蜀犬 日に吠ゆ

1919-11-30

[][]十一月三十日 生涯における最大の日とは はてなブックマーク - 十一月三十日 生涯における最大の日とは - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 ある人の生涯における最大の日とは、その人の歴史的使命、すなわち、神がこの世で彼を用いようとするその目的が明らかにわかり、また、これまで神が導かれてきたすべての道がそこに通じているのを悟った日のことである。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-11-29

[][]十一月二十九日 生涯のあらゆる時機に、多くの敵を はてなブックマーク - 十一月二十九日 生涯のあらゆる時機に、多くの敵を - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 わたしは生涯のあらゆる時機に、多くの敵をもったが、しかし、どの敵もわたしをいささかも害わず、多くの敵はかえってわたしに積極的な利益をもたらした。ところが、その反対に、友人たちからは、概して、本当のはげましを受けたことが実にすくなかった。以下の助言は、わたしの人生経験として受けとってもらいたい――なるほど友情は大へん尊い宝であり、敵意を経験することは常につらいにちがいない。しかし、まことの内面および外的進歩に対比してみて、われわれはあまりにも熱心に友を求めすぎ、敵をあまりにもはなはだしく、また不必要に、恐れすぎる。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-11-28

[][]十一月二十八日 すべてを神に はてなブックマーク - 十一月二十八日 すべてを神に - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

   すべてを神に

ときおり勇気がくじけようとも

かたく、かたく神に頼れ、わが心よ、

自分の勇気でなしとげたものはなに一つない、

おのが勇気をたのむな。

そうすればおまえの一生の道は転じて、

みめぐみが注ぎはじめる


そうすれば、主の力はいやまさり、

もはや古きおまえでない

おまえの姿の中で、主がはたらかれ、

闇と光、

人間とキリストとが

ぶっつかり合うことはない。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-11-27

[][]十一月二十七日 自分にたいしてもまた他人にたいしても十分真実で純朴な態度で はてなブックマーク - 十一月二十七日 自分にたいしてもまた他人にたいしても十分真実で純朴な態度で - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 もしわれわれが、自分にたいしても、また他人にたいしても、十分真実で純朴な態度でのぞむ習慣を身につけようとし、また実際そうすることができたならば、非常な進歩をとげるであろう。しかし、人間は自分自身の力にもとづいてそれをすることは、とうてい不可能である。まず、神の学校で、神自身に対して真実で、誠実になることからはじめねばならない。こうしてはじめて、しだいに真理そのものに対して心をひかれるようになり、それに身をゆだねることを習うのである。

 しかし、他人の不正直に対して人がどんなに敏感であるかを知ったなら――しかも、これはおそらくだれでお自分自身で容易に経験できるだろう――、われわれはずっと速く正直になるにちがいない。ひとは他人の不正直にひどく敏感だという事実から、人間を欺くということは全く不可能だと言いきってもよいとさえ私は思う。もっとも、他人のエゴイズム、とくに虚栄心を刺戟してあざむく場合は別である。これは、彼らのもって生まれた良識のあらゆる警告に対して彼らを盲にし、つんぼにするからである。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-11-26

[][]十一月二十六日 人間に信仰が始まるのは はてなブックマーク - 十一月二十六日 人間に信仰が始まるのは - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 近代のある著述家は、全く正当にも、こう言っている、「人間に信仰が始まるのは、一つの要求からだ」と。つまり、決して認識からではない、というのである。ただし、不幸についての認識、とりわけ、まったく信仰なしに人生をおくる自分自身の不幸についての認識は、別である。自分以上の高いものに、自分の意志をささげようとしない人は、真に信じることはできない。それどころか、いわゆる信心ぶかい人であっても、たとえささいなことにせよ、ふたたび自分の意志を持ちはじめるやいなや、ふしぎにも信仰はたちまちやんでしまう。ところが、自分の意志と生命とを、彼が信じたいとおもう神にささげることをかたく決意した人は、信じることができるし、このことをただちに経験するであろう。

 信仰の発足は、そして、その際ただ一つその人に要求されるものは、一つの意志行為である。それから先きのことは神がなし給うのである。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-11-25

[][]十一月二十五日 キリスト教はおどろくほど積極的な元素 はてなブックマーク - 十一月二十五日 キリスト教はおどろくほど積極的な元素 - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 キリスト教は、おどろくほど積極的な元素(エレメント)である。われわれはこれを、ただの教えとして、永く、じっと抱いていることはできない。かならずこれを実際にはたらかせ、またこの霊によって「歩か*1」ざるをえない。それとも、そんなことでは満足しないで、あらゆる無益な疑問とか思弁におちいったり、さまざまな公理、儀式、集会などを採りいれざるをえず、これによって心の空虚をまぎらそうとするのである。このような信仰上の道楽者に用心しなさい。そして、もっとも手近なつとめを果たすがよい、ただし、あなたが希望を寄せている霊によって、すべてをなさねばならない。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:ガラテヤ人への手紙五の一六、「わたしは命じる、御霊によって歩きなさい。……」(訳者注)

