蜀犬 日に吠ゆ

1919-09-30

[][]九月三十日 偉大なことや善いことのために はてなブックマーク - 九月三十日 偉大なことや善いことのために - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 あなたは、この世のどの国に住もうとも、偉大なことや善いことのために、すぐさま多数の人を味方に持つだろうなどと、決して期待してはならない。すべて偉大なことは、小規模に、小人数から始まるものだ。ななたはそれを覚悟しなければならない。そして、子供たちを教育するにも、彼らが少数派に属することを平気なように、導かねばならない。

 それどころか、フリードリヒ・フォン・ゲンツが、あるとき、「悪魔のように喜んで」彼の日記に記したことはたしかに誤りではない、すなわち、偉大な事柄(それともむしろ大がかりに始められた事柄といった方がよい)は、往々みじめな結末になることがある、と。しかし、もしそのことが真に偉大であれば、いつまでもそのままに終るものではない。それは何度でもよみがえってくる。しかも、その仕事の最初の推進者たちには、しばしばまだ人間的な、「あまりにも人間的な」ものがこびりついているが、やがて次のよりすぐれた推進者のもとで、その仕事は新しくよみがえるのである。

 光をいくらかでも純粋にとらえるということは、だいたい、人間にとっては非常にむずかしいことである。

 まだ純粋に霊的でないこの世と、この世における人間のすべての努力の本質は、なかば暗闇である。ただ、われわれにできることは、闇ではなくて光を愛し、そして、たえず一歩一歩光に近づき、やがてのちには、完全に光に耐えうるようになるために、われわれの全力をつくすことである。

 ヨハネによる福音書三の一九、八の一二*1ルカによる福音書一一の三六。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「そのさばきというのは、光がこの世にきたのに、人々はその行いが悪いために、光よりも闇の方を愛したことである。」「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、闇のうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう。」

1919-09-29

[][]九月二十九日 勇気をうしなわないことが はてなブックマーク - 九月二十九日 勇気をうしなわないことが - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 詩篇第九一篇や、ルターの「神はわが堅きやぐら」の歌や、アルテンブルクの「気落ちすな、小さき群れよ」の歌(同胞教会讃美歌六五七番・七三五番)は、大きな危険に出会った時や、または、われわれのだれにもよく起ることだが、強い少数派の中に踏みとどまりたいとどんなに考えても弱気によって人間の精神がおしひしがれて、一切の戦いを放棄したくなる時の、最もよい慰めの歌である。そんな時には、これらの歌をくりかえし読んで、元気をとり戻さねばならない。勇気をうしなわないことが、この世ではすべてである。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-09-28

[][]九月二十八日 あなたの天性が人生を はてなブックマーク - 九月二十八日 あなたの天性が人生を - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 あなたの天性が人生を厳粛に考える方向にあるならば、おそらく最後には次のような見解に到達するであろう。すなわち、神を愛することが、あらゆることのなかで最も善いことであり、また、この神への強い愛は、パウロがその弟子のテモテに言ったように、実際、万事に益となり、「今のいのちと後の世のいのちとの約束」を持つものだ、と信じるようになる。あなたがこのことを一度たしかに悟ったならば、それを堅く守ってゆくがよい。テモテへの第一の手紙四の八*1

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「からだの訓練は少し益するところがあるが、信心は、今のいのちと後の世のいのちとが約束されてあるので、万事に益となる。」

1919-09-27

[][]九月二十七日 あなたは、あなたの「近代的世界観」から はてなブックマーク - 九月二十七日 あなたは、あなたの「近代的世界観」から - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 詩篇八一の一〇―一六*1。これは民族全体にとっても、また一個人にとっても、たしかに一度はためしみるだけの値打ちのある申し出である。この申し出に従わずにあなたは、あなたの「近代的世界観」から何を得ているのか。たえまない不安と多くの労苦とわずかばかりの幸福とを、だろうが、しかもその幸福は、たいてい一時の官能的享楽か虚栄心の満足かにすぎない。エレミヤ書一の一三・一九、三の二五、一五の一五―二一、一七の五―一〇。

 われわれは、だれか頼るところのできる人が必要である。たとえ最も偉大な人であっても、つねに自分ひとりで十分だというほど強い者はだれもいない。ところで、あなたは、いったい誰かが、たとえその人が最もすぐれた最も強い人であっても(そんな人がいつもあなたの側に得られるとはかぎらないが)、あなたのために、完全に神の助けの代りをすることができる、と本当に信じているのか。

