蜀犬 日に吠ゆ

1919-09-03

[][]九月三日 福音書の真実性 はてなブックマーク - 九月三日 福音書の真実性 - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 福音書の真実性の問題なんかに苦労しないがよろしい。わたしはこう断言することができる、ケルソス*1以来ヴェルハウゼン*2に至るまでのすべての批判学者がそれについて書いたものを、ほんの部分的にでも人に教えることは、その大きな骨折りに値いしないものだ、と。

 むしろ、あなたは自分に尋ねてみるがよい、一体このような書が創作できるものかどうか、また特に論難の多い第四福音書(ヨハネによる福音書)があの出来事の親しい目撃者以外のだれかの手で書かれえたかどうか、と。もしそれを書きえたとすれば、あらゆる時代の最大の詩人であったにちがいない。ところが、そのような大詩人は第二・三世紀には出ていなかった。じっさい、まちがいなくこの時代に書かれたものが分っているので、それらを互いに比較することができる。そうすると、これら四つの福音書は、その著者がいずれも「真理のみ霊」を所有していたことを証明する。また福音書のあいだのくい違いは、といってもむろんささいなものだが、それがかえって、福音書の著者がそれぞれほかの著書を単に模写しようとしたのではなく、めいめい自分の記述のために独自の原資料を持っていたことを明らかにしている。このような原典が、その後、筆写者や翻訳者、その上おそらく修正者など、いろいろな人の手をくぐったことは、疑いないことであり、また、ところどころにその明らかな痕跡さえ認められる。しかし、このことはただ全然機械的な霊感説に対して警告するにすぎない。こんな霊感説は、霊感とはどんなものかを、自分の経験で多少とも知っている人には、とうてい納得しがたいものであろう、あたかもダンテがあるきわめて美しい詩句で、自分について証しすることができたように。


  「わたしは思いをこらしつつ愛の息吹きに耳をすまし、

  そのささやきをまことと知り、

  それを書きうつすのみ、わがうちより創るものはない。

     ――『神曲』煉獄篇第二四歌五二節――


 神の恵みをうけて、そのことのために「召された」福音記者も、ことごとくこのように仕事をするものである。四福音書もそのようにして書き記されたのである。しかし批判学者にはこのことが分らない。彼らの仕事のやり方はちがっているからだ。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:ケルソス、二世紀のローマの哲学者、一八〇年頃、キリストに対して初めて批判書を著したというが、今は伝わっていない。(訳者注)

*2:ヴェルハウゼン(一八四四―一九一八)、ドイツ神学者、初めて旧約聖書の批判的研究を行った。(訳者注)