蜀犬 日に吠ゆ

1919-12-31

[][]十二月三十一日 もしあなたがこの地上の生活を はてなブックマーク - 十二月三十一日 もしあなたがこの地上の生活を - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 まあ、いってみれば、同じ学年を二度やりなおさなければならないときのように、もしあなたがこの地上の生活をもう一度くり返さねばならないとしたら、どんな条件でそれをしたいと望むだろうか。

 たぶん今と同じか、または似たような外的境遇のもとで生きたいと思うだろうか。もしそうなら、それだけでも、これまでの生活にたいして神にふかく感謝すべき十分な理由があるだろう。おそらくなおその上に、同じ妻や子供たちと一緒にと思うが、ほかの人たちとともに暮したくはないのだろうか。たとえば、わたしならば、そう言うかもしれない。そうすると、外的条件について、神に感謝すべき理由が倍になるわけである。

 さてしかし、次は重要な内的条件の問題に移る。それについてあなたは、どんなものを希望するのだろうか。善を行うための精神と力とをもっと多く願うのだろうか。結構だ。でもそれは、きっと上からの霊と力、つまり、真理の霊と神の力のことであってあなた自身の力をいうのではあるまい。しかし、それならこの世の生活でもすでに持っことができたはずだ。それとも、神の恩寵に対するより多くの信頼と、あらゆる事にもっと多くの神の助力とを、願うのだろうか。これについても、前とほぼ同じことが言えるだろう。

 では最後に、もっと多くの愛を、願うのだろう。まさに望むのは、これのみであり、そして、これこそ地上の生活と未来の生活との大きな相違となるだろう(肉体のことを別とすれば)。実際、もっと多くの愛があれば、あなたはこの地上の時代でも、ほとんどすべての苦悩や艱難を味わわずにすんだであろう。


    最後の登高

  最後の嵐が吹きすさんでも

  絶頂めざしていさんで登ろう。

  これから道は永久に真直ぐだ。

  天の梯子もはるか上まで見える。


  ついに明けそめた朝のそよ風が、

  えもいえぬ思いで胸をみたす。

  しかしその時どきの恩寵(めぐみ)の豊かさに、

  わたしの心もたましいも夢みごこち。


  高き栄光よ、ついに近づいた、

  年ごろ想ったのとなんという違いか。

  けれどもなお長い巡礼の不安な旅路を思い、

  いま一度、十分に支度をととのえよう。


  現実の危険はついに知らなかった。

  わたしに触れたのはただ恐怖の影のみ。

  ここまで親しく導き給うた主よ、

  あなたの大みわざをなしとげて下さるでしょうか。




 愛はすべてにうち勝つ。(Amor omnia vincit)

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-12-30

[][]十二月三十日 わずらわしい多くの人たちとも はてなブックマーク - 十二月三十日 わずらわしい多くの人たちとも - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

十二月三十日

 われわれにとっていくらかわずらわしい多くの人たちとも、われわれはいずれ近いうち会わなくなり、そののちおそらく、もう二度と会うことはあるまい。だから、せめてこの短い期間だけでも、彼らと親切に接しよう。

 しかし、かりに、そのあとも永久に、彼らと一緒に生きつづけなくてはならぬとしても、こうする方がずっと賢明である。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-12-29

[][]十二月二十九日 最も美しい死とは はてなブックマーク - 十二月二十九日 最も美しい死とは - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 あなたがこころに追い求めている最も美しい死とは、たしかに老年には往々現われるようなたましいと肉体との安らぎのなかから、肉体的生命だけがおだやかに尽きること、であろう。

 そういうとき、心臓のかすかな鼓動が、ほとんど誰にも気づかれないでとまれば、それでよいのだろう。ただ、この地上の生命を人間の持つ唯一のものだと考える、わからずやの医師が、人為的に刺戟を与えて心臓の鼓動をひきのばそうなとどしてはなるまい。

 これとは別な、やはり同じように美しいが困難な死は、あきらかに、英雄や殉教者の死である。キリストもまた、すこしも弱ることなく、精神力にみちて、そのっような死をとげたのである。

 だが、死については、もうこれ以上考えないがよろしい。考えても、なんら有益な結果は生じない。むしろ、生に執着することなく、しかも、人生の任務のために、神のみこころにかなうかぎり、生きつづけなさい。これこそ、すこしも老人臭さを帯びることもない、最もよい年のとり方である。

 そのあとは、新しい青春をまちのぞむことにしよう。

 ヨハネによる福音書一四の一―六。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-12-28

[][]十二月二十八日 この地上で神から離れて生きているたましいが はてなブックマーク - 十二月二十八日 この地上で神から離れて生きているたましいが - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 すでにこの地上で神から離れて生きているたましいが、その肉体が朽ちはてたとき、どうなるかということを、まったく誤りなく想像するのは困難である。もしもたましいが肉体の単なる一機能にすぎないとすれば、むろんたましいもまた同じように解消してしまうのは明らかであろう。これはおそらく、そのたましいにとって、まだしも最も寛大な運命だといえよう。