 職業的哲学者でないかぎり、一般の人にとっては、世界観の問題は、もっぱら実践的に考えれば、結局、上述の点にしぼられてしまう。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「私はエジプトの国から、あなたをつれ出したあなたの神、主である。あなたの口を広くあけよ、私はそれを満たそう。……わたしはわが民のわたしに聞き従い、イスラエルのわが道に歩むことを欲する。……わたしは麦の最も良いものをもってあなたを養い、岩から出た蜜をもってあなたを飽かせるであろう。」

1919-09-26

[][]九月二十六日 この罪の女を訴えてきた人たちは はてなブックマーク - 九月二十六日 この罪の女を訴えてきた人たちは - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

九月二十六日

 ヨハネによる福音書八の一―一二*1。この物語は、実にさまざまな注解を生み出した。この罪の女を訴えてきた人たちは、キリストの言葉によって、「一時的に良心を呼びさまされた」ものの、あとで、彼らの最初の驚き(もっともこの驚きはむしろ彼らの名誉となるだけだが)から我にかえると、キリストに対して、そのいささか寛(ゆる)すぎる道徳を非難したであろう、と思われる。それでも、この物語は特色あるものであって、もしこれが主の行跡の一つとして保存されていなかったら、さぞ惜しまれるであろう。この物語は、いわゆる愛のために罪を犯した人びとに対して、われわれのとるべき態度を示している。すなわち、厳粛をまじえた同情の態度である。われわれのあいだで普通に行われているように、そのどちらか一方だけではいけない。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「律法学者やパリサイ人たちが、姦淫の現場で捕らえられた女を引っぱってきて、キリストの意見をたずねた。彼をためして、訴える口実を得るためである。するとイエスは『あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい』と答えた。これを聞くと、彼らは年寄から先きに、一人びとり出て行って、女だけがのこった。イエスは女にむかって『あなたを罰する者はなかったのか』と問い、かさねて『わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように』と言った。」

1919-09-25

[][]九月二十五日 いわゆる「神学」は はてなブックマーク - 九月二十五日 いわゆる「神学」は - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 マタイによる福音書一一の二七*1。いわゆる「神学」は、この積極的な発言をつねに無視しなければなるまい。しかし、われわれはこの言葉を避けないで、むしろすべての「キリスト論」、あらゆる「キリスト伝」をすてて、キリストを通して直接に、われわれの神の認識を求めたいと思う。

 マタイによる福音書八の二二、二四の三五、ヨハネによる福音書三の三六*2、五の二四・二五、六の三五、一〇の一。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「すべての事は父からわたしに任せられています。そして子を知る者は父のほかにはなく、父を知る者は、子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほかに、だれもありません。」

*2:「御子を信じる者は、永遠の命をもつ。御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまるのである。」

1919-09-24

[][]九月二十四日 心軽やかな生活を望むなら はてなブックマーク - 九月二十四日 心軽やかな生活を望むなら - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 あなたが心軽やかな生活を望むなら、マタイによる福音書六の三三・三四*1に従って生活しなければならない。これらの言葉は、わたしの生涯のある時期に、一切の哲学のなしうるような最良のつとめを、わたしのために果たしてくれた。マタイによる福音書一一の三〇、ヨハネの第一の手紙五の三*2

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」

*2:神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである。そして、その戒めはむずしいものではない。」

1919-09-23

[][]九月二十三日 人びとを裁くことをしないで はてなブックマーク - 九月二十三日 人びとを裁くことをしないで - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

九月二十三日

 マタイによる福音書七の一―五*1。いちど、人びとを裁くことをしないで、ともに生きようと試みなさい。出会う人すべてに対して、おのずからその機会が訪れるままに、なにか善いことを願ったり、言ったり、行ったりしようとしてみるがよい。そうすれば、それがあなたのさいわいにどんな大きな変化を生じるかに、あなたはきっと驚くことだろう。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「人をさばくな。自分が裁かれないためである。あなたがさばくそのさばきで自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。」

1919-09-22

[][]九月二十二日 復活の約束 はてなブックマーク - 九月二十二日 復活の約束 - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

九月二十二日

 ヨハネによる福音書一〇の一七・一八*1。これは、十字架上の主をもなおも慰めたにちがいない復活の約束であるばかりでなく、また、すこしちがった意味で、われわれの一人ひとりのためにも語られた言葉である。われわれは自分のいのちを、また自分の力できずいた人生をも、みずからすすんで捨てて、そのかわりに、神の力によるより善きいのちを得るようにしなければならない。これはたやすいことではないが、しかし出来ることである。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「父は、わたしが自分の命を捨てるから、わたしを愛して下さるのである。命を捨てるのは、それを再び得るためである。だれかが、わたしからそれを取り去るのではない。わたしが、自分からそれを捨てるのである。わたしには、それを捨てる力があり、またそれを受ける力もある。これはわたしの父から授かった定めである。」