1919-11-24

[][]十一月二十四日 神に代って人間を支配するこれら三つの力 はてなブックマーク - 十一月二十四日 神に代って人間を支配するこれら三つの力 - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 金、名誉、そして享楽という、神に代って人間を支配するこれら三つの力と、一旦関係を絶ってしまうと、われわれはたしかに、わが身の自由を感じるが、しかし、そのあとの最初の瞬間は幻滅である。なぜなら、自由は――個人的な自由にせよ、政治的な自由にせよ――ただ消極的なものに過ぎず、それ自身ではなんらの満足をもあたえないからである。そのためには、人間は(民族と同じく)ある積極的な使命をもつ必要がある。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-11-23

[][]十一月二十三日 われわれは最初は信じる者であり はてなブックマーク - 十一月二十三日 われわれは最初は信じる者であり - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 そこでわれわれは、最初は信じる者であり、次は禁欲者、最後に伝道者となるのである。これらの境地のいずれもが、その時期に徹底的に終了され、そして、その消しがたい痕跡をその人の性格に残していなければならない。もしある人が、彼の精神生活のこのような過渡的形式の一つに、停頓しているとしたら、それはよいことではない。それは、活動のない信仰か、愛のない諦念にとどまることになる。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-11-22

[][]十一月二十二日 ひとは宗教や教会や哲学のことなど はてなブックマーク - 十一月二十二日 ひとは宗教や教会や哲学のことなど - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 時おり、ひとは宗教や教会や哲学のことなど、もはやなにも聞きたくない、それよりも単純率直に、「わが神よ、わたしはみこころを行うことを喜びとします。あなたのおきては、わたしの心のうちにあります」(詩篇四〇の八)と言うことができたら、と、ひたすらあこがれることがある。

 ゴルドン将軍のようなキリスト者が、堅固な信仰をもつマホメット教徒をも尊敬すべきものと思い、少なくともたいていのイギリス人と同じようによい人だと考えたということは、わたしもよく納得できる。

 しかしそれでもなお、神みずからが望まれる神への道は、ひとりキリストを通してであって、これを回避することは決して許されない、ということは、あくまでも真実であり、初めにのべたような気持の時にも、このことを絶えずいきいきと眼前に浮べていなければならないのである。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-11-21

[][]十一月二十一日 自分の内的生活のいちじるしい進歩につれ はてなブックマーク - 十一月二十一日 自分の内的生活のいちじるしい進歩につれ - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 ヨハネによる福音書一五の二〇―二五。あなたは、自分の内的生活のいちじるしい進歩につれ、そのために、世間の人たちから以前にまして愛され、尊敬されるようになるだろう、などと信じてはならない。そういう場合、これに対して、原則的にまず最初に現れるのは、キリスト嫌いである。この反感は、初めのうち哲学的倫理の形をとるのが常であって、それはまだ神の信仰との一致だけはまもろうとするが、しかしそれもやり通せるものではない。とどのつまりは、無神論か汎神論となる。個々のキリスト者に対しては、どんなによくても、「理由なき憎しみ」がつづく。かつてキリストその人に対して向けられ、いずれにしても彼の不当な断罪を大いに助けたのも、この理由のない憎しみであった。もし当時、世論とか、新聞とかがあって、すこしでもキリストのために弁じたならば、俗界や宗教界の権力者たちも、彼らのじゃま者を、まさかあのように排除することはできなかったであろう。なぜなら、彼らは神以外のなにものをも恐れないと口では言っても、その実、世論や新聞が彼らに恐怖心をそそる神々なのだから。

 このような憎しみに対しては、どんな抵抗も無駄である。「理由のない」憎悪は、いつになっても、どんな方法でも、宥められることがない。むしろ、辛抱づよく耐え忍ぶよりほかはない、その憎悪がなるべく「理由」を見つけないために。

 その代り、その百倍もの償いが与えられる。しかも外的なもので与えられることさえある。あなたは、すぐにそれを経験するであろう。マルコによる福音書一〇の二九・三〇。

 しかし、いつの世にも、もうすこし高尚な考え方の人びともあって、世論のために迫害され、見捨てられた人たちを探し出すとか、それとも(おそすぎた場合には)もちろんその死後に初めて、記念碑を建てたり、新聞や書物で称讃することで、彼らを尊敬したり、「救おう」とする。

 そうなると、世間の人たちの意見も変ってくる。ヨハネによる福音書一九の三八・三九。

 理由のない憎悪は、本来、良心のやましさを証しするものにすぎない。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-11-20

