蜀犬 日に吠ゆ

1919-08-23

[][]八月二十三日 キリスト者の家庭でもよく有害な役割を はてなブックマーク - 八月二十三日 キリスト者の家庭でもよく有害な役割を - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 マタイによる福音書二六の六―二四*1。この物語も、ほかのどんな物語にも劣らず、福音書になくてはなるまい。というのは、この物語は、キリスト者の家庭でもよく有害な役割を演じがちな、狭量で、ちっぽけな、もの惜しみの精神を、彼らから取去り、そして、この点でも、主の否みえぬ実例によっていつもながらありがたく感じられるような、宏量さが示されているからである。われわれも、主と同じようにあるべきであり、あることができる。ユダはこれと反対のもの、つまり、窮屈で、ちっぽけなキリスト者であり、彼には万事がある種の秩序か、方法かに(なるほど、それは規則としては申し分ないかもしれないが)、ぜひとも従っていなくてはならないのだ。とにかく彼は例外というものを知らない。彼の理解するキリスト教に寸分違わずできていない人間は、世俗の仲間だと思う。ユダはキリスト教について思い違いをした! こんな種類の人たちは今でもいる。彼らは今日でもやはり、キリストを裏切ることがありうるだろう。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「さて、イエスがベタニヤで、らい病人シモンの家におられたっとき、ひとりの女が、高価な香油を入れてある石膏のつぼを持ってきて、イエスに近寄り、食事の席についておられたイエスの頭に香油を注ぎかけた。すると、弟子たちはこれを見て憤って言った、『なんのためにこんなむだ使いをするのか。それを高く売って、貧しい人たちに施すことができたのに』。イエスはそれを聞いて彼らに言われた、『なぜ、女を困らせるのか。わたしによい事をしてくれたのだ。貧しい人たちはいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。この女がわたしのからだに香油を注いだのはわたしの葬りの用意をするためである。よく聞きなさい。全世界のどこでも、この福音が宣べ伝えられる所では、この女のした事も記念として語られるであろう』。時に、十二弟子のひとりイスカリオテのユダという者が、祭司長たちの所に行って言った、『彼をあなたがたに引き渡せば、いくらくださいますか』。」