1919-09-21

[][]九月二十一日 わたしを信じる者は、わたしを信じるのではなく はてなブックマーク - 九月二十一日 わたしを信じる者は、わたしを信じるのではなく - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

九月二十一日

 ヨハネによる福音書一二の三八―五〇*1。この言葉は、この世において神の国を何らかの仕方で代表しなければならないすべての人びとにとって、よい教訓である。まず第一に、彼らは、多くの人たちによって信じられなくても、それを不思議がってはならない。次に、彼らの言うことを心ひそかに信じていながら、なおそれをあからさまに表せない人たちも少なくないことを、平静に受けとめなくてはならない。第三に、彼らはこの世をさばく者でなく、それを救う者でありたいと思うべきであり、これが肝要なことである。そして最後に、彼らの言葉を軽蔑する者は、すでに自分のうちに裁きをうけていることを、確信すべきである。

 彼らはつねに、神から託されたことをただそのまま語り、それより多くも少なくも語らないようにこころがけねばならない。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「……わたしを信じる者は、わたしを信じるのではなく、わたしをつかわされたかたを信じるのであり、またわたしを見る者は、わたしをつかわされたかたを見るのである。わたしは光としてこの世にきた。……わたしがきたのはこの世をさばくためでなく、この世を救うためである。……わたしは、自分から語ったのではなく、わたしをつかわされた父自身が、私の言うべきこと、語るべきことをお命じになったのである。わたしはこの命令が永遠の命であることを知っている。……

1919-09-20

[][]九月二十日 神への願いはしばしば はてなブックマーク - 九月二十日 神への願いはしばしば - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

九月二十日

 ダニエル書一〇の二―一三・一九―二一。神への願いはしばしばすぐには聞きいれられないか、あるいは、聞きいれられたことが、すぐにわれわれに知らされるとはかぎらない。このことがやがてわれわれの弱気の因(もと)ともなり、弱気が変じて不信仰にさえなりかねない。このように祈りが聞きいれられるのが手間どる理由は、必ずしもわれわれの眼前に明示されるわけではない。しかし、神のしもべの中に数えられうる人びとには、その辛抱づよい祈願がかならず、おそかれ早かれ、そして彼らにとって最もよい方法で、聞きとどけられるという十分な確信を、われわれは持ちつづくべきであろう。ちょうど大盤石の上に立つように、われわれはこの確信の上に立たねばならない。そうすれば、神はさしあたりわれわれを慰めるために、しばしば使者をおつかわしになる。それはたいてい普通の人間であるが、かならず適当な時期にやって来る。しかも、時としては、その人自身が忠言や助力や、祈願が聞かれるという確信を、われわれから与えてもらうためだったりする。わたしもみずからもたびたびそのようなことに出会ってきた。

 あなたが、もはや自分の力を信じることなく、つねに神の力を信じることができるようになったら、そのとき、あなたはすべてのことにおいて勝利を手中に収めているのである。なおその上、あなたは艱難をよろこぶ境地にまで達することができる。しかし、これはきわめて高い段階なのである。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-09-19

[][]九月十九日 あなた自身の過去をふりかえって はてなブックマーク - 九月十九日 あなた自身の過去をふりかえって - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 申命記四の三・四、七の九・一〇*1、八の二―五、一〇の一二・一三*2

 あなたの周囲を見まわし、知人たちの人生のあゆみを観察し、あなた自身の過去をふりかえって、果たして右の言葉のとおりであったかどうかをしらべてみるがよい。その上で、そのとおりだとわかったら、近代の進歩説――その説を信じる人びとの意見によれば、そんな「古い昔の事がら」など信じたいとは思わぬというのだが――このような説の饒舌からは、今後もはや、あなたの個人的な体験に大きな影響を受けまい、と決心するがよい。

 それとも、このような、いわゆる歴史的宗教の進化説は、その(聖書の示す真理)かわりに、どんな確信をあなたに与えるであろうか。そんな説を信じて、ただ辛うじて人生を凌いでゆくためにも、すでに、あなたはとりわけ恵まれた人間のひとりでなくてはなるまい。そういう生き方のために、すでにどんなに多くの人たちが人生に失敗したかを、あなたは見てきたではないか。それによって、いくらかでも幸福になるのは、ほとんど千人に一人もないであろう。しかもこの人がつねに幸福であるかどうか、たずねてみるがよい。詩篇七一篇。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「それゆえあなたは知らなければならない。あなたの神、主にましまし、真実の神にましまして、彼を愛し、その命令を守る者には、契約を守り恵みを施して千代に及び、また彼を憎む者には、めいめいに報いて滅ぼされることを。……」

