蜀犬 日に吠ゆ

2008-07-09

[][]25人の白雪姫 17:15 はてなブックマーク - 25人の白雪姫 - 蜀犬 日に吠ゆ

締め切りに大幅遅れ。なので提出しない。

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 門をくぐってから5kmはつづく専用道路を越え、3重のセキュリティ・チェックをすませて僕は研究所の中に入った。防寒防護服に身を包み、エアロックをくぐった先は氷の世界である。

 静かな、明滅を繰り返すランプと、オープンリール。ここはコンピュータの動作のために比較的室温が高めに設定されている。僕は当直から受け取ったパンチカードをメインコンピュータに差し込んで記録の更新をプログラムした。さらにふたつのハッチを抜け管制室に入った。室(へや)にはいつものセルゲイ教授がいて、いくつもの計器に目を配っている。ソ連科学アカデミー時代からこうだったであろう風景が、今も残っているのだ。研究の結果が出るまで、予定ではあと40年。自分はそれに立ち会うことはないであろうことを考えると何となくも寂しい気持ちがした。

 耐熱対衝撃ガラスの向こうがわにこの研究所の最重要機関がある。われわれが便宜上「白雪姫」と呼んでいる、人工冬眠中の女性たちがカプセルに入って眠っているのだ。(今回の話にはまったく関係ないのだけれども、興味のある人もいると思うので「なぜ女性だけなのか」という疑問に答えたいと思う。白雪姫は極低温に保たれた室で統制された生命維持装置を完備したカプセルで冬眠を行うが、それに使うエネルギーは莫大であり、当時のソ連の予算であっても25人の実験が限界であった。そこで被験者は女性に限られ、男性は冷凍精子の技術開発に特化されたのだ。所用で男性の実験棟に行ったこともあるのだが、魚屋の冷凍庫みたいなところにドラム缶が並んでいるだけのシンプルで男らしい施設であった。ドラム缶にはペンキで「王子のキッス」とラクガキがしてあった。)

 などと馬鹿なことを思い出していると。

 空気は一変した。

「一体いつになったらガス・コジェネレータを導入するつもりなのかしら。」

 女王、とあだ名されているアレクサンドラ=イリノイビッチ研究所長である。女王はまた、国策ガス会社の幹部役員でもあり、この研究所を個人資産で買収したオーナーでもあり、そして独裁者であった。「すべてのエネルギーは、ガスから」という合言葉を掲げ、この研究所の冷却装置をすべてガス由来エネルギーに切り替えようとしている。しかもどこかにエネルギープラントを設置するのではなくて自家発電にしろと条件を付けて。ゆくゆくはこのプロジェクトを世界に発表して、ガス会社の広告に使いたいのだそうだ。

 しかし、冷却施設をすべて交換するためには、一度研究所自体のシステムを更新しなければならず、そのときには一度人工冬眠を停止しなければならなくなる。100年の予定である人工冬眠を急に中断した場合にどのような不測の事態が発生するのかわからない(シュミレーションでは、シミュレーションだったっけか、お姫様たちの死亡する確率が80%を超えてしまう)ので、いままで継続した実験がすべて水泡に帰してしまうリスクを避けるためにコンピュータの入れかえさえ行わなかった研究所にとって、この冒険に賛成することには勇気がいった。ということはつまり、みんななんとかごまかしてガスへの切り替えをせずに女王があきらめてくれるのを待とうとしたのだが、そんなことができる相手ではないことを思い知らされただけだった。

 女王はある種有名人なのでその経歴はあらかた知られている。大統領の覚えよろしく、敏腕な経営者であること。ウクライナで育ち、家族すべてをチェルノブイリで失い、原子力や発電所を憎んでいること。萌えるような赤毛の色にふさわしい激しい気性の持ち主で、いったん言いだしたことを曲げたりはしないこと。目的のためには手段も費用も惜しまず完遂してきたこと、など。

 結局、女王の要求を受けて、若手(いちおう僕などもそこには入っている)を中心に計画書を作成したが、その五カ年計画というのが受け入れられるはずもないことは、所員の誰もが承知であった。計画では研究所自体を一回り大きな隔壁ですっぽりと覆い、冷却して、その内側で新しい研究所を建て直すというものであったからだ。鞘堂を造るという発想自体がご存じチェルノブイリの「棺桶」から来ているとしては女王の不興を買うに決まっている。女王はこれを当てこすりと解釈したらしく、研究所の閉鎖さえちらつかせて自分の意見を通そうとしている。それはつまり、白雪姫の命を奪えと言うことにもつながるのだが。

「計画が不適切だ、とのご判断は承っております。」教授は答えた。「運営委員会でもいくつかの論点は出ていましたから、なおすべき点はきちんと精査しまして」

 女王は「時間稼ぎはたくさんよ」と教授の言葉を遮った。「結論は、もうでているの。あとはそれを実行に移すかどうかの話」

「原子力はきれいなエネルギーだなんて、みんなほめるけど」女王の瞳はまるで燃えているかのようにゆらめき、口から漏れる息が白くなるのは炎を噴き出す前兆かとも思えるほどだった…というのは言い過ぎかもしれないがとにかく「あたしは認めない。ガスこそ美しい、というかこの世で一番きれいなエネルギーはガスでなければならないのよ。それができないというのなら、あたしにも考えがあるわ。」

