蜀犬 日に吠ゆ

1919-11-21

[][]十一月二十一日 自分の内的生活のいちじるしい進歩につれ はてなブックマーク - 十一月二十一日 自分の内的生活のいちじるしい進歩につれ - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 ヨハネによる福音書一五の二〇―二五。あなたは、自分の内的生活のいちじるしい進歩につれ、そのために、世間の人たちから以前にまして愛され、尊敬されるようになるだろう、などと信じてはならない。そういう場合、これに対して、原則的にまず最初に現れるのは、キリスト嫌いである。この反感は、初めのうち哲学的倫理の形をとるのが常であって、それはまだ神の信仰との一致だけはまもろうとするが、しかしそれもやり通せるものではない。とどのつまりは、無神論か汎神論となる。個々のキリスト者に対しては、どんなによくても、「理由なき憎しみ」がつづく。かつてキリストその人に対して向けられ、いずれにしても彼の不当な断罪を大いに助けたのも、この理由のない憎しみであった。もし当時、世論とか、新聞とかがあって、すこしでもキリストのために弁じたならば、俗界や宗教界の権力者たちも、彼らのじゃま者を、まさかあのように排除することはできなかったであろう。なぜなら、彼らは神以外のなにものをも恐れないと口では言っても、その実、世論や新聞が彼らに恐怖心をそそる神々なのだから。

 このような憎しみに対しては、どんな抵抗も無駄である。「理由のない」憎悪は、いつになっても、どんな方法でも、宥められることがない。むしろ、辛抱づよく耐え忍ぶよりほかはない、その憎悪がなるべく「理由」を見つけないために。

 その代り、その百倍もの償いが与えられる。しかも外的なもので与えられることさえある。あなたは、すぐにそれを経験するであろう。マルコによる福音書一〇の二九・三〇。

 しかし、いつの世にも、もうすこし高尚な考え方の人びともあって、世論のために迫害され、見捨てられた人たちを探し出すとか、それとも(おそすぎた場合には)もちろんその死後に初めて、記念碑を建てたり、新聞や書物で称讃することで、彼らを尊敬したり、「救おう」とする。

 そうなると、世間の人たちの意見も変ってくる。ヨハネによる福音書一九の三八・三九。

 理由のない憎悪は、本来、良心のやましさを証しするものにすぎない。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