蜀犬 日に吠ゆ

1919-09-30

[][]九月三十日 偉大なことや善いことのために はてなブックマーク - 九月三十日 偉大なことや善いことのために - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 あなたは、この世のどの国に住もうとも、偉大なことや善いことのために、すぐさま多数の人を味方に持つだろうなどと、決して期待してはならない。すべて偉大なことは、小規模に、小人数から始まるものだ。ななたはそれを覚悟しなければならない。そして、子供たちを教育するにも、彼らが少数派に属することを平気なように、導かねばならない。

 それどころか、フリードリヒ・フォン・ゲンツが、あるとき、「悪魔のように喜んで」彼の日記に記したことはたしかに誤りではない、すなわち、偉大な事柄(それともむしろ大がかりに始められた事柄といった方がよい)は、往々みじめな結末になることがある、と。しかし、もしそのことが真に偉大であれば、いつまでもそのままに終るものではない。それは何度でもよみがえってくる。しかも、その仕事の最初の推進者たちには、しばしばまだ人間的な、「あまりにも人間的な」ものがこびりついているが、やがて次のよりすぐれた推進者のもとで、その仕事は新しくよみがえるのである。

 光をいくらかでも純粋にとらえるということは、だいたい、人間にとっては非常にむずかしいことである。

 まだ純粋に霊的でないこの世と、この世における人間のすべての努力の本質は、なかば暗闇である。ただ、われわれにできることは、闇ではなくて光を愛し、そして、たえず一歩一歩光に近づき、やがてのちには、完全に光に耐えうるようになるために、われわれの全力をつくすことである。

 ヨハネによる福音書三の一九、八の一二*1ルカによる福音書一一の三六。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「そのさばきというのは、光がこの世にきたのに、人々はその行いが悪いために、光よりも闇の方を愛したことである。」「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、闇のうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう。」