 しかし、もしそうでなければ(死後たましいが残るとすれば)、たましいは必ずや光の世界から隔離されて、福音書のどこにも述べてはないが、恐ろしい空虚の状態におちいるにちがいない。この慰めも希望もない隔絶に比べればラザロと金持との寓話(ルカによる福音書第一六章)がのべっている状態は、まだしも、それより高い段階である。なぜなら、なおそこには、悲惨の意識と、より良きものを、他人のためにさえ、願い求める意識が暗示されているように見えるからである(ルカによる福音書一六の二七・二八参照*1)。しかし、これは明らかに、このような神に見捨てられた人を、ただ比喩的に述べたものにすぎない。福音書にあるその歴史的な実例は(しかしこれについては、ただすべての注釈者が口をつぐむのが常であるが)、ユダの運命である。彼について、キリストは生前にも死後にも、もはやすこしも語っていない。このように神からも、人間からもすっかり見捨てられてしまった人間が、ありうるものか。そして、彼らの運命はどんなものであろうか。

 精神が肉体を離れたときに、虚無の暗やみのなかにただひとりたたずむことのないために、あなたは、あなたの家族が、どんな状況のもとでも、神との心からの交わりをもちつづけていられるようにつとめるがよい。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「そこで金持が言った、『父よ(アブアラハム)、ではお願いします、わたしの父の家へラザロをつかわしてください。わたしに五人の兄弟がいますので、こんな苦しい所へ来ることがないように、彼らに警告していただきたいのです』。」

1919-12-27

[][]十二月二十七日 身体が完全に健康だというすばらしい感じは、老年においては はてなブックマーク - 十二月二十七日 身体が完全に健康だというすばらしい感じは、老年においては - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 身体が完全に健康だというすばらしい感じは、老年においては、たいていほんの一時的なものであって、からだがすっかり安らいで、暖かなとき(たとえば朝のベッドの中か、秋にトゥーン湖畔の陽あたりのよい場所にでもくるとき)などに与えられるが、しかし、そんな時には、時おり、来世の予感かと思われるような、美妙な気持を覚える。もしわれわれが老年において、このような感じを持ちつづけることができれば、円熟と静かな晴れやかさのこの時期――フランス語の「セレニテ」(清朗)という言葉の方がこの感じをもっとぴったりいい表わしている――は、実に人生の最上の時であって、いわゆる青春の歓楽も壮年の力も、とうていこれと比べものにならない。したがって、この感情は、決して落日の美ではなくて、むしろよりよき存在への夜明けの光に比すべきものである。だが、やがてすっかり真昼になるころには、われわれはこの地上の生活に耐えられなくなるだろう。

 これが老年の最上の幸福である。老年の幸福というものは、必ずしもただ家庭のよろこびや、さもなければ思い出のなかにのみあるのではなくて、もっとはるかに善いものでありうるのである。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-12-26

[][]十二月二十六日 まことの鄭重さは はてなブックマーク - 十二月二十六日 まことの鄭重さは - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 すべての人にたいするまことの鄭重さは、一人の人間に宿ったこの神の慈愛が、人間仲間に対してあらわれたもの以外では決してない。それと性質の違うすべての鄭重さ、たとえば、外交官だの、そのほか上品な世間人が良い教育によってよく身につけている鄭重さなどは、礼儀をわきまえぬ場合と反対に、たしかにこころよいものにはちがいないが、しかし、どうしても常にいくらかわざとらしい印象を与えるし、お愛想だの、偽善だのに類する見せかけだという、なんともいやな感じを残すものだ。このような鄭重さは、よい代用物ではあっても、それ以上のものではない。

 動物でさえ、本当の慈愛には気づくものである。聖者の説教に耳をかたむけた小鳥や魚についての伝説とか、アッシジの聖フランチェスコの生涯における「兄弟狼」のふしぎな物語はみな、このような真実な背景をもっている。

 植物の栽培においても、ある人びとは、特別によく世間でいわれる「幸いの手」を持っている。しかし、これも結局、そのような慈愛以外のものではない。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-12-25

[][]十二月二十五日 本当の親愛は、神の恩寵と慈愛の反映 はてなブックマーク - 十二月二十五日 本当の親愛は、神の恩寵と慈愛の反映 - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 本当の親愛は、神の恩寵と慈愛の反映である。このような神の慈愛は人間のうちに宿ることができ(テトスへの手紙三の四)、また人間の肉体をさえ(とくにその眼の表情において)あまねく輝かすので、この神的なものの反映は、ほかの人たちにも気づかれるほどである。そのようなことはモーセについても(出エジプト記三四の二九・三〇*1)さらにキリストについても、語られている。多少これに似たことは、わたしなども、残念ながらまれな例だが、二、三の人について認めることができた。