[][]十一月二十日 地上における神の国は はてなブックマーク - 十一月二十日 地上における神の国は - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 地上における神の国は、もとある宗族の歴史である。それがしだいにさまざまの困難をへながら、特定の小さな民族と国土とのの国民的歴史となり、そして、ずっと後になって初めて、すっかり文明開化したあらゆる民族の一般史にまで成長してきたのである。神の国はその点でおどろくほど自然的なもの、単純なものをもっている。そのなかの奇跡的なものでさえ、単純な、自然な形式につつまれている。そこで、神の国をこの歴史的・自然的形式のままで受けいれる人は、それを最もよく把えることができる。しかしこのようなうけとり方は、今日の教養人のあいだでは、ほとんど失われてしまった。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-11-19

[][]十一月十九日 あなたに対する神の判決 はてなブックマーク - 十一月十九日 あなたに対する神の判決 - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 出エジプト記三三の一二*1。これはあなたに対する神の判決である。そのような判決は、いつかあなたの生涯において、しかも通常、ただ心のなかだけでなく、だれかある人の言葉を通して、はっきり告げられるであろう。たいてい、それを語る人は、彼自身の熟慮にもとづくとか、何かの外的理由からそれを語るのでないことが全く明確なような人であり、またそれを語ったあと、まもなく死ぬというような人であったりする。しかし、あなたは一旦このような判決を受けたら、十分こころして、別のさばきをのぞんだり、まして探したりしないようにするのがよい。というのは、そのとき、あなたはアブラハムと同じ祝福を受けているのだから。創世記一二の二*2・三、一五の一、一七の一・二。しかしそれについて創世記一五の六に、次のような警めの言葉がしるされている、「アブラムは主を信じた。主はこれを神の義と認められた。」

 ローマ人への手紙四の一八―二二。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「モーセは主に言った、『ごらんください。あなたは、この民を導きのぼれ、と私に言いながら、わたしと一緒につかわされる者を知らせてくださいません。しかも、あなたはかつて、わたしはお前を選んだ、お前はまたわたしの前に恵みを得た、と仰せになりました』。」

*2:「主はアブラムに言われた『……わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。……』」

1919-11-18

[][]十一月十八日 他人の判断や好き嫌いにふくまれる はてなブックマーク - 十一月十八日 他人の判断や好き嫌いにふくまれる - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 ヨハネによる福音書一五の二・一八・一九・二〇。他人の判断や好き嫌いにふくまれる、いくらかの忘恩と不公平とに、あなたも耐えうるようにならねばならない。ある人の同時代人たちが、その人に対して二つの物差しを持っていることは、別段珍しくはない。すなわち、その人が彼らの仲間であるかどうかでいくらか加減される物差しと、もう一つは、その人に対する真の見解をふくむ、もっと無条件な物差しである。しかし、およそ大切なのは、そのようなものではなくて、ただ神のさばきだけである。そして、この点については、ヨハネによる福音書三の二七・三六*1が、洗礼者ヨハネの口を通して、きわめて正しい言葉を語っている。本当の永続的意義は神から与えられるものであり、従ってそれは人間の、キリストに対する正しい態度と関連している。かような正しい態度を持たないすべての人たちの頭上には、つねに何か名状しがたいものがただよっていて、彼らがその人生の目的や真の幸福に到達するのを妨げている。一方、キリストに対して正しい態度をもっている人びとは、生まれつき才能も乏しく、その上、多くの欠点を持ちながらも、なお人生の目的や真の幸福に到りうるのである。われわれは右のような道程をきわめて明瞭に跡づけることができる。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「ヨハネは答えて言った、『人は天から与えられなければ、何ものも受けとることはできない』。『……御子を信じる者は永遠の命をもつ。御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがsの上にとどまるのである』。」

1919-11-17

[][]十一月十七日 善と悪とを知る木は はてなブックマーク - 十一月十七日 善と悪とを知る木は - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 善と悪とを知る木*1は、人間にとって危険なものである。神の国を信じる者は、あくまで善の領域にとどまるべきで、悪をも研究してみようなどと思ってはならない。さもないと、悪の牽引力が働きかけてくる。この岩礁に触れて、難破する人たちは数知れずいる。彼らは、他の点ではいろいろよい意向をもっていようとも、ただ彼らの読み物や社会的なつながりが悪いということだけで、失われてしまう。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:創世記二の九・一六、三の一以下参照。(訳者注)

1919-11-16

[][]十一月十六日 まことのキリスト者の生活内容は はてなブックマーク - 十一月十六日 まことのキリスト者の生活内容は - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 サムエル記上七の一二。

