蜀犬 日に吠ゆ

2008-06-14

[][]守屋洋『右手に「論語」左手に「韓非子」』角川SSC新書 23:28 はてなブックマーク - 守屋洋『右手に「論語」左手に「韓非子」』角川SSC新書 - 蜀犬 日に吠ゆ

韓非子は性悪説?

 先日の「韓非子俗流性悪説」に関して言えば、今年の1月に

守屋洋『右手に「論語」左手に「韓非子」』角川SSC新書

 という本がありまして、帯(袴?)のアオリ文句が「性善説か、性悪説か 孔子と韓非子に学ぶ実践人間学」というものだったので、少し気にかかってはいました。

 ついでにいいますと、守屋先生は、私に中国思想の扉を開いてくださった方でありまして、私もサラリーマン啓発系の中国古典が入門でした。

 その守屋先生の新作。

マーケティングとしてはいいのでしょうけれども、少し気になる点があり、それの代表が「韓非子性悪説」。

『右手~』から引いてみます。

13 人は利益で動く

車を作る職人は人が富貴になることを願い、棺桶を作る職人は人が早く死んでくれることを願う。

守屋洋『右手に「論語」左手に「韓非子」』角川SSC新書

 書き下し及び白文は省略。

 人間を動かしている動機は何か。愛情でもない、名誉でもない、まして正義などではない、ただ一つ利益である、と韓非子はいう。その例証としてこの話を出してくるのである。

 もう少し韓非子のいうことに耳を傾けてみよう。

「輿人の仁にして匠人の賊なるに非ざるなり。人貴からずんば輿售(う)れず、人死せずんば棺買われず。情、人を憎むに非ず、利、人の死に在ればなり」

 車を作る職人が思いやりのある男で、棺桶を作る職人が悪人だからというわけではない。人が偉くなってくれなければ車を買ってもらえないし、人が死んでくれなければ棺桶を買ってもらえないからだ。人の死を願っているのは憎んでいるからではなく、死んでもらえば自分の利益になるからである。

守屋洋『右手に「論語」左手に「韓非子」』角川SSC新書

 ここに、韓非子の善悪への観念が現れているように、私などは感じるのですけれども。ですから、この章句を紹介するのであれば「人間を動かしている動機は何か。愛情でもない、名誉でもない、まして正義などではない、」というところにもう一声、「もちろん悪であるわけもない」と付け加えたいところです。

 韓非子は人間の本性を問うことよりもその行為の現れる源を人間の外側に見出したことで、今風にいえば「リアリスト」「唯物史観論者」あたりに分類される思想家なのかもしれません。

 日本人の感覚と同じように、古代中国でも「利」ばかりを追い求める姿は卑下され、誤解されやすかったのでしょう。「輿人」と「匠人」の二例を挙げておきながら韓非子は匠人のほうにだけ「情、人を憎むに非ず、利、人の死に在ればなり」と、わざわざ細かい説明を加えています。「善」と「悪」には違いがないし、人の本性というものは、その人の置かれている立場や将来への打算によって決定されるということがわからないと、韓非子の法治の思想がわからないと思うのですが、これのどこが「性悪説」?