 これに比べて、それ以外のあらゆる親愛や鄭重さは、ただこれのわざとらしいまねごとに過ぎず、とうてい同じような感銘を与えることはできない。

 上からの慈愛が一番はっきり見られるのは、気だてのよい子どもとか、非常に年老いた人とかである。またそれは、病人のある者にほとんどこの世ならぬ美しさを生み出すこともある。画家が使徒や聖者を描くときに用いる円光は、この神からの慈愛をいくらか暗示しようとするものである。もちろん、顔そのものにそのような表情を与えることができたら、一層よいであろうが、しかしたいてい、そういう表情はまるで欠けている。

 もっとも有名な聖母像のなかでさえ、ただわずかに、「システィナの聖母」(ラファエル作)と、ムリリョ(スペインの宗教画家)の「聖母昇天(アスンタ)」の絵だけが、いくらかこのような表情をしめしている。とはいっても、次のような理由から、それは必ずしも本当の慈愛の表情とはいえない。というのは、ひとは一度この上からくる聖化の輝きを見たならば、もはや決して忘れないものだが、しかしそのような聖化の輝きは、敬虔な表情だとか、または、そういう気持をあらわすような仰ぎ見る恍惚とした眼差しとかではなくて、まだどんな画家の絵筆も決してえがきえなかったような、あたたかな、この上なく光にみちた慈愛の全く自然な表情だからである。(デフレッガー*2は彼のわりに小さな絵の一つに、おそらくそうしたものを表しえたといえよう。その中の庶民の一老婆の眼差しにそれが見られるのだが、幼な児イエスを抱いた彼の著名な聖母像の眼差しはそうではない。)

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「モーセはそのあかしの板二枚を手にして、シナイ山から下ったが、その山を下ったとき、モーセは、さきに主と語ったゆえに、顔の皮が光を放っているのを知らなかった。アロンとイスラエルの人々とがみな、モーセを見ると、彼の顔の皮が光っていたので、彼らは恐れてこれに近づかなかった。」

*2:フランツ・フォン・デフレッガー(一八三五―一九二一)、オーストリアの画家

1919-12-24

[][]十二月二十四日 キリスト教がただ外的な方法でふたたび改革される はてなブックマーク - 十二月二十四日 キリスト教がただ外的な方法でふたたび改革される - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 キリスト教がただ外的な方法でふたたび改革されるということ、たとえば、フランス革命と帝政崩壊の後で、シャt-ブリアン*1、ジョセフ・ド・メストル*2、フォン・クリュデナー夫人*3らによって、フランスやまた一部は他のヨーロッパでも、企てられたようなことは、おそらくもう二度とは起らないであろう。現在では、教会が問題ではなく、真の、生きたキリスト教ということが問題なのである。しかしこの両者をひき離すのは、なまやさしいことではあるまい。また、この改革を実行しうるような人びとは、まだ当分見あたりそうもない。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:シャトーブリアン(一七六八―一八四八)、フランスの文学者、政治家。

*2:メストル(一七五四―一八二一)フランスの国家哲学者、政治家、中世のキリスト教への復帰をとなえた。

*3:クリュデナー夫人(一七六四―一八二四)、ドイツ敬虔主義者、著作家。

1919-12-23

[][]十二月二十三日 キリスト教が生活全体に浸透していないところでは はてなブックマーク - 十二月二十三日 キリスト教が生活全体に浸透していないところでは - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 ヴィネー*1はあるときこう言った、「キリスト教が生活全体に浸透していないところでは、そのまわりに空虚をひろげてきた。キリスト教社会の懐ろにいだかれながらキリスト教的でない人は、心のなかに砂漠をもっている」と。このやや一般的意味で述べられた思想については、しばらく触れないことにしよう。

 ゲーテ崇拝者ばかりでなく、古典的教養をもつ多くの人たち、なかでも歴史家たちは、このヴィネーの思想の絶対性について異論をとなえるであろう。しかしこの思想は、見せかけの信仰をもつキリスト者その人にたいしては、おそらくきわめて正しいものだろう。というのは、その人のキリスト教は、彼の生活全体を満たすことなく、ただある種の外的形式をまもる教会主義であったり、または、単になんらかの偏狭な種類のキリスト教に所属することにすぎないからだ。こんな場合には、しぜん社会的教養を欠き、しかも同時に、より深い内面的な教養をも欠くことになる。たましいが高い理想と活溌にとり組んでいなければ、そのたましいに真理の霊がたえまなくはたらくとは考えられない。単なる神学的博識だけでは、その十分なおぎないとならないことは、教でも折にふれて、たやすく認められる通りである。

 マタイによる福音書二三の一三。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:アレクサンドル・ヴィネー(一七九四―一八四七)、すいすのプロテスタント神学者

1919-12-22

[][]十二月二十二日 あるサバティストにあてて はてなブックマーク - 十二月二十二日 あるサバティストにあてて - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 あるサバティスト(土曜日を安息日としてまもるキリスト教の一派の人)にあてて。

