蜀犬 日に吠ゆ

1919-12-23

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眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 ヴィネー*1はあるときこう言った、「キリスト教が生活全体に浸透していないところでは、そのまわりに空虚をひろげてきた。キリスト教社会の懐ろにいだかれながらキリスト教的でない人は、心のなかに砂漠をもっている」と。このやや一般的意味で述べられた思想については、しばらく触れないことにしよう。

 ゲーテ崇拝者ばかりでなく、古典的教養をもつ多くの人たち、なかでも歴史家たちは、このヴィネーの思想の絶対性について異論をとなえるであろう。しかしこの思想は、見せかけの信仰をもつキリスト者その人にたいしては、おそらくきわめて正しいものだろう。というのは、その人のキリスト教は、彼の生活全体を満たすことなく、ただある種の外的形式をまもる教会主義であったり、または、単になんらかの偏狭な種類のキリスト教に所属することにすぎないからだ。こんな場合には、しぜん社会的教養を欠き、しかも同時に、より深い内面的な教養をも欠くことになる。たましいが高い理想と活溌にとり組んでいなければ、そのたましいに真理の霊がたえまなくはたらくとは考えられない。単なる神学的博識だけでは、その十分なおぎないとならないことは、教でも折にふれて、たやすく認められる通りである。

 マタイによる福音書二三の一三。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:アレクサンドル・ヴィネー(一七九四―一八四七)、すいすのプロテスタント神学者