*2:「イスラエルよ、今、あなたの神、主があなたに求められる事はなんであるか。ただこれだけである。すなわち、あなたの神、主を恐れ、そのすべての道を歩んで、彼を愛し、心をつくし、精神をつくしてあなたの神、主に仕え、また、わたしがきょうあなたに命じる主の命令と定めとを守って、さいわいを得ることである。」

1919-09-18

[][]九月十八日 この世の悪や悪人に対しては はてなブックマーク - 九月十八日 この世の悪や悪人に対しては - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 およそこの世の悪や悪人に対しては、真理と愛とをうまく混ぜあわせてかからねば、とても対抗できない。悪人と同じ武器をもって彼らに勝とうとしても、とうてい勝目はない。彼ら自身の縄張りのなかでは、ちょうど巨人アンテーウス*1の昔話にあるように、彼らは非常に強い。だが、ほかの領分では、たちまち勝手のちがった霊の力を感じ、それにくらべて自分の弱さを知るものだ。――この点においても、種々雑多の人びと、たとえば、評判の悪い取税人、罪の女たち、当時の賢者、敬神家、学者、欲ばった群衆、国王や総督、主を否んだがなお救われたペテロ、「見すてられた」ユダ、などに対するわれらの主の態度は、いかにも主らしい特色が現われている。現代においても、このように多くの困難な状況に陥りながら、しかも、家族や教会や国家、あるいは友人たちに頼らないということは、だれにでも容易にできることではない。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:アンテーウス(あるいはアンタイオス)、ギリシャ神話の巨人。母なる大地から離れると力が抜け、それに足をふれると、またたちまち力が湧いたという。

1919-09-17

[][]九月十七日 義務を果たしたという意識が はてなブックマーク - 九月十七日 義務を果たしたという意識が - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 神の恩寵のもとにあるという意識をのぞいては、義務を果たしたという意識が、最も強い幸福感をあたえるものである。前者は、いつもそれを受ける資格なしにさずけれらるものだから、自分で手に入れることはできない。しかし、後者はたしかに自分で獲得することができる。これは全くあなたの心がけ次第だからである。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-09-16

[][]九月十六日 正しさということを学ばねばならない はてなブックマーク - 九月十六日 正しさということを学ばねばならない - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 われわれは正しさということを学ばねばならない。この世でそれができなければ、もう一つ別の生活で新しく始めなければならない。それなら、この世でそれを学がよい。詩篇四九の一〇―一五。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-09-15

[][]九月十五日 真実を、ありのまま はてなブックマーク - 九月十五日 真実を、ありのまま - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 真実を、ありのまま正確に、誇張することなく語れ。それができない場合には、沈黙せよ。イザヤ書六の六―八、出エジプト記二〇の一六、二三の一、エペソ人への手紙四の二五*1

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「あなたがたは偽りを捨てて、おのおの隣人に対して、真実を語りなさい。わたしたちは、お互いに肢体なのであるから。」

1919-09-14

[][]九月十四日 精神的な、もしくは肉体的な病人について はてなブックマーク - 九月十四日 精神的な、もしくは肉体的な病人について - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 多くの精神的な、もしくは肉体的な病人について、とりわけ、その両方の病気をいくらか合わせ持っている神経病者について、彼らの病気も、また、彼らを助けてやれる、あるいは、少なくともその病気を軽くしてやれる治療法もわかっていながら、なお彼らにすすめてその療法を用うるようになかなかさせられないのは、言いようもなく悲しい。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-09-13

[][]九月十三日 魂がよくはたらいているときには はてなブックマーク - 九月十三日 魂がよくはたらいているときには - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 エマソンは「魂がよくはたらいているときには、魂の不滅などということには無関心なものだ」と言っている。たしかに、生涯のまださかんな時期においては、つまり現世を越えたあの世の事柄にたえず没頭するのは人間のあり方や考え方の一種の病的傾向を意味するような時期においては、エマソンの言葉が真実であるかもしれないが、もっと老年になると、これは必ずしもあてはまるものではない。年をとれば、むしろその反対の現象が現れてくる。すなわち、この世の事象にはいちじるしく興味がうしなわれ、精神は主として彼岸の生活に関心を抱きはじめるのである。ちょうど、ひとが大がかりな引越しをしようとして、そのまぎわになると、もう古い居住地よりも新しい居住地の事情のことを多く気にかけはじめるのと同じである。だから、トルストイも重病から回復したときに、「死に対する覚悟がやっっとできたのに、それと別れなくてはならないのが、実は残念なのだ」と、言ったのである。

