蜀犬 日に吠ゆ

1919-10-29

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眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 列王記下六の一六*1、歴代志下二〇の三七。悪は、今のところ、たしかにこの世の巨大な力であり、ひろい範囲を領している。それはいぜんとしてこの世の王であるが、しかし「裁かれた」王であって、その支配権を「しだいに」放棄しなくてはならないだろう。

 それゆえ、この王はいつも恐れているのだ。われわれはそのことを考慮にいれてよろしい。そして、彼の強気は、せいぜい傲慢(ピブリス)にすぎず、これは普通、完全な没落の前ぶれなのである。

 しかし、善の方でもまた恐れるならば(これは残念ながら涙っぽい説教やさわがしい宣伝、多くの信仰書や雑誌などで、実にしばしば見受けることころだ)、それによって善は、悪にたいするその優越性の主な根拠を、たちまち失ってしまう。最もよい事柄でも、勇気が欠けていると、それだけですでに、全く、あるいは半ば、くりかえし駄目になってしまった(たとえば宗教改革、クロンウェルの共和政治、オランダの自由国、独立戦争後のドイツ、南北戦争後のアメリカ、アフリカのブール人の国、わがスイスの最もすぐれた憲法条文など)。そこで、いくどもまた新しくやり直さねばならない。若い人たちに善への勇気を教え込むことができれば、それは現代のあらゆる教育のとりわけよい仕事となるであろう。およそこの要点を欠く教育は、大した意義のないものである。ところが、たとえばわがスイスの学校では、むしろその反対のもの、すなわち、唯物主義の讃美や、単なる世才の謳歌を、教えられてきた。だから、われわれは、よりよい道を自分で探さねばならなかった。

 ヨハネによる福音書三の一九*2、士師記五の三一。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「エリシヤは言った、『恐れることはない。われわれとともにいる者は彼らとともにいる者よりも多いのだから』。」

*2:「そのさばきというのは、光がこの世にきたのに、人々はその行いが悪いために、光よりもやみの方を愛したことである。」