蜀犬 日に吠ゆ

1919-11-02

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眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 ピリピ人への手紙二の一五*1。わたしの『新書簡集*2』で、地上の楽園とか浄罪のひらけた山の頂きとか呼ばれている年齢の段階――これは、あなたのこの世の生活が正しく過ごされたならば、別の存在に移る前に現われる境地なのだが――そこに、あなたが今あるとしたら、その日その日を単純に生きて、「あなたの手が見出すことをなすがよい。」地上のあすの日が一体あなたを訪れるかどうか、もはやわからないだけに、一層そのようにするがよい。すべてが急変することもありうるからである。

 これから後、あなたの生活はただ祈願し、うけ取り、ひとに与えることであり、ひたすら思考と行為の単純さを目ざすことになる。だからといって、それは必ずしもつねに容易とはかぎらないが、しかし、結局、「雅歌」の美しい詩句(八の一〇)に似合った気持になるであろう、「そこで、わたしは彼の目には、平和をもたらすたましいとなった。」

 「かくて、多くの人びとの恐れる死は、われわれにとっては、われわれに生気を与え、目ざめさせる呼び声である。」だから、死ぬことにあのように大騒ぎをする理由は、全くない。生命をせいぜい数日か、数週間か、ないしは数か月、延ばすだけの技術しか持たないのに、何人もの医者たちに診療を乞うたのちに、まず親族の人たちを残らず呼び集めて、涙を流したり、悲しんだりする。そのあとで、脱ぎすてられた衣服に過ぎないもののために、やれ花輪だ、追悼演説だ、弔辞だ、といった仰々しい葬儀が行われる。どのように死を迎え、かつ取扱うかという、そのやり方以上に、その人なり、家族なり、世代全体の唯物主義が、はっきり表われるものはない。

 死が恐ろしいものと思われるのは、元来、それが新しいもの、慣れないものであり、特にそのあとに続くものが未知のものだからである。しかし、この肉体をば、しだいに増してゆくその衰弱とともに、捨て去ることができるのは、自分の衛生を信じる霊的な人間にとっては、決して不愉快なものであるはずがない。死の意味するところは、この世よりもずっと恵まれた条件のもとで、これまで重ねてきたすべての経験にもとづいて、人生をもう一度はじめてもよいということである。しかも、その上、今の社会よりもはるかにすぐれた社会において、である。そうだとすれば、なぜ死を恐れるのであろうか。

 イザヤ書第四二章および四三章を参照されたい。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「それは、あなたがたが責められるところのない純真な者となり、曲がった邪悪な時代のただ中にあって、傷のない神の子となるためである。あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。」

*2:『新書簡集』はヒルティ自身の論文風の書簡集の第二巻。その最後に「楽園」という一文がある。(訳者注)