 いまや、わが道は終ろうとする、

 ああ、この世よ、おまえになんの心残りがあろう。

 天国はわがあこがれのところ、

 そこへわたしは入らねばならぬ。

 よけいな重荷をたずさえず、

 旅の支度もできたので、

 神と平和の恵みのなかへ

 さあ、よろこんで進むのだ。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-09-12

[][]九月十二日 あなた自身の数多くの経験から はてなブックマーク - 九月十二日 あなた自身の数多くの経験から - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 あなた自身の数多くの経験からして、最後には、こういう信念に到達するのがよい、つまり、幸福というものは主体的なものであり、自分自身の内に見出さねばならぬものだ、と。たしかに、外的な出来事が瞬間的な幸福感を呼びおこすことのあるのは本当である。しかし、それは永く続くものだろうか、また、だれかある人の生涯に、そのような出来事がたえまなくつぎつぎに起るなどと期待できるだろうか、そうでないことをあなたは知っているし、まただれもがそれを知っている。しかし、もしあなたが、つねに活動的に、誠実に生き、神と和らぎながら、すべての人びとに対してゆたかな愛をもって、生きようと決意するならば、そのために間違いなく得られる幸福の実感によって、あなたは困難なときにも、しっかり支えられるであろう。それどころか、しばしば、苦悩の中においてさえ、あなたは非常に強い心の慰めを経験し、そのために、後になると、この苦しかった時期が、ただ幸福な時としてのみ思い出にのこるのである。

 また、こうしていれば、どんな外的な幸運にめぐりあっても、あなたは他人に対して、高慢や不遜におちいらずにすむであろう、そういう弱点は世間のいわゆる「幸運児」には」いつもつきまというがちのものだが。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-09-11

[][]九月十一日 人間が互いにもっと単純に はてなブックマーク - 九月十一日 人間が互いにもっと単純に - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 人間が互いにもっと単純に交わる気になったら、この世はずっと住みやすくなるだろう! いつわりの遠慮などせず、だがまた、人の言葉の裏に好意や親愛以外の意味を読んだりしないように! ところが、実はそうでなくて、ひとの親切そうな言葉も、タレーラン*1が考えたように、「本心をかくすため(プール・ディシミュレ・ラ・パンセ)」にすぎぬ、などと、不当にも思いこみがちである。

 決してそう考えてはならない。むしろ、無邪気な子供のように、まず初めに、ひとの言葉には必ずつねにその善意と誠実とを、自明のものと仮定してかかるがよい。のちになって、そうでないことがわかろうとも、その方がやはり、あなたにとって都合よくいくのである。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:タレーラン(一七五四―一八三八)、ナポレオンの頃の老獪な外相

1919-09-10

[][]九月十日 自分自身のことは全く語らないのが はてなブックマーク - 九月十日 自分自身のことは全く語らないのが - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 自分自身のことは全く語らないのが、一番よろしい。口に出しても、手紙ででも、そうだが、日記のなかでは特にそうである。自讃にわたることは、いやなあと味をもつし、また、自己非難は、われわれの存在と生命の根源である神のみ業に、ともすると触れることになるので、これもなすべきではない。

 他人はわれわれを大体において正しく評価するものである。われわれはそんなことを気にやむ必要はない。真に有為な人がながく軽んじられたためしはいまだかつてない。多くの人びとがしっかりした頼りと支えとを必要としているために、おのずからそうなるわけだ。われわれ自身にとっては、あらゆる自己評価のかわりに、そういう他人の評価で十分である。テモテへの手紙一の一六、六の一二。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-09-09

[][]九月九日 愛のたねを蒔かねばならない はてなブックマーク - 九月九日 愛のたねを蒔かねばならない - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 あなたは絶えず、そしてできるだけ多く、愛のたねを蒔かねばならない。あなたが学校教育を終えたのちは、それがあなたの生涯の仕事である。

 すべてのたねが芽を出すとはかぎらない。といって、すべてのたねが、石ばかりの地面に落ちて無駄になるわけではない。なぜなら、この世は切実に愛を求めており、世の中自身には愛がない場合でも、つねに愛を尊ぶであろうから。