 「エベネゼル(助けの石)。主は、今にいたるまでわれわれを助けられた。」

 これは、これからもう努力をやめて休み、たのしくしたい、というだけの意味ではなくて、だから主はこのあともひきつづき助けて下さるだろうというのである。

 まことのキリスト者の生活内容は、結局、まちがいなく継続する(時には内的、時には外的の)勝利でなければならない。しかし、一生の最後の瞬間を閉じるまで、決定的な勝利、いいかえれば、その後に平和条約が結ばれるような勝利は、決してない。われわれの地上の敵である悪を相手にしては、おおよそそのような勝利は存在しないのだ。ただ個々の人間の生活にとって、その生涯の終わりに、最後の勝利がありうるだけである。その前には、あくまでも悪との戦い、子々孫々までもつづく戦いがあるだけであっって、決して平和はない。これは小さなことがらではなくて、要は、困難な、しかもたえず新たにすべき決意である。すなわち、困難というのは、われわれが出会う敵の強い抵抗のゆえであるが、また、えてしてわれわれが敵である悪に心をひかれたり、一つの戦いが終ると不適当な休息をほしがるわれわれの弱さのゆえでもある。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-11-15

[][]十一月十五日 ハレルヤ、全能者にして主なるわれらの神は はてなブックマーク - 十一月十五日 ハレルヤ、全能者にして主なるわれらの神は - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 ヨハネの黙示録一二の一〇、一九の六*1・七・九。

 この声を、いつかあなたは自分で、自分の内部に、しかも非常にはっきりと聞かねばならない。さもなければ、教会の罪の赦免も、なんらあなたに益するところがない。しかし、その方向への途中にあるだけの人びとも、すでに幸福なのである。

 ヨハネ黙示録七の一四―一七、三の一二・一九・二〇、二一の三―六。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「わたしはまた、大群衆の声、また激しい雷鳴のようなものを聞いた。それはこう言った、『ハレルヤ、全能者にして主なるわれらの神は、王なる支配者であられる。……』」

1919-11-14

[][]十一月十四日 最もよい時期として思い出に残るのは はてなブックマーク - 十一月十四日 最もよい時期として思い出に残るのは - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 最もよい時期として思い出に残るのは、しばしば、それに直面しているときには最も苦しく思われた時期である。というのは、その時期に、われわれは成長をとげたか、あるいは、その苦しみがなければいつまでも残ったであろう自分の欠点を脱ぎすてたからである。

 テモテへの第二の手紙三の一一・一二、ヘブル人への手紙二の一八*1

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「それから、わたしがアンテオケ、イコニオム、ルステラで受けた数々の迫害、苦難によくも続いてきてくれた。そのひどい迫害にわたしは耐えてきたが、主はそれら一切のことから、救い出して下さったのである。一体、キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、みな、迫害を受ける。」「主ご自身、試験を受けて苦しまれたからこそ、試煉の中にある者たちを助けることができるのである。」

1919-11-13

[][]十一月十三日 思想や仕事の上で、時には はてなブックマーク - 十一月十三日 思想や仕事の上で、時には - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 思想や仕事の上で、時にはみのりゆたかな時期があるかと思えば、また時には精神が休息して新しい力をたくわえる冬の季節のような時期もある。あなたは、このような時期を、神からさずけられた休憩時間として、こころ安らかに感謝して受け取りなさい。かかる休憩時間は、人生において時おり現れるもので、死において初めて現われるものではない。死はむしろ新しい、より偉大な活動のはじまりであろう。

 ヨハネ黙示録二の一〇、ヘブル人への手紙四の九・一〇。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-11-12

[][]十一月十二日 われわれが神の導きを受けている場合 はてなブックマーク - 十一月十二日 われわれが神の導きを受けている場合 - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 出エジプト記三四の一〇*1。われわれが神の導きを受けている場合、いつも、自分であらかじめ考えていたのといくらか違った成行きになるものである。それは、われわれの行為から、自分のためや他人のためによい結果が生まれるのは、われわれの賢さや計算のせいではなくて、神の力のおかげであり、したがって、その成果についての誉れは神に帰すべきものだということを、われわれが覚るためである。だから、あなたの生涯において、あなたが行った最善のことにたいして隣人たちから大した外面的栄誉があたえられないのに、他人はもっとささいなことでそれを受けたとして、不思議はないであろう。むしろあなたは、それに耐えることを学ばねばならない。

 いったいに、ある人の最もよい影響は、通常、その人の後継者において、時には、その単に無意識な弟子たちにおいて、はじめてあらわれるものである。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「主は言われた、『見よ、わたしは契約を結ぶ。わたしは地のいずこにも、いかなる民のうちにも、いまだ行われない不思議を、あなたのすべての民の前に行うであろう。あなたがともに住む民はみな、主のわざを見るであろう。わたしがあなたのためになそうとすることは、おそるべきものだからである』。」

1919-11-11

[][]十一月十一日 神みずからの召しを受けることなく はてなブックマーク - 十一月十一日 神みずからの召しを受けることなく - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 ヘブル人への手紙五の四・一二―一四・六の一―三*1

