蜀犬 日に吠ゆ

1919-07-02

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眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 すべての時代、すべての民族の文献全体のなかで、この上なく精神ゆたかで、倫理的に価値の高いものは、あの数千年にわたる文書の集成であり、「聖書」という名できわめてよく知られているように見える書物である。もっとも、実際には、教養ある人で聖書の内容をあまりよくは知らない者が沢山いるのだが。ほかの諸民族の宗教書は、これとは到底くらべものにならない。たとえば、エピクテトスの語録や、古代ストア哲学の粋をふくむマルクス・アウレリウスの自省録や、プラトンの対話篇や、インドのマハバーラタ*1や、その中の最もすぐれたバガヴァト・ギータ(聖簿加梵歌)や、さらに孔子の論語やマホメット教の全文書にしても、みなそうである。特にコーランは、聖書にくらべてひどく見劣りのする、ほとんど乱雑とさえ見える書物である。

 それゆえ、聖書によってその精神を形成し、たえず育ててきた諸民族が、精神文化の面で最大の進歩をとげたことは、単に人間的に見ても、十分うなずけることである。しかしそれと教会の諸制度とを混同してはならない。教会の制度はかならずしも聖書の精神に合致するものではなく、また民族によって大へん違った発展を経験してきた。その制度は、さまざまの人間的な弊害からたえず浄化され、改善されて然るべきものである。このような時代へ、われわれはふたたび向っているように思われる。しかし、現代の大多数の人びとにとって問題なのは、教会の組織ではなく、また現存の諸宗教の中のどれを選ぶかということでもなくて、むしろ、彼らは一体、人間特有の霊魂とその要求とをなおも認めるのか、それとも単に動物的欲望しか持たぬただの獣類の一種に堕落しても構わぬのかという問題である。自然科学的唯物論の最後の帰結は、どこまでも後者であろう。このような後退をば、すでに広い範囲にわたってもたらしたのは、じつに近代的世界観の進歩なのである。この意味では、「近代主義者」を相手とするカトリック教会当局の戦いは、われわれにも同感できる。しかし、それはとにかくとして、イエズス会派とダーウィン主義者との論争については、マタイによる福音書*2

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:古代インドの宗教的叙事詩

*2:「イエスは彼に言われた、『私に従ってきなさい。そしてその死人を葬ることは、死人に任せておくがよい。』」