 あなたの言われることは、原則的にはもっともだと思う。キリスト教界も、安息日(聖土曜日)を休日としてまもる方がおそらくよかったかもしれない。

 しかし、キリスト教界は、そうはしなかった。そのわけは、日曜日を休日とすることで、われらの主の復活をあらゆる思考の前面に押し出そうとしたためばかりでなく、多分そのほかにも、ユダヤ教徒からはっきりみずからを区別し、外形的にも限界を立てておくためでもあり、また、安息日を固守することについてのユダヤ教徒の形式主義から、根本的に離れるためでもあった。じっさい、主自身が、安息日に絶えず反対してきたので、彼に対するユダヤ教徒の憎悪は、このことからも、いくぶん説明ができるくらいである。

 なお、この安息の日を変えたために、神がキリスト教徒に対して十分な祝福をさし控えているとは、わたしには信じられない。十分な祝福があたえられないのは、たしかに、もっと多くの、もっと大きな原因がある。しかし、あなたがたが世の人のために、みずから実例を示して、その反対のことを証明しようと企てるのなら、それは全くよいことである。いつかサバティストたちが、あらゆる国で、うたがいもなく「地の塩」となって、最もよい人間、最もよい市民をぞくぞく生み出すようになれば、われわれもその手本に従いたいが、それまでは、まだ従うわけにゆかない。マタイによる福音書五の一四―一六・二〇、七の二・一六―二一。

 しかし、さしあたりわれわれは、はげしい労働にしたがう階級のため、とくにその階級の婦人たちのために、せめて土曜日の午後なりとも、彼らが労働から離れて、彼ら自身とその家族のために自由になれるよう、努力することにしよう。そうすれば、もうこの日の夕方から、仕事日の心労をのがれて、こころ晴れやかにあすの聖日を待つことができるであろう。こうなれば、土曜日の午後もまた、少なくとも安息日の一部分となるわけである。というのは、安息日のことも、要するに、ただ時間数だけの問題ではないからである。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-12-21

[][]十二月二十一日 人間はときおり、自分にできること以上に はてなブックマーク - 十二月二十一日 人間はときおり、自分にできること以上に - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 人間はときおり、自分にできること以上に、あまりにも多くのことをしようとし、しかもそれにたいして多くの感謝をも求めたがる。エレミヤ書のなかのよい言葉(一七の五*1)がそれを禁じている。ひとは自分にできることをしなければならないが、次には、他人の感謝をあきらめることができなくてはならぬ。でなければ、そういう行いも一種の享楽欲であろう。人間は、相手が称賛を求めていると気づくやいなや、それをあたえたくなくなり、かえって、そのような讃美に無関心な他の人に対しては、それを山のように与えたがるものである。

 自分がよくなしうる以上のことをしようとせず、また、このような仕事のなかに自分の幸福を求め、かつ、見出す人こそ、最も立派に世を渡るものである。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「主はこう言われる、『おおよそ人を頼みとし肉なるものを自分の腕とし、その心が主を離れている人は、のろわれる』。」

1919-12-20

[][]十二月二十日 われらの主は、普通に認められているように はてなブックマーク - 十二月二十日 われらの主は、普通に認められているように - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 ヨハネによる福音書一〇の一七・一八*1。われらの主は、普通に認められているように、その公けの活動の第二期に初めて、ではなくて、おそらくかなり早い時期からすでに、自分の早い死と復活の内的確信を得ていたように思われる。主がゲツセマネと、十字架上でこころ臆したのは、いずれもこの確信が、一時彼を見捨てそうになったからであった。しかし、そのときすぐ、この確信がまた彼のこころのなかで優勢をとりもどしたのである。それ故、ただ弟子たちばかりでなく、主においてもやはり、復活がなければ、キリスト教の成立は心理的に説明できないであろう。ある偉大なことのために自分の生命を犠牲にしたものは、ひとりキリストだけではないが、しかし、その活動の初めから、あらかじめ、それをすっかり明瞭に自覚していたのは、おそらく、ただキリストだけであろう。

 もし真のキリスト教によって、だれでもはるかに幸福な生活に達することができるとわかれば、ほとんどすべての人がキリスト教を信じる決心をするであろう。しかし、その際、どれだけ多くのことを耐え忍ばねばならないか、その全部がいっぺんにわかっったら(しかも、それに対して、神から授けられる力を、前もって知ることも、おしはかることもできないのだから)、ほとんどだれひとりこれを信じるよう決心するものもあるまい。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「父は、わたしが自分の命を捨てるから、わたしを愛して下さるのである。命を捨てるのは、それを再び得るためである。だれかがわたしからそれを取り去るのではない。わたしが、自分からそれを捨てるのである。わたしには、それを捨てる力があり、またそれを受ける力もある。これはわたしの父を授かった定めである。」

1919-12-19

[][]十二月十九日 人間の性格におよぼす芸術の影響について はてなブックマーク - 十二月十九日 人間の性格におよぼす芸術の影響について - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

十二月十九日

 ルカによる福音書二一の五・六*1。イタリアの小専制君主たちは、芸術の最も偉大な奨励者(パトロン)であり、彼らの最も名高い記念物の建立者でありながら、しかも同時に、その宮廷には野蛮と邪悪が満ちていたという、その歴史上の事実を知るとき、われわれは、人間の性格におよぼす芸術の影響について、いくぶん懐疑的にならざるをえないし、また、われらの主が当時の壮大な建造物にほとんど関心をしめさなかった所以も理解できよう。