 たねの蒔き方は、日に日にわかってくるというのが、一番よいやり方である。一旦そうしようという決心がつきさえすれば、また、生の享楽への欲念(これはひとのエネルギーをのこらず要求するものだ)が、もうあまり強くなりさえすれば、愛のたね蒔きの機会はいくらでも現われてくるだろう。

 だから、それをためしてみなさい。ためしてみること、着手することによってのみ、最も偉大な事柄も成就するものだ。それに、この場合は、神の助けがまちがいなく与えられる。というのは、神みずからが同じ目的を追求していられるからである。これからあと、あなたは共同の事業において神の助手であり、協力者である。ヨハネによる福音書八の一二、一三の三四、一四の一二―一五。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-09-08

[][]九月八日 キリスト教の最初の伝道者 はてなブックマーク - 九月八日 キリスト教の最初の伝道者 - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 キリスト教の最初の伝道者であり、文筆家であったパウロの手紙は、疑いのない歴史的真実性をもち、したがって個々の点において神に決定的意義をもつことがらの(たとえば復活について、コリント人への第一の手紙一五の六*1のごとく)、現存する最古の証拠であるばかりではない。さらに、さまざまの教会や個人にあてたこれらの手紙は、多くの重要な教示や助言を含んでいる。これらの言葉は、それにまさる主みずからの言葉(コリント人への第一の手紙七の一〇―一二参照)に次いで、神の霊によって完全に満たされた人の言葉として、われわれにも意義を持つのは当然である。最後に、これらの手紙は、肉体的な弱さをもち、多くの迫害をうけながらもなお、ついには真に幸福な人となったひとりの人の実例として、われわれを強くはげましてくれる。その後にあらわれたどの宗教的著述にもまして、これらの手紙は、多くの激励と慰めと助言とを含んでいる。だから、それは、宗教改革者たちにとっても、当時の重大な危機にのぞんで、よき道しるべともなったが、おそらく、またいつか、そのような役目をはたすであろう。ただ、これらの手紙は、それよりもややおくれて成立した福音書の上位に置かれてはならない。福音書はなおより高い型(タイプ)のものであり、たしかにもっと偉大な精神的集中力をもって記されたものである。

 イザヤ書五三の一〇―一二。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「(復活のキリストは)そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現われた。その中にはすでに眠った者たちもいるが、大多数はいまもなお生存している。」

1919-09-07

[][]九月七日 キリスト教がほかのすべての宗教と はてなブックマーク - 九月七日 キリスト教がほかのすべての宗教と - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 ある夢想家たち――気高い、というべきかもしれないが――は、いつかキリスト教が、ほかのすべての宗教とひとしく、その神秘的な、あるいはその重苦しい要素や形式をすっかりぬぎすてて、ついに真理と愛との純粋に精神的な直観に昇華するような時代がいずれくるだろうと想像している。しかし、人類はなんといってもまだそのような時代からは遠く離れているし、また、人間が部分的に肉体的なものから成り立っているかぎり、そういう状態に達する力はまだないといってよいであろう。このような状態は、来世の生活について考えられることで、そこでは宗教もいずれはきっと違った形式をとるであろうが(ヨハネの黙示録二一の二二*1)、しかし、この地上ではまだそれは考えられないことである。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「わたしは、この都の中には聖所は見なかった。全能者にして主なる神と小羊とが、その聖所なのである。」

1919-09-06

[][]九月六日 よい結婚とは はてなブックマーク - 九月六日 よい結婚とは - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 ほんとうによい結婚とは一体いかなるものであるかは、主として、次のことで知ることができよう。すなわち、来世の新しい生活を考える場合に、先き立った妻とそこでまた出会うのがただ自明のように感じられるばかりでなく、ぜひとも必要なことだと感じられる、ということである。もし妻とめぐりあいができないとすれば、自分の精神的自我の一部が欠けているという苦痛を覚えるであろう。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-09-05

[][]九月五日 永遠の生命を はてなブックマーク - 九月五日 永遠の生命を - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 ヨハネによる福音書第十七章は、その第三節*1に、キリスト自身の口から発せられた注目すべき確言を含んでいる――いわゆる使徒信条はもとより、なおあらゆる現代の信条をもこの確言に要約されよう、というのは、永遠の生命を得るにはそれ以上なにも要しないと思われるからである。だが、この章はその確言を含んでいるばかりではなく、さらにまた、年老いた人が、別の世界へ移りゆく(墓に入るのではない)まぎわに、もし彼がなんらかの思想の担い手であり、しかも子弟をあとに残してゆくとすれば当然いだくであろう感情を、きわめて適切にいい表している。とくに第一一節*2・一四節・一五節にはそういう感情のありのままの真実がこもっていて、そのことからだけでも、この思い出(福音書)の記者はよほどの老人だろうと、確実に推定することができよう。これはまた、人生の最後の行路の上になおも時おり落ちてくるただ一の哀愁の影でもあろう。もっとも、それは、もうすぐに、そのあとに開かれる未来の行路の光にあかあかと照らされるのであるが。

