遂行しているかも知れないという、おぼろげな感じを持つことさえあるのだ(ちょうどカヤパ*1のように)。創世記五〇の二〇*2

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:エルサレムの大司祭。イエスを審問したのち、彼を死にあたるものとして総督ピラトに渡した。しかしカヤパはイエスの死が贖罪の死であることを予感していた。(ヨハネによる福音書一八の一四など参照)

*2:「ヨセフは彼らに言った、『……あなたがたはわたしに対して悪をたくらんだが、神はそれを良きに変らせて、今日のように多くの民の命を救おうと計らわれました。』。」

1919-07-21

[][]七月二十一日 ぞんざいな不完全な仕事をする人 はてなブックマーク - 七月二十一日 ぞんざいな不完全な仕事をする人 - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 高潔な、ヘンリー・ドラモンド*1のまことに適切な言葉はつぎのように語っている。

「ぞんざいな、不完全な仕事をする人は、みずからぞんざいな不完全な生活を養いつつあるのだ。その人はたえずごまかしに馴染んでいる。そこで、この眼に見えないものが、彼の仕事から、ちょうど微妙なエッセンスのように立ちのぼって、彼の魂のなかに浸みこみ、それを毒するのだ。」

 残念ながら、これにすこしつけ加えねばならない。すなわち、この言葉は、そのようなごまかしの仕事をふんだんにやっているわれわれの時代の、またわれわれの世代全体の、まさに痛い所を突いているということである。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:ドラモンド(一八五一―九七)

1919-07-20

[][]七月二十日 あなたが一旦神と親しくなり はてなブックマーク - 七月二十日 あなたが一旦神と親しくなり - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 あなたが一旦神と親しくなり、また、神とのあいだに目標が完全に一致するような間柄になるならば、とりわけ、正しい適度な仕事や適当な読み物を探し求める必要はもはやなくなる。実際、そういうものを求めていると、人間はえてして過度におちいったり、時宜を誤ったりしがちである。神と親しく交われば、仕事と読み物の両方とも、いつも不思議に適当な時に授けられるであろう。

 一体に、計画を立てるということは、なんの役にも立たないことが多いものだ。待つこと、そして神のさずけ給う機会に注意を怠らず、与えられたらその機会をすばやく、すすんで、十分の心構えをもってつかむこと、これが成功をおさめる道である。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-07-19

[][]七月十九日 今われわれに必要なものは はてなブックマーク - 七月十九日 今われわれに必要なものは - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 今われわれに必要なものは、精神のはつらつとした新生、なおそれにつけ加えたいのは、肉体の新生である。たとえば、原始キリスト教や宗教改革の初期、フランス革命の勃発記、あるいはアメリカ独立戦争や南北戦争の当時、ドイツの自由戦争やイタリアの再興統一運動(リソルジメントオ)の頃などにあらわれたはつらつとした状態がそうである。かような時期には、勇気と力の精神が、老化した世界にふたたびくまなく浸透していった(ところが、今やこのような精神が全く欠けていて、現代のいかなる技術的進歩、いかなる芸術や科学をもっても、それを補うことができない)。こういう時期には、これまでまるで認められていなかったすぐれた人物が、突然、現れて、新しい事態を創造する。新しい時代は、ただこのような仕方でのみ始まるのであって、二、三の浅薄な人たちによって指導される、単なる大衆運動から生まれることはない。

 大衆の影響力に大きな価値を置き、多くの新聞にのっている事だけを重んじるような人間は、一般に、真に偉大なことには役立たないものである。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-07-18

[][]七月十八日 なんら正しい結果へ導かないのに はてなブックマーク - 七月十八日 なんら正しい結果へ導かないのに - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 なんら正しい結果へ導かないのに、いたずうらに多くの時間と精神力を要求するような事柄からは、つとめて遠ざかるがよろしい。クラブ、会議、委員会、講演(それをやるのも聞くのも)などの大多数がそれに属している。そのようなものが生命力をもち、有益である場合は、それを援助すべきであるが、果してそうであるかどうか、あるいは社会や新聞で名を売りたがる連中の単なる競技(スポーツ)ではないか、それを見わける正しい直感力を養わねばならない。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-07-17