「しかし」教授が何か言おうとすると女王がたたみかけた。「あんたたちはあたしの言うことを聞けばいいの。」

 教授ピンチである、などとわきで見ていたら、女王は突如僕の方に向き直った。これは予想外。というか自分は下っ端なので女王と今まで話したことはない(企画書や文書も主任を通してしかやりとりしていない)し、僕の立場なら口を出すようなことはないと思っていたからだ。

「あんた、何をニヤニヤしてるわけ?」にやけ顔は生まれつきなのだが、そういえば中学のころ、そんな風に因縁をつけられたことがあったなあ。ネオナチが教室で同級生から金をせびっているうしろを通り過ぎようとしたら、「ニヤニヤしとんじゃねェぞコラァ」と脇腹を蹴られた。いじめを見て見ぬふりするのはよくないことだと思ったけれど、この事件があってからは自分の身に危険が及ぶしなあ、と他人を見殺しにする良心の呵責がずっと薄らいだものだった。

「人の話を真剣に聞きなさい!」女王はしだいにいらいらした口調になってきた。僕は「申し訳ありません。」とこたえて頭を下げた。

「あんた、わかってるのかしら。あたしが所長なのよ。あたしが決定したことが、最優先事項なのよ。」「はい、その通りだと思います。」

「じゃあ、きちんと口に出していって見なさいよ、鏡の反射のように、きっちり正確にね。」女王がどうしてこんな譬喩をおりまぜたのか、僕にはさっぱりわからなかったが、その言葉は僕をspellboundした。(うーんと、spellboundには「女性の魅力にいかれちまった」という意味もあるんだけれど、この場合はそういうニュアンスは含めずに解釈してほしい。もしフロイド先生が「そういうニュアンスも含めての意味だよ」ってゆったらそっちが正しいとは思うけど。)

「じゃあ、答えなさいよ、この研究所で一番偉いのは誰?誰なの?」

「それは…」あなたです、と首まで出かけたことばを僕は発することができなかった。

代わりに出て来た言葉は、僕の言葉でありながらそういう実感はまったくわかなかった。

「確かにあなたは、研究所の所長であります。しかし、」

「白雪姫プロジェクトの方が、あなたよりももっと優先されるべきです。」

 一瞬で、場が凍った。

 いやもともと氷点下であったわけだが、そういう意味ではなくて、というかまあなんだ、僕に文学的素養は求めないでもらいたいわけであり、なんというか、おそろしくて女王の顔を見ることもできずにじっと地面を見つめていた。

 これでいよいよ退職か。僕はぼんやりと考えていた。実感はなかったが、再就職に対する漠然とした不安が胸の中に盛り上がってくるのを静かに観察することはできた。中途半端に年をとり、マシン語で4ビットのコンピュータを動かすことしかできない学士(動物学)に、今時就職先などあるだろうか。いやまあ、なんつーの、別に大学出ているから職業は選ばせてもらうよ、みたいに思っているわけじゃなくて、そういう話じゃなくて、自分に何ができるかわからない、ということ。モスクワのうどん屋で臨時雇用されるというなら、それはそれでいいんだ。

「コンニチハ」

 すっとんきょう、というか間抜けな挨拶をして一人の男が管制室に入ってきた、つづいてもう一人。(一人目はわれわれと同じ防寒防護服だが、二人目は兵士用の防寒具に身を包んでいて、マシンガンを持っている。)つづいてもう一人(これも武装している)、というところまで数えたが、さらにわらわら兵士が入ってきたので数えるのは面倒くさくなった。たぶん7,8人くらいだろう。

「革命デス」

「いや、今取り込んでいるのでねえ」教授も間抜けな答えを返した。女王はその点しっかりしている。「あんたたち、誰?誰の許可を受けてここに入ってきたの?」

「我々ハ革命政府軍デス。ソシテ私ハ赤軍第1423軍(重装歩兵)部隊長」間抜けな男はひどいオイミャコン訛りのあるロシア語で答えた。「ぶるじょわじー政権ヲ粉砕シテスベテノ権力ヲそう゛ぃえとニ集中スル、ろしあノ人民ヲ救ウタメニハ革命シカアリマセンデシタ」

 隊長は向き直って女王に告げた。「アナタノゴ活躍ハ聞イテオリマス」にこにこ(僕の場合はニヤニヤととられるのに、こういう朴訥な風貌のやつは逆に得をしていると思った)しながら「アナタノ赤毛ハ美シイガソレ以外ノ部分ハ残念デス。」

「我々ノ新政府ガしべりあニタイヘンイイ学校ヲツクリマシタ。ソコデ靴ノ先マデ真ッ赤ニナレマスヨ」女王は黙っていた。その瞳には恐怖の色が浮かんでいた。閉鎖都市に送られるとは、最低だ。この人の人生は、結局ずーっと「どん底」だったんだな、と僕は思ったが、二人の兵士が彼女を両脇から追い立てて言った。

「デハ万歳ヲシマショウ」隊長はふたたび間抜けなことを言った、などと心中思惟を見破られては大変なので、ここは革命的尊敬を内に秘めたかたちで対話しなければならない。ことは慎重を要する。

「万歳ですって?」と僕は革命的疑問を持って尋ねた。「唐突ですね。」革命的付け加えを忘れずに。

「ソウデス。最後ハ「メデタシメデタシ」デ終ワルノガオトギ話(ぷろれたりあ政権ニヨル平等ノ実現、平和ノ到来ナンテイウ荒唐無稽ノコトデスヨ)ノ宿命ナンデス」

 それで僕たちはみんな万歳をした。革命万歳。赤軍万歳。プロレタリア独裁万々歳。

(おわり)

(追記)よく考えたら白雪姫もあんまり関係なかった。