 わたしには、少なくとも、芸術に対する熱中はまことの宗教への生き生きした関心と必ずしも一致するものではない、と思われる。もちろん美の感覚は、とくに若い人びとには絶対に欠くことのできない、人間の教養要素の一つにちがいないが、いずれにしても、善よりも美を重んじてはならないし、また決して美を善と混同してもならない。それは二つの、まったく違ったものであり、たがいに区別さるべきものである。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「ある人々が見事な石と奉納物とで宮が飾られていることを話したので、イエスは言われた、『あなたがたはこれらのものをながめているが、その石一つでもくずされずに、他の石の上に残ることもなくなる日が、来るであろう』。」

1919-12-18

[][]十二月十八日 言葉のよい意味で気軽に暮すように はてなブックマーク - 十二月十八日 言葉のよい意味で気軽に暮すように - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

十二月十八日

 あなたは――ことに年をとってきたら――言葉のよい意味で気軽に暮すようにこころがけるがよい。一日じゅう朝から晩まで、あなたの周囲からあなたに対して実にたくさんの要求とか所望とかがもち出される。あなたはそれを、親しげな微笑と「イエス」をもって答えることもできるし、また同様に、多かれ少なかれ無愛想な「ノー」をもって答えることもできる。どちらの答えをするかは、結局のところ、あなたにとっては、たいていまったく同じである場合が多く、それはただの習慣にすぎない。けれどもあのような微笑とイエスをもって答える習慣の方が、もっと大きな、しかし当然よりまれなかずかずの善行などよりも、あなたの家族や、そのほかあなたと交わるすべての人びとにとっては、かえって感謝すべきものである。

 人生の特性を決定するのは、日常の小さな事柄であって、偉大な行動ではない。もともと偉大な行いなどというものは、大多数の人たちにとっては、ごくまれな事柄に属している。

 「不機嫌」は、もしまだそれがあなたにこびりついているのなら、すっかりきれいに脱ぎすてねばならない欠点である。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-12-17

[][]十二月十七日 やむをえないことだが、境遇というものは はてなブックマーク - 十二月十七日 やむをえないことだが、境遇というものは - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 やむをえないことだが、境遇というものは変えられない場合が多いので、それに対する見方を変えなくてはならない。そうでないと、絶えまない苦情のうちにおのれの力を消耗し、自分のみか、他人の生活をも不愉快にしてしまって、有効な救いも得られなくなってしまう。

 神と人間とに対するこのような不断の戦いのうちに、多くの人たちは、希望もなく、自分をすりへらしてしまうのだ。これは、天国へではなくて、地獄へいたる状態である(ダンテ『地獄篇』第三歌)。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-12-16

[][]十二月十六日 人びとの感謝を決して期待しては はてなブックマーク - 十二月十六日 人びとの感謝を決して期待しては - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 人びとの感謝を決して期待してはならない。だいたい人間は、高等動物ほどにも、恩を知るものではない(『眠られぬ夜のために』第一部二月二十六日参照)。だから、あなたは、人間として隣人に善いことをしても、それらすべてはみずからのため、また神のためになされたものであり、それで済んだものとして、ただちにあなたの記憶から消し去るがよい。

 幾年かののちに、あなたはそのような善行の結果に気づくことが時には起るが、しかし、あなたの生涯の仕事の大部分は、過去のひろびろとした大洋のなかに一見跡形もなく消えてしまうものだ。われわれのすべての行為に最後の審判が行われ、行為にふさわしい賞罰があたえられるという考えによって、実際、まだだれひとり改心した者はないように思われる。われわれは、人間の本性が善を好み、悪を厭うように仕向けねばならない。そうでなければ、われわれの教育の全体がその目的を達したとはいえない。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-12-15

[][]十二月十五日 生活の単調さがついにはあまりにも はてなブックマーク - 十二月十五日 生活の単調さがついにはあまりにも - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 めぐまれた境遇の人でも、ひどく年をとると、生活の単調さがついにはあまりにも大きくなって、力づよい宗教的楽天感がなければ、どうしてそれに耐えられるか、わたしにはわからない。これ以外の楽天感は、ものごとをありのままに見ることをあきらめるか、それとも、その性質上きわめて一時的な、元来若い時期にふさわしい享楽を、たえずくり返すことによって、無理に持続しようとするか、それでなければ、結局ただ追憶のうちにのみ生きるかしなければならない。

 しかし、すべてのものの生活の基調は、伝道の書にのべられているような、また、神の近くにあることに基づかぬすべての哲学的人生観にひそんでいるような、ペシミズムである。

 「一切は空である*1」、そして、多く学んでも、結局「からだが疲れる」だけであって、いままで知らなかったような新しいものへ導くことは決してない。ただ、神との力強い交わりのみが、汲めどもつきぬ生命(いのち)をもっているのである。

 伝道の書一二の一・七・八・九・一二*2・一四。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:伝道の書一の二、「伝道者は言う、空の空、空の空、一切は空である。日の下で人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか。」」