[][]七月十七日 直観的認識を受けいれるために はてなブックマーク - 七月十七日 直観的認識を受けいれるために - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 ルカによる福音書一一の一三、一〇の二一・四二*1ヨハネによる福音書一四の一七*2。このような直観的認識を受けいれるために、また、それを害なしに自分の内部で消化するために、ある種の予備的修行を必要とすることに留意しなければならない。さもないと、我流の独学者が生まれる。彼らはなるほど現世でたしかに多くの偉大なことをやりとげたけれども、しかしまた、彼らみずからにとっても、他人にとっても、危険なしにはすまなかった。というのは、彼らは霊による啓示と自分の空想との区別がつかないからである。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「このようにあなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか。」「そのとき、イエスは聖霊によって喜びにあふれて言われた、『天地の主なる父よ、あなたをほめたたえます。これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました。父よ、これはまことに、みこころにかなったことでした。』」「しかし、無くてはならぬものは多くない。いや一つだけである。マリアはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである。」

*2:七月五日の注(**)参照。

1919-07-16

[][]七月十六日 あなたはどんな本を一番書いてもらいたいと はてなブックマーク - 七月十六日 あなたはどんな本を一番書いてもらいたいと - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 あなたはどんな本を一番書いてもらいたいと思うか。この場合、聖書の各篇は問題外としよう、同じくダンテも競争外におき、なお最後に、ひごろ何をもっとも好んで読んでいるかといういくぶん違った問題をも、除外しよう。

 私の答えは、『トム伯父さんの小屋』、デ・アミチスの『クオレ』、テニソンの『王の牧歌』である。そのあとに、ゲーテ、シラー、グリルパルツァー、カーライルの幾冊かの本がつづき、ずっとあとに数冊の学問的な書物、とくに、たとえばカントやスペンサーがやって来る。古代の書物では、厳密にいえば、エピクテトスだけである。

 このような本当にただ本質的な問いだけで検討すると、さすがに尨大な文献の量もしだいに篩(ふるい)にかけられて、ついにはごく僅かなものにしぼられてしまうのは、奇妙なことである。それだけに、われわれは一旦全体を通観して、自分の十分根拠ある判断を得たのちは(もっともそれはたしかに半生を超える努力を要するかもしれないが)、すべての真に価値あるものを知るようにし、一方ずっとつまらぬ書物に時間を浪費しないように、いよいよ真剣に決意すべきであろう。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-07-15

[][]七月十五日 いわゆる「文明」諸国のすべての街路に はてなブックマーク - 七月十五日 いわゆる「文明」諸国のすべての街路に - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 現代のいわゆる「文明」諸国のすべての街路に、今なお、あんなに多くのやつれた婦人たちの顔や、すさんだ目つきのボロ服をきた子供たちや、野獣のような呑んだくれ男たちがいる間は、国際会議の席上で、ヒューマニズムについて、あるいは国際間の永久平和について弁舌をふるうのはやめて、むしろ各人が自分の国や家において、まず真剣によき秩序をつくり出すべきであろう。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-07-14