 神みずからの召しを受けることなく、自分免許で、ある高い宗教的地位にのぼるとか、あるいは単になんらかの人間的な役所からそのような地位に就かせられた人は、決して「教師」になることもなく、完成を目ざして進むこともならず、いつまでも信仰の初歩にとどまって入るであろう。かような人びとは、たいてい、もっと偉大な人びとが道をひらいたあとをうけて、われわれの教会の信仰箇条、いわゆる告白文、信仰問答書、教会祈祷文、教会法などを考案した(これらは今日大いに改正する必要が生じている)。同じヘブル人への手紙のすばらしい第一一章には、信仰の先駆者や貫徹者のことが挙げられているが、しかし、そのような人びとはいつもわずかしかいなかった。いくらか弱くなってきたわれわれ改革主義の信仰を更新するためには、このような精神的強者(この世は彼らに値いするものではないが)を、いまや大勢持たなければなるまい。必要なのは、長老会や委員会やまたは宗務会などではない。これらのものは、「堅い食物」には不向きである。しかしながら、信仰の勇士たちがふたたび育ちうるための第一の前提条件は、一般の常識が「不幸な時代」と呼んで、できるだけそれを避けようと努めているような、そうした時代が来ることである。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「だれもこの栄誉ある務を自分で得るのではなく、アロンの場合のように、神の召しによって受けるのである。」「あなたがたは、久しい以前から教師となっているはずなのに、もう一度神の言の初歩を、人から手ほどきしてもらわねばならない始末である。あなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要としている。すべて乳を飲んでいる者は、幼な子なのだから、義の言葉を味わうことができない。しかし堅い食物は、善悪を見わける感覚を実際に働かせて訓練された成人のとるべき者である。」「そういうわけだから、わたしたちは、キリストの教の初歩をあとにして、完成を目ざして進もうではないか。……」

1919-11-10

[][]十一月十日 つねに悪にうち勝つことのできる神に信頼せよ はてなブックマーク - 十一月十日 つねに悪にうち勝つことのできる神に信頼せよ - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 イザヤ書三一の五、三二の一〇、三三の一一、四一の一〇―一四*1

 「神を恐れよ、そしてその他のなにものをも恐れるな。」この、いささか大見得をきったきらいのあるビスマルクの言葉は、元来よい言葉といえよう。しかし、実情が果してこれに一致したかどうか、いいかえれば、これが今日のドイツや、そのほかの世界にあてはまるかどうかは、たしかに全く別の問題であって、それに対する答えはもっと威勢のよくないものである。わたしとしては、ずっとより現実的に、こう言うべきだと思う、悪を恐れよ、しかし、つねに悪にうち勝つことのできる神に信頼せよ、と。真の偉人たちはみなそう考えた。クロンウェル、ルター、ツヴィングリ、カルヴァン、ブリュッヘル、シャルンホルスト、アブラハム・リンカーンゴルドンなどそうであるし、いや、それのみか、すべてにまさって偉大なキリスト自身が、根本的には、やはりそう考えられていた。キリストも、まえもって激しい逡巡なしにこの世のために死に赴いたわけでは決してない(マタイによる福音書二六の三七・三八*2、二七の四六、ヘブル人への手紙五の七・八)。かずかずの戦いのうちに年老いた勇敢な軍人たちも、みなそう考える。それよりほかに考えようがないものだ。あなたも、年をとるにつれてますます、トルストイがあんなに感動深く書いた『闇の力』(トルストイには同名の作品がある。)を、本当によく分るようになるだろう。しかしまた、神の力についても深く知るようになろう。悪はしょせん神のしもべであって、マニ教の説くような神の敵対者(ライバル)ではない。われわれは、悪について、それ以上のことを知らないが、それだけは確実にわかっている。エペソ人への手紙六の一二、同胞教会讃美歌六五七番、六六二番、六七〇番。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「恐れてはならない。わたしはあなたとともにいる。驚いてはならない、わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる。……」

*2:「そしてペテロとゼベタイの子ふたりを連れて行かれたが、悲しみを催しまた悩みはじめられた。そのとき、彼らに言われた、『わたしは悲しみのあまり死ぬほどである。ここに待っていて、わたしと一緒に目をさましていなさい』。」「そして三時ごろに、イエスは大声で叫んで、『エリ、エリ、レマ、サバクタニ』と言われた。それは『わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか』という意味である。」

1919-11-09

[][]十一月九日 「文通する人」としてのキリストなど、想像できるだろうか はてなブックマーク - 十一月九日 「文通する人」としてのキリストなど、想像できるだろうか - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 あなたは、「文通する人」としてのキリストなど、想像できるだろうか。