*2:伝道の書一二の一二、「わが子よ、これら以外の事にも心を用いよ。多くの書を作れば際限がない。多く学べばからだが疲れる。」

1919-12-14

[][]十二月十四日 使徒ヤコブのこの言葉は はてなブックマーク - 十二月十四日 使徒ヤコブのこの言葉は - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

十二月十四日

 ヤコブの手紙一の二*1。使徒ヤコブのこの言葉は、われわれにとって理解しにくく、またその決心もしにくいものだ。しかし、それでも正しい言葉である。なぜなら、われわれのいちじるしい内的発達や進歩や、すべて、それに先立つ多かれ少なかれきびしい試煉の最終の結果だからである。従って、ひとは元来、試煉をよろこぶべきであり、あるいは少なくとも、試煉のさなかでも、たましいの平静な一点をあくまで失ってはならない。というのは、試煉は、将来われわれの上に咲き出ようとする、新しいまことの幸福の前ぶれであるから。ローマ人への手紙五の三―五*2を参照のこと。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「わたしの兄弟たちよ。あなたがたが、いろいろな試煉に会った場合、それをむしろ非常によろこばしいことと思いなさい。」

*2:「それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出し、練達は希望を生み出すことを、知っているからである。そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賑わっている聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからである。」

1919-12-13

[][]十二月十三日 詩篇第九〇篇、第一一六篇 はてなブックマーク - 十二月十三日 詩篇第九〇篇、第一一六篇 - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 詩篇第九〇篇、第一一六篇、第一一八篇は、大昔の三つの詩であるが、幾千年を経た今日も、あたかも、人生の多くの苦難にさんざん鍛えられてきた人がその備忘録(メモノート)に昨日しるしたばかりかと思われるほど、新鮮で、真実味にあふれている。同じく、詩篇第三七篇(とくに第二五節を見られよ)、第一〇九篇、第一一〇篇は、右の諸篇と補足関係にある。永続的な仕事をはたすべき使命をになった人びとは、多かれ少なかれ、かような人生行路をたどってきた。そして、古い建築物の柱石となる代りに、新しい建物の隅の首石(おやいし)となった。

 ブース大将(救世軍の創始者)はその最近の実例である。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-12-12

[][]十二月十二日 いわゆる「小」預言者たちの言葉 はてなブックマーク - 十二月十二日 いわゆる「小」預言者たちの言葉 - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 ミカ書七の八・九、ナホム書一の一二、アモス書三の七、四の一二、五の二三、八の一一―一四、ヨエル書三の五、マラキ書二の一七、三の一八。これらは、いわゆる「小」預言者たちの言葉であって、われわれの時代にもふたたびあてはまるものである。それは、すでに人間の本性が昔も今も似ている意味からいっても、そうである。つまり、われわれの知っている歴史的知識がはじまって以来、人間の本性はあまり変化していないし、とくに今日、われわれの自然科学の知識や業績が進歩したにもかかわらず(というよりも、多分そのために)、人間の本性は大して高貴にはなっていないのだ。しかし、なおまた部分的にみても、この両時代(小預言者の時代と現代)の類似のために、実利政策をとる強大国(これらの国は多くの人たちを自分たちの考え方に誘いこもうとする)に対立する理想主義的な精神に生きる小民族にとって、上記の小預言者の言葉はとくによくあてはまる。それらの強大国は、その力にもかかわらず、跡形もなく滅びてしまったのに、小さなイスラエルのこれらの預言者の警告は、現代にいたるまで、なお生きてはたらいているのである。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-12-11

[][]十二月十一日 現代に対する主の言葉 はてなブックマーク - 十二月十一日 現代に対する主の言葉 - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 ヨハネによる福音書一〇の一・九・二八*1は、現代に対する主の言葉である。今日、なるほど多くの人たちが、現在の状態に対してよりよき真理を求めてはいるが、しかし、彼らは真理にいたる歴史的な門からはいって行こうとしない。パウロは、テモテへの第二の手紙二の二三―二六と三の一―九において、そのような人たちのことを、また、それと対照して、まことの真理探究者のことをも、きわめて手厳しくではあるが、この上なくみごとに描いている。ここに記された「終りの時」は、パウロがはっきり信じたように、当時すぐ眼の前に迫っていたばかりでなく、ほとんど二千年後の今日、われわれはふたたび教会のさし迫った革新という昔と同じ困難に直面している。この場合、キリスト者だからといって、必ずしもよい実例を示すとはかぎらない。

 なおまた、パウロが大量に信者を獲得した結果、初期のキリスト教がどんなありさまであったかを、それらの信頼すべき箇所が語っている。それゆえ、われわれが教会の革新に進もうとするとき、初代キリスト教会は、無条件にわれわれの手本とすることはできない。

 テトスへの手紙一の一〇・一一・一五・一六も参照のこと。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「よくよくあなたがたに言っておく。羊の囲いにはいるのに、門からでなく、ほかの所からのりこえて来る者は、盗人であり、強盗である。」「わたしは門である。わたしをとおってはいる者は救われ、また出入りし、牧草にありつくであろう。」「わたしは、彼らに永遠の命を与える。だから、彼らはいつまでも滅びることがなく、また、彼らをわたしの手から奪い去る者はない。」