 この世においても、人生の比較的重大な一時期から他の時期に移るときには、必ずこのような哀愁感をともなうものである。第四節がいくらかでもあてはまる場合というのは、いつもごくまれにしか起らないものだが、その場合でさえ、やはりそうである。

 この種の悲しみがときおり現れたら、その前の第一六章二〇節*3ないし二二節の言葉によってそれをのり越えるようにし、また、予想されるものごとはとかく困難に見えるが、現実の事柄はそれ自体のうちに困難を克服する力をふくんでいて、かえって容易なものだという、しばしばなされる経験の力をもかりて、そのような悲しみを乗り切らなければならない。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「永遠の命とは、唯一のまことの神でいますあなたと、またあなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることである。」

*2:「わたしはもうこの世にはいなくなりますが、彼らはこの世に残っており、わたしはみもとに参ります。聖なる父よ、わたしに賜った御名によって彼らを守って下さい。……」

*3:「よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたは泣き悲しむが、この世は喜ぶであろう。あなたがたは憂えているが、その憂いは喜びに変るであろう。」

1919-09-04

[][]九月四日 まるで異なった事情のもとで成立した世界観や人生観 はてなブックマーク - 九月四日 まるで異なった事情のもとで成立した世界観や人生観 - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 およそ二千年も前に、われわれとは全く無縁な土地と民族において、現代とまるで異なった事情のもとで成立した世界観や人生観に、われわれは一体、なぜ従わねばならないのか、という問題なり疑念なりに、ともすると陥りやすいものだ。だれでも教養ある人びとは、生涯に一度かあるいはもっとたびたび、こうした疑念が心に湧き起るのを感じたことと思う。それはきわめて自然なことである。

 しかし、一面からいえば、ひっきりなくわれわれの考えに新しい基礎を据え直すよりも、それを歴史的根拠の上に築いていく方が、ずっと容易である。次に――そしてこれが主な点であるが――これまで、どんな哲学的人生観も、また、ほかのどんな宗教も、すべての人のために真の幸福をもたらすだけの力を実際に示したものは一つもないのである。もしある国に真のキリスト者ばかりがいるとしたら、おそらく「社会問題」などまるで起らずにすむであろう。しかもこのようなことは不可能ではあるまい。これとは反対に、哲学者ばかりの国など、決してありえないであろう。また、マホメット教国や仏教国が何をなしうるかは、容易に目で見ることができる、しかも、これらの国の人たちがその宗教に帰依している熱心は、われわれが自分の宗教に対する以上であるにもかかわらず。

 また、社会主義国家体制が大して幸福をもたらすものでないことも、いずれまもなく明らかになるであろう。このことは確実に推測することができる。だから、なんらの「神秘的」添え物なしに、いわば信仰をはなれて考えても、歴史的キリスト教が真にその最初の告知者(キリスト)の意図のままに実現されていたならば、それは万事を正しく導きうる「よろこばしきおとずれ」(福音)となったはずだという考えに、われわれはたえず立ち戻らざるをえない。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-09-03

[][]九月三日 福音書の真実性 はてなブックマーク - 九月三日 福音書の真実性 - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 福音書の真実性の問題なんかに苦労しないがよろしい。わたしはこう断言することができる、ケルソス*1以来ヴェルハウゼン*2に至るまでのすべての批判学者がそれについて書いたものを、ほんの部分的にでも人に教えることは、その大きな骨折りに値いしないものだ、と。

 むしろ、あなたは自分に尋ねてみるがよい、一体このような書が創作できるものかどうか、また特に論難の多い第四福音書(ヨハネによる福音書)があの出来事の親しい目撃者以外のだれかの手で書かれえたかどうか、と。もしそれを書きえたとすれば、あらゆる時代の最大の詩人であったにちがいない。ところが、そのような大詩人は第二・三世紀には出ていなかった。じっさい、まちがいなくこの時代に書かれたものが分っているので、それらを互いに比較することができる。そうすると、これら四つの福音書は、その著者がいずれも「真理のみ霊」を所有していたことを証明する。また福音書のあいだのくい違いは、といってもむろんささいなものだが、それがかえって、福音書の著者がそれぞれほかの著書を単に模写しようとしたのではなく、めいめい自分の記述のために独自の原資料を持っていたことを明らかにしている。このような原典が、その後、筆写者や翻訳者、その上おそらく修正者など、いろいろな人の手をくぐったことは、疑いないことであり、また、ところどころにその明らかな痕跡さえ認められる。しかし、このことはただ全然機械的な霊感説に対して警告するにすぎない。こんな霊感説は、霊感とはどんなものかを、自分の経験で多少とも知っている人には、とうてい納得しがたいものであろう、あたかもダンテがあるきわめて美しい詩句で、自分について証しすることができたように。


