蜀犬 日に吠ゆ

1919-11-11

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眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 ヘブル人への手紙五の四・一二―一四・六の一―三*1

 神みずからの召しを受けることなく、自分免許で、ある高い宗教的地位にのぼるとか、あるいは単になんらかの人間的な役所からそのような地位に就かせられた人は、決して「教師」になることもなく、完成を目ざして進むこともならず、いつまでも信仰の初歩にとどまって入るであろう。かような人びとは、たいてい、もっと偉大な人びとが道をひらいたあとをうけて、われわれの教会の信仰箇条、いわゆる告白文、信仰問答書、教会祈祷文、教会法などを考案した(これらは今日大いに改正する必要が生じている)。同じヘブル人への手紙のすばらしい第一一章には、信仰の先駆者や貫徹者のことが挙げられているが、しかし、そのような人びとはいつもわずかしかいなかった。いくらか弱くなってきたわれわれ改革主義の信仰を更新するためには、このような精神的強者(この世は彼らに値いするものではないが)を、いまや大勢持たなければなるまい。必要なのは、長老会や委員会やまたは宗務会などではない。これらのものは、「堅い食物」には不向きである。しかしながら、信仰の勇士たちがふたたび育ちうるための第一の前提条件は、一般の常識が「不幸な時代」と呼んで、できるだけそれを避けようと努めているような、そうした時代が来ることである。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「だれもこの栄誉ある務を自分で得るのではなく、アロンの場合のように、神の召しによって受けるのである。」「あなたがたは、久しい以前から教師となっているはずなのに、もう一度神の言の初歩を、人から手ほどきしてもらわねばならない始末である。あなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要としている。すべて乳を飲んでいる者は、幼な子なのだから、義の言葉を味わうことができない。しかし堅い食物は、善悪を見わける感覚を実際に働かせて訓練された成人のとるべき者である。」「そういうわけだから、わたしたちは、キリストの教の初歩をあとにして、完成を目ざして進もうではないか。……」