1919-12-10

[][]十二月十日 神はそのしもべらのために はてなブックマーク - 十二月十日 神はそのしもべらのために - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 ヨハネによる福音書五の四四、八の五〇*1。われらの主のこの二つの言葉は、必然的につながりをもっている。というのは、神はそのしもべらのために十分な誉れを配慮されることを確信する人だけが、正直に、すなおに、あらゆる種類の宣伝を断念することができるからである。世間の名誉にひどく敏感な者は、いつもその時どきの世論の奴隷にならずにはいられないし、今日では、どんなつまらぬ新聞紙をも恐れるであろう。敬虔な人びとにあっては、ヨハネによる福音書五の四四の言葉は、彼らの信仰が単に形式でなく真の信仰であるかどうかをはかる、こまかしのきかぬ尺度であって、彼らの信仰は、つねにこれによって誤りのないことを知るであろう。

 ヨハネによる福音書一二の一九・四二・四三、一九の三八・三九を参照。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「互いに誉を受けながら、ただひとりの神からの誉を求めようとしないあなたがたは、どうして信じることができようか。」「わたしは自分の栄光を求めてはいない。それを求めるかたが別にある。そのかたはまたさばくかたである。」

1919-12-09

[][]十二月九日 聖母マリア崇拝を、カトリック教徒から はてなブックマーク - 十二月九日 聖母マリア崇拝を、カトリック教徒から - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 永いあいだに徐々に成立した聖母マリア崇拝を、カトリック教徒からふたたび奪いとることはできないし、またプロテスタントの信者にそれを強制することもできないであろう。このことが、教皇制とならんで、両教会の合一をさまたげている主な原因である。ほかのすべてのことは、現代では、まことのキリスト者なら、一致しうるであろう。そして今日、両教会のなかで多くの人びとが、なかば無意識に、十六世紀の宗教改革をこのような合同改革の趣旨で修正しようという考えに傾いている。しかし、(カトリックにあっては)聖母崇拝というのは、プロテスタントの救世主にたいする非常に親しい関係にかわる、埋合せなのである。というのは、カトリック教徒にとっては、救世主はもはやほとんど特別な人格を意味しないからである。そこで、彼らは別のだれかを必要とする。なぜなら、真に親しい愛をともなわぬ信仰はひとの心を満足させないし、また悟性にとってもつねに薄弱な存在でしかないからである。最後に、教皇制であるが、これは、ちょうど聖アウグスティヌスやトマス・アクィナスがこころに描いたような教会、また、神にたいして純粋に個人的な、つまり集団的でない関係を決して持ちえない多くの人たちにふさわしい教会を徹底的に完成した制度だといえよう。だから、宗教改革でどちらの教派も勝利をおさめなかったのは、おそらくよいことであったろう。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-12-08

[][]十二月八日 暗い気分になりがちな時には はてなブックマーク - 十二月八日 暗い気分になりがちな時には - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 あなたが、ともすると暗い気分になりがちな時には、小さなものに眼をむけるがよい。

 小さい花、小さな動物、それから、(もし健康で天真爛漫ならば)幼児たちも、容易にある種の悦びを呼びさましてくれる。ところが、われわれの出会う大人たちの眼からは、往々、もっと悪いものが、でなくても、生活の労苦やけわしさが、のぞいている。しかし、そういう時にも、彼らがあなたの眼のなかに、もともと上流社会の人におきまりの表情である、あの冷ややかな無関心を認めないで、もっとよいものを見てとるように、こころがけなさい。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-12-07

[][]十二月七日 来世が存在することを はてなブックマーク - 十二月七日 来世が存在することを - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 わたし個人としては、来世が存在することを固く信じている。しかし、われわれはそれを明確に想像することがまったくできない。これについての神霊学的な諸報告、たとえば、ウィリアム・ステッドの『ジュリエットの手紙』のたぐいの、最もすぐれたものでさえ、空想か、もしくは病的神経の産物であって、そのまま信じることはできない。ともかく、われわれの人格を精神的および肉体的に形成しており、やがて死によって解き放たれるあるものが――すぐさまか、しばらく失神したのちにか――意識をともなって生きつづけるのだ、ということが、わたしには真実らしく思われる。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-12-06

[][]十二月六日 コヘーレス、すなわち、伝道の書の第一章から第三章は はてなブックマーク - 十二月六日 コヘーレス、すなわち、伝道の書の第一章から第三章は - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 コヘーレス*1、すなわち、伝道の書の第一章から第三章は、人間生活とそのさまざまの目的に関する、本来きわめて正しい考察をふくんでいる。三千年後の今日でも、もしひとがただ「生の楽しみを味わいつくす」ことだけを求めるならば、たしかに、そうした心境*2におちいる。カーライルによれば、最もよいのは、「働いて、絶望しない」ことだという。しかし、それができる人、また、それを欲する人は、きわめて少ない。だれひとり喜んでそれをした者はない。こういう「働いて、絶望しない」だけの生活は、ひとが真に願っている力づよい生活の、貧しい代用品にすぎない。だから、神のめぐみのうちにあって、単純に「キリストの冠と聖約のために」という旗じるしに従って生きる方が、一層よいであろう。これこそ、この地上では、心をみたすものにちがいない。「休息は、別のところで*3」である。