 およそ信仰上の事柄について「手紙を書く」ことはできない。だれを相手にしても、できない。ぜひとも必要とあれば、その時その時の重要なことについて書くがよい。しかし宗教的対話のための説教(ホミリエ)などは書かぬがよろしい。それは結局、骨折り損で、いろいろの誤解や、それとも虚栄の種となるにすぎない。最近しばしば、往復書簡が最後になって出版されたりするが、これは、とくに発信者の諒解のもとに公表される場合には、全く例外なく虚栄心である。だから、いずれにしても、つとめて読むだけの価値のないものである。宗教的な事柄についてのほんとうの文通は、つねにその双方の性格に有害なものである。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-11-08

[][]十一月八日 もはやおびただしい神学書やその他の宗教書を はてなブックマーク - 十一月八日 もはやおびただしい神学書やその他の宗教書を - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 あなたは人生の最後の段階において、もはやおびただしい神学書やその他の宗教書を読む必要はない。われわれの信仰の原典(テキスト)である(さいわい教科書の形になっていない)四福音書と、その最もよい注釈である使徒たちの手紙とを頼みとするがよい。ほかの注釈書は一切必要でない。旧約聖書と使徒行伝は、われわれの宗教の歴史的部分として欠くことができない。ことに、預言者の諸書や詩篇はわれわれを非常に励まし慰めてくれる。ヨハネの黙示録を、あなたは一つの幻覚(ヴィジョン)として、現代においても十分よく理解し、評価することができよう。もっtも、この書は空想家たちによってたびたび濫用され、誤って解釈されてきたが。記された言葉(聖書の言葉)は「われらの足のともしび、われらの道の光」(詩篇一一九の一〇五)である。しかもその上、あなたはしだいに内的な個人的な啓示を受けるようになるだろう。実際、このような啓示は聖書の言葉とも一致するものであり、また、心よわく感じられる時には、あなたの慰めともなる。記された言葉が即座の用にたりないときにも。エレミヤ書一五の一六*1

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「わたしはみ言葉を与えられて、それを食べました。み言葉は、わたしに喜びとなり、心の楽しみとなりました。」

1919-11-07

[][]十一月七日 あなたがたは耐え忍ぶことによって はてなブックマーク - 十一月七日 あなたがたは耐え忍ぶことによって - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 「あなたがたは耐え忍ぶことによって、自分の魂をかち取りなさい」(ルカによる福音書二一の一九)。この言葉は、今日、カトリックのいわゆる近代主義者に属しないで、しかもなお、自分たちの教会のなかで真理を得たいとねがう人びとにとって、近い将来とくに必要となるであろう。

 ピリピ人への手紙とヘブル人への手紙は、現代とまことによく似た時代において、このようなあらゆる戦いに耐えたのちに、与えられた内的な喜悦とたましいの平安とを示している。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-11-06

[][]十一月六日 永久にわたってこの世の悪を はてなブックマーク - 十一月六日 永久にわたってこの世の悪を - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 マタイによる福音書八の二二*1。あなたは永久にわたってこの世の悪を征服してしまうことはできないし、それからまた、信仰箇条や国法や教会制度や教育によって、将来のすべての世代の生活から悪を閉め出すこともできない。それどころか、悪は屈服するたびごとにふたたび力をもりかえして、それぞれの世代に対してあらたに闘いをいどむのである。

 これは、安易で快適なキリスト教をのぞむ人たちにとっては、なるほど愉快ではないが、しかし必要なことである。というのは、霊的なものもなく、自分の体験も持たないような、ただの教会中心の、習いおぼえた形式主義の信仰は、いつの世代の人間にもたえず新しく息をふき返してくる世俗的精神や獣性と同じくらいに、悪いものだからである。もしわれわれが、単に「キリストの教会に属する」だけでなく、真にキリストに「従い」たいと思うのなら、この両方の悪と絶えず戦わねばならない。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「私に従ってきなさい。そして、その死人を葬ることは、死人に任せておくがよい。」

1919-11-05

[][]十一月五日 時にはわれわれも、一時の疲労や、不機嫌や厭世観のために はてなブックマーク - 十一月五日 時にはわれわれも、一時の疲労や、不機嫌や厭世観のために - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 ヨハネによる福音書二一の三・一六―一八、列王記一九の四・一〇・一八。時にはわれわれも、一時の疲労や、不機嫌や厭世観のために、神の仕事を眼に見える成果を収めることもなく続けるよりも、むしろ魚とりに出かけるか、それとも死んでしまった方がましだと思うこともある。だが、神が絶望したエリアをどんなにやさしく慰めたか、また、キリストが、心ゆらいで頼りにならないペテロ(後まで彼は決して堅い「岩」ではなかった)を、どれほど寛大にになだめたか、しかも、後者の場合、今後彼の気ままな態度がすべてやんで、神の導きが始まるにちがいない、というまことに意味ぶかい言葉が添えられたのは、感動すべき事柄である。