[][]七月十四日 もし歴代のローマ教皇が はてなブックマーク - 七月十四日 もし歴代のローマ教皇が - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 もし歴代のローマ教皇が、ヨハネによる福音書一四の一七にいうような「真理のみ霊」を、つねに持っているという確証があるならば、たといカトリック教会に属していなくても、われわれはよろこんで彼の言葉を聴き、それを信じるであろう。霊的な事柄において絶対に誤りをおかさない人がだれかひとりでも、その時その時に、地上にいてくれたら、それは素晴らしいことにちがいない。だが、それはたぶん神の計画でも意志でもなさそうである。そうではなくて、それぞれの人がみずから真理を、いや、まさにこの真理のみ霊を求めねばならないし、またそれを持つことができる。これが神のみこころである。歴代の教皇が、宗教上の事柄においても、ましてその他の事柄においても、この霊を必ずしも持っていなかったことは、歴史が十分に証明している。といっても、宗教改革者や、プロテスタントの教会会議委員や、あるいはこの派の各教会の最高首脳たちも、この点で特に恵まれていたわけではない。また、人間によるどんな聖別も、このみ霊を授けることはできない。み霊は風のように思いのまま吹き、随時、その器となるべき人間をみずからさがし出すのである。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-07-13

[][]七月十三日 神が人の眼に見えないということは はてなブックマーク - 七月十三日 神が人の眼に見えないということは - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 「神が人の眼に見えないということは、神の本質によるのではなく、神の神聖とわれわれの汚れのために神がかくされているのである。」

 現代のある著述家のこの考えは、もしその通りだとすれば、われわれの人生観をすっかり変えてしまうかも知れない。だが、それにしても、この表現の仕方はいくぶん改める必要があろう。というのは、言葉の本来の意味で霊というものは、なんといっても眼に見えるものではないからだ。われわれは神を自明的に近づきえないものとみなすことに慣れているが、それは諦める、というよりもむしろ、それですっかり満足しきっているのである。だが、もし事実はそうでなく、われわれが神に近づきうるのなら、人生はなんと変容することであろう! 実際、聖書はわれわれとは異なった考え方をしており、そのどのページにも、今のわれわれには全く理解しがたく無縁のものとなった超現世的世界との交わりを、可能なものとして示している。ただしそれは、今日の霊交術のいわゆる「霊媒」を通して行うものではない。こういう霊媒たちは異常な病的な人間にすぎない。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-07-12

[][]七月十二日 キリスト教文書に時おり示される偏狭さ はてなブックマーク - 七月十二日 キリスト教文書に時おり示される偏狭さ - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 キリスト教文書に時おり示される偏狭さを恐れてはならない。これはもっぱら、読むことさえ学ばぬうちに書こうとした、これらの文書の著者たちの性急さにもとづいている。真理のみ霊は――それをあなたもいずれさとるであろうが――、世間の事柄にも大いに役に立つものである。というのは、この霊は世間の事柄のなかから真実なもの、有益なものを取り出して見せ、普通それとむすびつうきやすい虚偽なものと区別するからである。いや、それどころか、この霊はどんな仮面をも透して人びとの本当の顔を見抜いてしまう。だから、この霊を宿す人の前には、人びとのほとんど目立たぬ眼の表情のなかにさえ、しばあしば彼らの本当の顔が暴露せざるをえないものだ。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-07-11

[][]七月十一日 宗教を職業とするのは はてなブックマーク - 七月十一日 宗教を職業とするのは - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 ヨハネによる福音書六の六三*1。宗教を職業とするのは、たいへん危険なことである。これはすでに、老ザカリヤ(ルカによる福音書一の八―二〇)以来、多くの牧師や司祭たち、あるいは聖書学者、神学者、あらゆる種類の職業的聖職者たちが身をもって経験しなければならなかったことである。この宗教はいのちの塩であり、力である。この場合は、ただ讃美歌をうたい、祈りをささげるだけではいけない、なお活動し、おのれの義務を果すのでなければならない。機械的なもの、単なる形式的なものは、キリスト教の最もひどく忌みきらうものだ。だから、主は、遊女や取税人の方が当時の最も信心深い人たちよりも先きに神の国へはいる、という非常に強い言葉を吐かざるをえなかった(マタイによる福音書二の三一)。このような言葉が福音書に記されているということ、また、早くからキリストを一種の大祭司にまつりあげようという企てがあったが、キリスト自身は少しも祭司的なもの、あるいは今日のプロテスタント的意味での牧師風のものを身につけていなかったということは、大きな慰めである。