 ただこの気高いオランダ人(かつてあれほど高邁な気性をもった、この小民族の偉大な時代に生まれた人)の、美しい言葉でさえも、われわれが心にもっと強い気力を感じるときには、その口まねをしようとは思うまい。それよりも、むしろ古代ゲルマンのヴァルハラ*4の観念、つまり、そこでは絶えず戦いが行われ、戦いがなければ英雄たちはおよそ生きたいと思わなかったという、そのような天国への希望に似たものが、われわれの精神に目ざめるであろう。そして、完全な安息だの、さらにマホメット教的な豪奢な楽園の夢などが、心に浮かぶことはあるまい。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:伝道の書のヘブライ語名、「集会の指導者」の意と言われる。(訳者注)

*2:伝道の書第一章、「伝道者の言葉。空の空、空の空、一切は空である。日の下で人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか。……わたしは日の下で人が行うすべてのわざを見たが、みな空であって風をとらえるようである。……」

*3:オランダの神学者、フィリップ・マルニクス(一五三八―九八)の言葉だろうという

*4:北欧神話、本来は戦没勇士の霊の住む天堂、のちには、英雄の天国、すなわち神オーデンが戦死した英雄たちを集めて饗応する天堂の意となる。(訳者注)

1919-12-05

[][]十二月五日 新しき国は はてなブックマーク - 十二月五日 新しき国は - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

   ふりかえるな、

   なつかしの谷を、

   ふるき日のよろこびを、

   すぎし日の苦しみを。


   み空に青く

   新しき国は見える、

   おまえの手で、あそこに

   神の宮をきずこう。


   いまはかたく

   舵をはなすな、

   目標を見失うな、

   顔をそむけるな。


   ひたすらにすすむ

   あこがれのくにへ、

   はや霊のひとみに

   見ゆる岸辺、

   神の国は近づく――

   地はすでに消えた。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-12-04

[][]十二月四日 神への不誠実、つまり、地上的なものへの信頼と はてなブックマーク - 十二月四日 神への不誠実、つまり、地上的なものへの信頼と - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 神への不誠実、つまり、地上的なものへの信頼と、それに対する心からの満足とに、用心しなさい。さもないと、天上的なものへ絶えず引かれる心を、しだいに失ってしまう。これがあなたのなすべき心づかいである。その他のことは、神に属する物の場合には、神が配慮される。神の祝福こそ、人間のまことの幸福の秘密である。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-12-03

[][]十二月三日 現世のことがらについても はてなブックマーク - 十二月三日 現世のことがらについても - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 現世のことがらについても、その深い認識と明察とは、その人自身のたましいを絶えず向上させ、超地上的なものへ向けることから生じる。反対に、複雑なこの世のことがらにばかりつねに没頭することは、ただ心をかき乱されるだけである。この世の賢者達には見えない実に多くのことが、これらの心の単純な人びとにかえって明らかとなるのも、そのためである。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-12-02

[][]十二月二日 あらゆる存在は、その特性にしたがって自己を発展させ はてなブックマーク - 十二月二日 あらゆる存在は、その特性にしたがって自己を発展させ - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 あらゆる存在は、その特性にしたがって自己を発展させ、自己を実現する生まれつきの衝動を、自分のうちに持っている。これはほかにありようのないことで、すこしも不当ではない。自然の本性をただわけもなく「禁断する」ことは、精神的意味での自殺である。

 しかし、われわれの真の本質の発展と実現は、われわれ自身の知恵よりもすぐれた神の明察にしたがい、神の道を踏んで、行わるべきである。神の意志は、一般的には聖書を通じて、個別的にはわれわれの人生の内的運命を通じて啓示されるが、この神の意志を、常にためらうことなく、おのれの意志として受けとり、よろこんでそれに一致すること、これが人生の最高の課題であり、また神の意にかなう供え物でもある。このほかの課題はもはや存在しない。この供え物を日々そなえていく人は、神に祝福された人であり、また、われわれの内的宗教観によれば、その人は彼自身のため、彼の家のため、さらには彼の民族のための、神の祭司である。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

1919-12-01

[][]十二月一日 一旦この世の君(悪)と縁をきったならば はてなブックマーク - 十二月一日 一旦この世の君(悪)と縁をきったならば - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 あなたが、一旦この世の君(悪)と縁をきったならば、用心して、かれの領分内でつかまらないようにしなさい。そこでこそかれはあなたを支配する力をもっているが、ほかではまるで無力である。かれが人間を強いて自分に奉仕させる主な領分は、金と名誉と享楽とであり、また、それにつきものの嘘とうれいである。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