 われわれが自分の仕事の成果をことごとく見るというわけにいかず、それどころか、おそらくその最もよい成果をさえ見ることができない、ということは、いくらかでも人生の経験をつんだ人にとっては、むしろ大いに慰めとなるものだ。なぜなら、われわれは自分の仕事を、人間のために、また人間の賞讃をうるために、なすべきではないからである。また、仰々しい「崇拝者」は通常、われわれの真の友ではなくて、迫害がはじまると、さっそく叛くか、離れ去るかする人たちである。このことは、わたしみずからも経験した。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-11-04

[][]十一月四日 現存する対立を覆いかくしたり はてなブックマーク - 十一月四日 現存する対立を覆いかくしたり - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 エレミヤ書一五の一五―二一。ここに述べられている主の答えは、あなたもいつか同じような境遇におちいったときに、肝に銘じることであろう。とくに、この中で注目すべきことは、現存する対立を覆いかくしたり、または、表面だけの「寛大」により、また一時よく言われたように、「仲裁」により「和解をはかる」べきではなくて、対立を対立のままに認むべきだということである。このことは、これまでの例でいうと、シュライエルマッヘルやリッチル流の神学にあてはまる。また現代では、対立が一層はげしくなって以来、殊にそのことは、無神論の別名にすぎぬいわゆる「近代的世界観」全体にもあてはまるし、あるいは、個別的には、ゲーテ風の美的生活享受についてもいえる。この思想も、同じように、その根拠は哲学的無神論以外のなにものでもない。

 だからといって、これらの意見の違う人びとを、教会がかつてその全盛時代にしたように、やき殺す必要はない。しかし、われわれは違った考えをいだいていることを、すべての人が知らねばならない。「寛容」が同情から出ている場合とか、全く真実な信仰告白の実際上の非常な困難さをみずから経験したことから生じた場合には、それは正しいものである。しかし、黒を白と言ったり、または、現代の多くの若い神学者や説教家の流儀で、キリストが復活しなかったとしても、復活したのとその意味にかわりはない、などと説明するような寛容は、正しいものではない。この場合は、むしろ、善良な無神論者(そういう者もいる)の方が、まだしもわれわれには好ましいし、神の前でも悦ばれると思う。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-11-03

[][]十一月三日 「祈る(バーテン)」という言葉をあなたの辞書から はてなブックマーク - 十一月三日 「祈る(バーテン)」という言葉をあなたの辞書から - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 私の助言が求められれば、「祈る(バーテン)」という言葉をあなたの辞書から除き去って、その代わりに「願う(ビッテン)」という言葉を補いなさい、と言いたい。

 「祈祷」という言葉は、一定の時刻に、一定の文句で「行われ」ねばならない、神への型通りの挨拶といった、妙な、よくない添え味をもっている。それは、いわば一種の貢物(みつぎもの)のようなもので、しかもしばしばひどく不満で、肚(はら)の中ではむしろ敵意をさえいだく領民が、もともとなに一つ与えたくない領主に、いやいやおさめる年貢のように感じられる。公の祈りはすべてそのような性質のものである。たとえば、祈祷書を見ながら唱えられるので、会衆の心には弱い反響しか与えず、ときには全く反響を呼ばない、教会の退屈な連祷だの、また、大いそぎでもっと楽しいことに移るために、できるだけすばやく片づけられる食卓の祈りだの、そのほかこれに類する仕組みのものはみなそうである。

 われわれみんなが、神にたいしてしなければならないことは、形式的なことでも、特別なことでもなく、ほかの願いと同じような、一つの願いである。もっとも、その願う相手はなみなみならぬ、人間を越えたお方ではあるが。われわれが神と話をするときは、総じて、ただ願うか、感謝するかすればよいのであって、単なる「崇敬」では、神に仕えることにはならず、また、われわれ自身にも役立たないのである。

 だから、あなたが「祈る」ことができないと言っても、私はそれがよくわかる。今日では、あなたばかりでなく、なお多くの人たちがやはり祈りえないのであってえ、その中には、たいへん善い人もまじっている。あなたも一度、願うことをためしてみるがよい。およそ、あなたが本当に神を信じているのなら、そうすることは全く自然なことに思われようし、また実際、それはうまく行くだろう、もしあなたが、祈りを一定の時刻に、一定の言葉で行うという形式主義をことごとく捨てさり、また、そうすることで神のために何かひとかどのことを行っているという余計な考えを全くいだかないで、それをすることができれば。

