2007-06-12
■ [創作]大乗ハルマゲドン 
船着き場で荷担ぎの声がかかるのをぼんやりと待って座り込んでいたら趙小生が駆け込んできた。
「兄キィ、大変だ」
こいつの大変が本当に大変だった試しはないので軽く答えた。
「落ち着け、馬鹿」
「落ち着けませんよ、兄キ、蔡先生が関員外につかまっちまった」
蔡先生というのは趙の通っている塾の先生で、挙人にまでなった人だが、体をこわして仕官でき無かった人だ。
おれも時たま窓の外で講義を聴いたことがある。無害そうなじいさんではある。俺にわかるはずもないが蔵書の量はなかなかのものらしい、と袁の隠居もいっていた。趙もそうだがこの辺でちっと小金があって科挙を目指そうというヤツは蔡先生のところへ通う。
(関は家庭教師を呼んでも生員にさえなれなかった。だから買官で威張り散らしているんだ。)
通りに出ると、まさしく蔡先生が縄うたれて関員外に連行されている。
どうやら目抜き通りを見せびらかすつもりらしい。
おれと、趙と、ほか何人かの塾生は何となくあつまり、関員外をにらんでいた。
関はそれに気づいたと見え、馬を止めた。先生も止まる。馬に当てる鞭が先生に向かってふられ、高い音を立てた。
おれは関員外に向かっていってやった。
「おい、たとい嫌疑があるにせよ、士人にたいしてのこの態度はないだろう。先生は…」
挙人、と言おうとして関員外の満面の笑みを見た俺は口をつぐんだ。
関員外は、せせら笑った。
「馬鹿か。おまえ。」
「こんな田舎爺が郷試にだって合格するかよ。いいか、皇帝陛下は慈愛あまねくお方だからな、高齢の受験者には形だけ合格発表を出すんだよ」
この瞬間は、関員外にとって待ちに待った場面なのだろう。大声で繰り返した。
「挙人様なんていえた立場かよ。おまえらもかわいそうになあ。こんなインチキ合格者に束脩を納めたって、せいぜい長生きのこつぐらいだぜ、この能なしが教えられるのは。」
つばを吐いた。蔡先生はずっと無表情を変えなかった。
荒々しく縄を引くと、閑は先生を連れて行った。
「先生、どうなっちゃうんだろう」「だいたい、なんで捕縛されるんだよ」
趙はじっと下を向いていたが、塾仲間の視線を受けて、口を開いた。
「おれ、聞いちゃった。」
「なんだよ、さっさと言えよ。」
「『下生経』だって。」「意味はわからないけど、先生は仏教の本を持ってたんだって。」
「それが御禁制だったわけか」
「おい、小生」おれは声をかけた。先生の運命はわからん。おれにわかるのは、この街がますます嫌なところになるだろう、ってことだけだ。「おれ、もう仕事に戻るわ。またなんかあったら教えてくれよ」
前兆のようなものはなかった。
もし、いまあのときに戻ったら、違った光景が見えただろうか。おれたちの未来は変えることができただろうか。
「よし、土を入れよ。」将軍の指示がかかった。弥勒下生を称して帝室に叛旗を翻した「大仏会」蔡玄郎以下2000名は、ことごとく抗殺された。