  「わたしは思いをこらしつつ愛の息吹きに耳をすまし、

  そのささやきをまことと知り、

  それを書きうつすのみ、わがうちより創るものはない。

     ――『神曲』煉獄篇第二四歌五二節――


 神の恵みをうけて、そのことのために「召された」福音記者も、ことごとくこのように仕事をするものである。四福音書もそのようにして書き記されたのである。しかし批判学者にはこのことが分らない。彼らの仕事のやり方はちがっているからだ。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:ケルソス、二世紀のローマの哲学者、一八〇年頃、キリストに対して初めて批判書を著したというが、今は伝わっていない。(訳者注)

*2:ヴェルハウゼン(一八四四―一九一八)、ドイツ神学者、初めて旧約聖書の批判的研究を行った。(訳者注)

1919-09-02

[][]九月二日 キリスト教に反対するあらゆるものに はてなブックマーク - 九月二日 キリスト教に反対するあらゆるものに - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 今日、キリスト教に反対するあらゆるものに直面しながら、しかも、この信仰に到達するには、ただ、非常な博覧多読によるか、さもなければ、考え方や感じ方のさながら子供のような単純さによるほかない。後者は、たとえばカペナウムの百卒長*1やカナンの女*2のような、まった、キリストがマタイによる福音書一八の三*3ですすめているような、単純さに見られるものである。学校カバン(学校でつめこんだ知識)をそのままかかえている今日の教養ある俗物は、パウロの手紙どころか、福音書すら理解していないものが多い。そんな人のひとりがある時、わたしに実際、手紙でそのことを書いてきた。そこでわたしは彼に、福音書をラテン語かギリシャ語で読みなさいと答えた。すると、それが役に立ったのである。今日、われわれの実情はその通りであって、たしかに、ものごとの理解は複雑であり、幼い女生徒にいたるまで型通りの物知りであるが、しかし学習時代を終えたあとも真に十分な教養は身につけていない。これは今日の学校が果たしえないことであろう。学校はあまりに多くの知識の対象をかかえて、あまりに急いで教え込まねばならないからだ。われわれは自己教育でそれをおぎなわない限り、すべてが断片のままに終ってしまう。しかしなおそれとともに、現代の人間を正しい道にみちびくには、たいていの場合、人生の不幸が力をかさなくてはならない。

 ルカによる福音書七の三〇、一〇の二二、一一の五三。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1マタイによる福音書八の五―一三。

*2マタイによる福音書一五の二一―二八。

*3:「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。」

1919-09-01

[][]九月一日 天才が大事業を始め はてなブックマーク - 九月一日 天才が大事業を始め - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

  「天才が大事業を始め、

  勤労のみがそれを仕上げる。」


 この言葉は残念ながら、必ずしも文字どおりに正しいとはいえない。天才的な人びとは彼らの最初の考えを、それを仕上げていく全段階を通して、そのまま持ちつづけることをしない。そういうことは彼らを退屈させ、そのためしばしば、もとの考えにまで影響して、ほかの方にそれたりする。そこで、彼はむしろそれを断片のままに残してしまう。これに反して、偉大な「勤労者」たちには、天才が欠けていることが多い。彼らはただ手本に従って仕事をするにすぎないのだ。だから、すでにドイツかフランスか、それともイギリスかアメリカにあって評判のよかった物を、まねすることができない場合は、彼らはすっかり途方に暮れてしまう。

 この両者のある意味での中間の道は、仕事の仕上げとくり返しをするやり方である。いつまでも資料集めに日を過ごすことなく、まず、最初の腹案のまま急いで大ざっぱにやっておいて、それからふたたびそれに掛かり、だんだんによくして行くこと、このやり方はしばしば性急な人びとにも、大変うまく成功するものである。印刷される仕事の場合には、いくどもそれに修正を加えることによって、極めてたやすくやりとげることができる。ひとはだれでも、いろいろためしてみて、自分の一番よい仕事のやり方を見つけなくてはならない。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