 「主の祈り*1」については、もしそれをあなた自身が感じている真実の願いとして唱えることができるならば、安んじてその言葉どおりに祈りなさい。しかし、さもなければ、すべてのほかの祈祷の公式と同様に、あなたのためにすこしも役に立たない、もっとも、「主の祈り」はこれまで唱えられた、そして今後唱えられるであろう祈りのなかで、真に必要なすべてのことに対する、最もよい、最も美しい、簡潔な祈りにちがいないが。しかし、祈りというものは、あなた自身の感情にぴったりしていて、あなたの個人的な真実の願いでなくてはならない。そうでなければ、むしろ、もっと簡単な「主よ、お助けください」という言葉だけを唱えるがよろしい。この言葉も、同じように、われらの主の祈りであったし、しかも、これはおそらく、さきに挙げたいわゆる「主の祈り」よりも、また、われわれが福音書の中で接するよりも、ずっとたびたび、主が用いられたものであろう。

 神は、われわれを次のようにして助けられる、「われらは祈りを神にささげる、すると神はわれらのために語り、かつはたらき給う」ブリストルのジョージ・ミュラー*2

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1マタイによる福音書六の九―一三。

*2:ジョージ(ゲオルグ)・ミュラー(一八〇五―九八)、ドイツ生まれ、イギリスで熱心に宣教活動をおこない、ブリストルの近くに孤児院を設立し、数千もの孤児を救済した。

1919-11-02

[][]十一月二日 そこに、あなたが今あるとしたら はてなブックマーク - 十一月二日 そこに、あなたが今あるとしたら - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 ピリピ人への手紙二の一五*1。わたしの『新書簡集*2』で、地上の楽園とか浄罪のひらけた山の頂きとか呼ばれている年齢の段階――これは、あなたのこの世の生活が正しく過ごされたならば、別の存在に移る前に現われる境地なのだが――そこに、あなたが今あるとしたら、その日その日を単純に生きて、「あなたの手が見出すことをなすがよい。」地上のあすの日が一体あなたを訪れるかどうか、もはやわからないだけに、一層そのようにするがよい。すべてが急変することもありうるからである。

 これから後、あなたの生活はただ祈願し、うけ取り、ひとに与えることであり、ひたすら思考と行為の単純さを目ざすことになる。だからといって、それは必ずしもつねに容易とはかぎらないが、しかし、結局、「雅歌」の美しい詩句(八の一〇)に似合った気持になるであろう、「そこで、わたしは彼の目には、平和をもたらすたましいとなった。」

 「かくて、多くの人びとの恐れる死は、われわれにとっては、われわれに生気を与え、目ざめさせる呼び声である。」だから、死ぬことにあのように大騒ぎをする理由は、全くない。生命をせいぜい数日か、数週間か、ないしは数か月、延ばすだけの技術しか持たないのに、何人もの医者たちに診療を乞うたのちに、まず親族の人たちを残らず呼び集めて、涙を流したり、悲しんだりする。そのあとで、脱ぎすてられた衣服に過ぎないもののために、やれ花輪だ、追悼演説だ、弔辞だ、といった仰々しい葬儀が行われる。どのように死を迎え、かつ取扱うかという、そのやり方以上に、その人なり、家族なり、世代全体の唯物主義が、はっきり表われるものはない。

 死が恐ろしいものと思われるのは、元来、それが新しいもの、慣れないものであり、特にそのあとに続くものが未知のものだからである。しかし、この肉体をば、しだいに増してゆくその衰弱とともに、捨て去ることができるのは、自分の衛生を信じる霊的な人間にとっては、決して不愉快なものであるはずがない。死の意味するところは、この世よりもずっと恵まれた条件のもとで、これまで重ねてきたすべての経験にもとづいて、人生をもう一度はじめてもよいということである。しかも、その上、今の社会よりもはるかにすぐれた社会において、である。そうだとすれば、なぜ死を恐れるのであろうか。

 イザヤ書第四二章および四三章を参照されたい。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「それは、あなたがたが責められるところのない純真な者となり、曲がった邪悪な時代のただ中にあって、傷のない神の子となるためである。あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。」

*2:『新書簡集』はヒルティ自身の論文風の書簡集の第二巻。その最後に「楽園」という一文がある。(訳者注)

1919-11-01

[][]十一月一日 あなた自身に許してよいかもしれない謙遜なほこり はてなブックマーク - 十一月一日 あなた自身に許してよいかもしれない謙遜なほこり - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 コリント人への第一の手紙一五の一〇。「しかし、神の恵みによって、わたしは今日あるを得ているのである。そして、わたしに賜った神の恵みはむだにならなかった。……」――これは、おそらくあなたがたが、パウロとともに、あなた自身に許してよいかもしれない謙遜なほこりであり、そして、地上のほかのどんな名声や好評よりも、はるかにまさるものである。詩篇第九二篇、ピリピ人への手紙二の五―九。

 これに反して、この世のほまれはつねに悩みをともなうものである。これはたやすく観察できることで、特に新聞の称讃について、そうである。だから、新聞の称讃に敏感であったり、けなされた場合に腹立たしさを覚えたりする人は、よかれあしかれ、自分のことにふれた新聞記事を、一切読まないのが一番よろしい。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