 だから、あなたにとって信仰が習慣的なものになって、もはや心に生気を与えなくなり始めたことに気づいたならば、あなたは危険な深淵のふちに立っているのである。この本のなかでも、また、あなたが読むほかのどんな本のなかでも、職業的臭味や因習的なものだという印象を与える個所があれば、さっさとそれを消し去るがよい。また、教会の説教がそのようなものであったら、もう教会に行かなくてもよい。私自身、そのような態度をとりつづけてきて、今そのことを神に感謝している――私のような年齢になれば特にそうである。キリスト教は、主みずから述べているように「霊といのち」である。そして、いつまでもその通りでなければならない。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「イエスは彼らに言われた、『人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。』」

1919-07-10

[][]七月十日 いちばん厄介なのは傲然とやって来て はてなブックマーク - 七月十日 いちばん厄介なのは傲然とやって来て - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 弱くて、内面的に不幸な人のいろいろな変り種には、まだしも我慢できるし、またしてやらねばならない。いちばん厄介なのは、傲然とやって来て、神の存在の明らかな証拠を見せてくれ、自分もかつて神に呼びかけたが、すこしも助けてもらえなかった、などと言う連中だ。彼らは、よしんば神が助けたとしても、それをあとからほかの原因のせいにするだろう。――このような、たいてい若い人たちは、全く手のつけようがない。というのは、「神はへりくだる者にのみ恵みを賜うから」である(ペテロ第一の手紙五の五)。それに、神は挑まれてもこころみには応じられぬからである。こういう事柄について彼らと議論を重ねてみても、全く無益なのだ。たいていの人は、浅薄な教養を多少身につけると、必ず最後には、ヘッケルかニーチェの信奉者になってしまう。ニーチェもおそらく、そのようなこころみを敢えてしたであろうが、そのさい謙遜という大切な資格が欠けていたのである。福音はなに人に対しても強制できないし、また口先だけで説きすすめるわけにもいかない。しかし喜んでそれを受けいれる者を、福音は決して見捨てないであろう。これは、数千年後の今でもなお証明されうることであろう。神がわれわれを捨て給うのでなくて、われわれがいつもまず神を捨てるのである。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-07-09

[][]七月九日 人々の間で尊ばれる者は はてなブックマーク - 七月九日 人々の間で尊ばれる者は - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 「人々の間で尊ばれる者は、神のみまえでは忌みきらわれる。」ルカによる福音書一六の一五。これは、福音書のいくぶん「逆説的な」表現の一つである。これに似た言葉はほかにも少なくないが、しかしそれらはやはり信ずべきものである。このような言葉は、われわれがいったんそれを自分の考えのなかに取り入れるならば、われえわれの人生に大きな影響を与え、やがては生涯の多くの時期を徐々にすっかり変えてしまうであろう。というのは、われわれはそのようには教育されず、また教会でも教えられなかったからだ。ただし、このことは一時の感情にかられてそのように判断さるべきものでなく、キリストの精神をもってなされねばならない。エペソ人への手紙四の三一*1

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「すべての無慈悲、憤り、怒り、騒ぎ、そしり、また、一切の悪意を捨て去りなさい。」

1919-07-08

[][]七月八日 人生の幸福というものを はてなブックマーク - 七月八日 人生の幸福というものを - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 人生の幸福というものを、もっぱら喜びや苦しみがのこす単なる感情によって判断するならば、結局は、ショーペンハウアや彼と同じ傾向の哲学者たちのペシミズムが正しいということになるだろう。なぜなら、苦しみはどんな喜びよりも、ずっと強い消えがたい跡を記憶のうちに残すからだ。

