蜀犬 日に吠ゆ

1919-12-28

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眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)

 すでにこの地上で神から離れて生きているたましいが、その肉体が朽ちはてたとき、どうなるかということを、まったく誤りなく想像するのは困難である。もしもたましいが肉体の単なる一機能にすぎないとすれば、むろんたましいもまた同じように解消してしまうのは明らかであろう。これはおそらく、そのたましいにとって、まだしも最も寛大な運命だといえよう。

 しかし、もしそうでなければ(死後たましいが残るとすれば)、たましいは必ずや光の世界から隔離されて、福音書のどこにも述べてはないが、恐ろしい空虚の状態におちいるにちがいない。この慰めも希望もない隔絶に比べればラザロと金持との寓話(ルカによる福音書第一六章)がのべっている状態は、まだしも、それより高い段階である。なぜなら、なおそこには、悲惨の意識と、より良きものを、他人のためにさえ、願い求める意識が暗示されているように見えるからである(ルカによる福音書一六の二七・二八参照*1)。しかし、これは明らかに、このような神に見捨てられた人を、ただ比喩的に述べたものにすぎない。福音書にあるその歴史的な実例は(しかしこれについては、ただすべての注釈者が口をつぐむのが常であるが)、ユダの運命である。彼について、キリストは生前にも死後にも、もはやすこしも語っていない。このように神からも、人間からもすっかり見捨てられてしまった人間が、ありうるものか。そして、彼らの運命はどんなものであろうか。

 精神が肉体を離れたときに、虚無の暗やみのなかにただひとりたたずむことのないために、あなたは、あなたの家族が、どんな状況のもとでも、神との心からの交わりをもちつづけていられるようにつとめるがよい。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫

*1:「そこで金持が言った、『父よ(アブアラハム)、ではお願いします、わたしの父の家へラザロをつかわしてください。わたしに五人の兄弟がいますので、こんな苦しい所へ来ることがないように、彼らに警告していただきたいのです』。」