蜀犬 日に吠ゆ

1919-12-22

[][]十二月二十二日 あるサバティストにあてて はてなブックマーク - 十二月二十二日 あるサバティストにあてて - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 あるサバティスト(土曜日を安息日としてまもるキリスト教の一派の人)にあてて。

 あなたの言われることは、原則的にはもっともだと思う。キリスト教界も、安息日(聖土曜日)を休日としてまもる方がおそらくよかったかもしれない。

 しかし、キリスト教界は、そうはしなかった。そのわけは、日曜日を休日とすることで、われらの主の復活をあらゆる思考の前面に押し出そうとしたためばかりでなく、多分そのほかにも、ユダヤ教徒からはっきりみずからを区別し、外形的にも限界を立てておくためでもあり、また、安息日を固守することについてのユダヤ教徒の形式主義から、根本的に離れるためでもあった。じっさい、主自身が、安息日に絶えず反対してきたので、彼に対するユダヤ教徒の憎悪は、このことからも、いくぶん説明ができるくらいである。

 なお、この安息の日を変えたために、神がキリスト教徒に対して十分な祝福をさし控えているとは、わたしには信じられない。十分な祝福があたえられないのは、たしかに、もっと多くの、もっと大きな原因がある。しかし、あなたがたが世の人のために、みずから実例を示して、その反対のことを証明しようと企てるのなら、それは全くよいことである。いつかサバティストたちが、あらゆる国で、うたがいもなく「地の塩」となって、最もよい人間、最もよい市民をぞくぞく生み出すようになれば、われわれもその手本に従いたいが、それまでは、まだ従うわけにゆかない。マタイによる福音書五の一四―一六・二〇、七の二・一六―二一。

 しかし、さしあたりわれわれは、はげしい労働にしたがう階級のため、とくにその階級の婦人たちのために、せめて土曜日の午後なりとも、彼らが労働から離れて、彼ら自身とその家族のために自由になれるよう、努力することにしよう。そうすれば、もうこの日の夕方から、仕事日の心労をのがれて、こころ晴れやかにあすの聖日を待つことができるであろう。こうなれば、土曜日の午後もまた、少なくとも安息日の一部分となるわけである。というのは、安息日のことも、要するに、ただ時間数だけの問題ではないからである。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