 しかし、それとは別の、はるかにまさった考え方は、人間をその最高の進歩に近づかせるものを幸福と呼ぶ見方である。この考え方によれば、同じ理由からして、苦難の時期こそが人を内的に進歩させる最大のはたらきをするので、それが幸福なのだという結論に達する。使徒パウロの晩年の数通の手紙は(あのとりわけ美しいヘブル人への手紙はしばらくこれに数えなくても*1)、このような意味でついには幸・不幸を完全にのり越えたひとりの人間の姿を示しており、また「神を愛する者たちには、万事が益となるに違いない」(ローマ人への手紙八の二八)という彼の実に有名な言葉が、彼自身において完き真理となっている。われわれもまた、そのようになることができるのである。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:この手紙はパウロの筆になるものでないという説が一般的であるためだろうか。(訳者注)

1919-07-07

[][]七月七日 すべての峯にやすらぎがある はてなブックマーク - 七月七日 すべての峯にやすらぎがある - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 「すべての峯に、やすらぎがある*1」というゲーテのすばらしい歌曲(リート)は、ただある瞬間の情趣をあらわした極めて的な描写であるばかりでなく、彼の時代や現代の教養ある人びとが、さけがたい老年の近づくときつねに抱きがちの考え方に合致するものでもある。しかしこの詩は必ずしも完全に真実だとはいえない。終りの句はむしろ次のようになるのが本当だったろう、「待て、まもなく新しい朝がきて、いまはるかに望み見るよりも、さらに輝かしい新春の日が来るだろう」と。そうでなければ、われわれとしては、いっそ生まれなかった方がよかったと思うだろうし、より善き生命への再生の希望のない「やすらぎ」は、ただはかない慰めにすぎない。というのは、そのやすらぎは、迷いみだれる思いにみちた束の間の一生ののちにくる、永遠の滅びを意味するからだ。しかも、大多数の人にとっては、迷いみだれる思いの苦悩があまりにもつらいので、ついには実際、死の代価を払っても、ひたすら安息を求め、苦悩からの救済をあこがれてやまないのである。これこそ、この詩のかなしい背景なのである。――あわれな人類よ、かくも多く学び、苦労を重ねた末に達しうる最高のものが、死以上のものでないとすれば!

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「旅人の夜の歌」一七八〇年作/すべての峯に/やすらぎがある、/すべての梢は/そよ風に/揺れもしない、/小鳥らも森に静まった。/待て、まもなく/おまえもやすらぐだろう。

1919-07-06

[][]七月六日 復活を補説するキリストの はてなブックマーク - 七月六日 復活を補説するキリストの - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 ヨハネによる福音書一〇の一七・一八*1・三四―三六。これは、復活を補説するキリストの重要な自己証言である。そしてこれらの言葉は、もし真のキリスト伝が書かれるならば(おそらくそういうものは決して出ないであろうが)、その中で、あらゆる真実の証言のうち最大の意義をもつものとなるだろう。しかし、なにか異常な現象や、全く特殊な現象については、世間一般の受けとり方を尊重するのが無難である。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「イエスはまた言われた、『……父は、わたしが自分の命を捨てるから、わたしを愛して下さるのである。命を捨てるのは、それを再び得るためである。だれかが、わたしからそれを取り去るのではない。わたしが、自分からそれを捨てるのである。わたしにはそれを捨てる力があり、またそれを受ける力もある。これはわたしの父から授かった定めである』。」

1919-07-05

[][]七月五日 命の光をもち はてなブックマーク - 七月五日 命の光をもち - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 ヨハネによる福音書八の一二―三二*1、一四の一七*2。命の光をもち、真理を知ること、これこそ国家や教会のすべての改革者たちが求めるものである。「啓蒙」(真理のときあかし)ということが彼らの本来の人生目的である。初めの聖句において、かつてこの世に現れた最大のときあかしを受けた人であり、また最大のときあかし手であった、ひとりの人(キリスト)が、われわれはどのようにしてときあかしに到達しうるか、またそのために真に決定的に必要なものを欠くときは、どんなにその事が不可能であるかを、説いているのである。真理をのべ伝えることを職業とする人びとにあっては、この「真理のみ霊」はまさしく最も肝要なものである。これを欠くならば、ほかにどんなに輝かしい弁舌の才があっても、決して消しがたい感銘や効果を残すものではない。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「イエスは、また人々に語ってこう言われた、『わたしは世の光である。私に従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう』……イエスは自分を信じたユダヤ人たちに言われた、『もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子なのである。また真理を知るであろう。そして真理はあなたがたに自由を得させるであろう』。」

*2:「それは真理のみ霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたとともにおり、またあなたがたのうちにいるからである。」

1919-07-04

[][]七月四日 この世で最良のものは はてなブックマーク - 七月四日 この世で最良のものは - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 この世で最良のものはなんであるかを、あなたは知りたいのか。それは、神のそば近くあること、精神と肉体との健康、よき結婚、よき国民性と教会、生計をみたすに足るよき職業、よき友人、立派な教養、生涯の主要部分がよき時代に出会うこと、できればその上に、聖霊の賜物の一つ(治病、慰め、預言などの力)を授けられることなどが、それである。ただしこの賜物はさらに一層必要なものへの大きな添え物にすぎない。人生の幸福にぜひとも必要なのは、ただ第一に挙げたもの(神のそば近くにあること)だけであって、これがなければ、むしろ生まれて来ない方がましであろう。というのは、ほかのすべてを合わせても、それだけではだれの人生にもつきまとう苦悩や困難をつぐなうに足らず、また、神の友たりうるという確信がなければ、もう一度この人生をやり直してみたいと願う人はあるまいから。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-07-03

[][]七月三日 彼は必ず栄え はてなブックマーク - 七月三日 彼は必ず栄え - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 「彼は必ず栄え、わたしは衰える、」ヨハネによる福音書三の三〇。洗礼者ヨハネのこの言葉は、すべて老いゆく人たちの、まった、まさに来らんとする偉大な時代のすべての先駆者たちの、さけがたい運命を語っている。われわれの同時代人の多くは、このような運命によく平然と耐えることができない。それどころか、福音書の一批判者は、この言葉に従うことはとうてい人間の力ではかなわぬことだ! という理由から、この話そのものが真実でないと推論しようとさえした。そこに、まさに世界観の相違がはっきりあらわれている。まず第一に、現世がよりよき存在へ継続するという確信と、反対に、この世の生命はこれかぎり完全に終るのだという悲しむべき見解(この悲しい表情はすべての年とった動物や、残念ながら、今日では多くの老いた人間にも見受けられるが)、これがこの二つの世界観の相違である。次には、さらに左のようなその結果がつけ加わる、すなわち、正しい人生観を抱いていれば、肉体的な個々の能力がたとえ減退しても、全体として見るときは、精神の力や元気は衰えるどころか、信ずべき伝記によれば、逆にしばしば、いちじるしく高まって、顔の表情にまでそれが現れるほどである。だから、老年におけるこのような補いは、たしかに十分以上のものがある。コリント人への第二の手紙四の一六―一八*1

 さらに、一層高齢になって、目立つほど増進するのは、いわゆる第六感である。すなわち、単なる自然科学者の眼にはすっかり隠されているが、実はわれわれを取り囲んでいる、あの霊の世界を見る力が、それである。また、われわれの足もとからしだいにすぎさって、ついには視界の外に消えてゆくこの世界の将来をも、よりよく見通す力が、それと結びついている。

 この二つの力が全く欠けているならば、高齢は、それに関するどんなに聡明な省察を伴っていようとも、やはり衰退の状態にほかならず、これは賀寿の催しなどで到底ごまかしきれるものではなく、また来世の希望によって必ずしも完全にのりこえられるとはかぎらない。

 たとえばカント、スペンサー、エマソン、ゲーテ、ビスマルクなどの高齢期に、本当に来世へ移りゆく祈りのこのような随伴現象について、まるで聞くことがないのは、むしろ不思議である、真の偉人の伝記はすべて、このような現象についての記述をもって終るべきであろうに。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。わたしたちは、見えるものにでなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。」

1919-07-02

[][]七月二日 この上なく精神ゆたかで倫理的に価値の高いものは はてなブックマーク - 七月二日 この上なく精神ゆたかで倫理的に価値の高いものは - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 すべての時代、すべての民族の文献全体のなかで、この上なく精神ゆたかで、倫理的に価値の高いものは、あの数千年にわたる文書の集成であり、「聖書」という名できわめてよく知られているように見える書物である。もっとも、実際には、教養ある人で聖書の内容をあまりよくは知らない者が沢山いるのだが。ほかの諸民族の宗教書は、これとは到底くらべものにならない。たとえば、エピクテトスの語録や、古代ストア哲学の粋をふくむマルクス・アウレリウスの自省録や、プラトンの対話篇や、インドのマハバーラタ*1や、その中の最もすぐれたバガヴァト・ギータ(聖簿加梵歌)や、さらに孔子の論語やマホメット教の全文書にしても、みなそうである。特にコーランは、聖書にくらべてひどく見劣りのする、ほとんど乱雑とさえ見える書物である。

 それゆえ、聖書によってその精神を形成し、たえず育ててきた諸民族が、精神文化の面で最大の進歩をとげたことは、単に人間的に見ても、十分うなずけることである。しかしそれと教会の諸制度とを混同してはならない。教会の制度はかならずしも聖書の精神に合致するものではなく、また民族によって大へん違った発展を経験してきた。その制度は、さまざまの人間的な弊害からたえず浄化され、改善されて然るべきものである。このような時代へ、われわれはふたたび向っているように思われる。しかし、現代の大多数の人びとにとって問題なのは、教会の組織ではなく、また現存の諸宗教の中のどれを選ぶかということでもなくて、むしろ、彼らは一体、人間特有の霊魂とその要求とをなおも認めるのか、それとも単に動物的欲望しか持たぬただの獣類の一種に堕落しても構わぬのかという問題である。自然科学的唯物論の最後の帰結は、どこまでも後者であろう。このような後退をば、すでに広い範囲にわたってもたらしたのは、じつに近代的世界観の進歩なのである。この意味では、「近代主義者」を相手とするカトリック教会当局の戦いは、われわれにも同感できる。しかし、それはとにかくとして、イエズス会派とダーウィン主義者との論争については、マタイによる福音書*2

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:古代インドの宗教的叙事詩

*2:「イエスは彼に言われた、『私に従ってきなさい。そしてその死人を葬ることは、死人に任せておくがよい。』」

1919-07-01

[][]七月一日 あなたはどんなことがあっても はてなブックマーク - 七月一日 あなたはどんなことがあっても - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 あなたはどんなことがあっても、カトリックの近代主義者(モダニスト)*1たちと密接な関係を結ばないがよい、その他の点では、あなたの教会内でのこのような論争に対して、どんな態度をとろうと構わないが。

 これらの人たちは、教会のなかに留まりながら、しかも公然と教会の教理を否定しようとする。うわべは教会の権威に服するが、実はそれを揺すぶるのに懸命である。あるいは、生涯の終りに(ちょうどクラウスのように)イエズス会士からも免ぜられたりする。こうして彼らは、原理的には真理に奉仕しようとしながら、かえって真理の領域外にふみ出ることになり、だからこの世でも、あの世でも、大した成果をおさめないだろう。

 テモテへの第二の手紙三の七*2ヨハネの黙示録三の一五・一六。

 彼らの倦むことのない内的戦いには同情するが、しかし私は彼らのなすことが好きにはなれない。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:十九世紀末から二十世紀の初め頃、ヨーロッパで行われた近代化運動の推進者たちを指す。(訳者注)

*2:「彼らは、常に学んではいるが、いつになっても真理の知識に達することができない。」