蜀犬 日に吠ゆ

2008-07-14

[][][]評論家という宿業~~小田島隆『テレビ救急箱』中公新書ラクレ 21:49 はてなブックマーク - 評論家という宿業~~小田島隆『テレビ救急箱』中公新書ラクレ - 蜀犬 日に吠ゆ

 小田嶋先生が『読売ウィークリー』に連載した「ワイドシャッター」の単行本第2弾。

テレビ救急箱 (中公新書ラクレ)

テレビ救急箱 (中公新書ラクレ)

 ナンシー関さんにちょっと系統が似ていると自分は考えているのですが、毒舌と似顔絵を組み合わせたテレビ時評。

こんなテレビに誰がした

第一章 傷だらけのバラエティー ―こんなテレビに誰がした

第二章 TVホスピスにほえろ! ―お迎えを待つ患者たち

第三章 業界の好物は三つのS ―政治、宗教、スポーツで胃もたれに

第四章 毎日が仁義なき騙し合い ―めまいや耳鳴りがするなら正常です

第五章 いつかキラキラする日 ―テレビに未来はあるか

小田島隆『テレビ救急箱』中公新書ラクレ

 小田嶋先生の意見には、だいたい同意見です。しかし、私の場合はいやならテレビを見ないという選択肢があるわけですが、テレビ評論を連載しているとなると、そういうわけにも行かず、大変そうです。その大変さ、ナンシー関さんの著作を読んでいても同じように感じます。ナンシーさんはそれを自分でもはっきりと表明して、テレビを見て不愉快にはなっているものの、テレビ視聴自体は基本的に好きだからこういう文章を書いていると言っていました。小田嶋先生も、第五章のタイトルを見るあたり、テレビに期待しているのでしょうねえ。

評論家は予言者ではない

 テレビ番組に限らず、分析とか検討とかいうとどうしても将来どうなるという話になってしまうものです。

 小田嶋先生の将来予測を、後出しジャンケンの立場から読んでみます。(これぞ単行本の醍醐味。)

さんまさんの栄光

 つまらなくても、数字をとっている番組はある。さんまの番組は、ずっとそうだった。さんまほどの大物になると、内容が空疎でも視聴者を誘導するだけのオーラを持っている。視聴者は、さんまの顔を見ると安心する。と、要するに、そういう蓄積の上に、長らくこの男はあぐらをかいてきたわけだ。が、それももうおしまいだ。

「さんまの首に鈴がついた日」2006.12.24 小田島隆『テレビ救急箱』中公新書ラクレ

 さんまさんの老醜は、小田嶋先生の別の連載で読んだので、2007年にはかなりのものであったと伝聞していますが、情報源は一カ所。昔は私もさんまさんのテレビをよく見ていた気がしますが、「さんま大先生」と、あとあんまり印象がありません。「ひょうきん族」を見ていなかったので小学校で同級生がやっているギャグの元ネタの人、という印象なのですよね。「ナンデスカ~」とか、「アホチャイマンネンパーデンネン」とか、本家はどういう口調でおっしゃっていたのか、リバイバル来ませんかね。「幸せって、なんだっけ、なんだっけ」のCMはよかった。

 ですが、(見ていないので知らんけど)この記事から1年半が経過。さんまさんの番組は減りもせずにつづいているご様子。この間も、家人はリビングで「恋のから騒ぎ」を見ていました。(わざわざ関西ローカルの「明石家電視台」とかいうのもCA-TVで見ています。)これは結局、さんまさんが面白くなったというわけではなくて、それを越えるスターが誕生していないということなのでしょう。だったら惰性でさんまさんの番組を…という感覚では。

吉本興業の台頭

 吉本興業をめぐるスキャンダル(←「怪芸人」中田カウスの暴力団交際疑惑)は、結果として、この先、東京キー局のキャスティングに少なからぬ影響を及ぼすことになるかもしれない。

(中略)

 ありていに言えば、この二〇年ほど、一本調子で増大してきた吉本興業の影響力が、この事件を契機(より実態に即した言い方をするなら「口実」)に、減少に転じるということだ。キーワードは、もちろん視聴率。というのも、吉本のタレントは、視聴率をとれなくなってきているから。でなくても、少なくとも関東の人間は、関西芸人の跳梁にうんざりしはじめている。

「これは好機!吉本スキャンダル」2007.5.27 小田島隆『テレビ救急箱』中公新書ラクレ

 さあどうでしょう。カウスさんの事件の火消しも早かったですね。で、結局疑惑の解明や後始末がどうなったのかはテレビに疎い私などにはわかりません。島田紳助さんの暴力疑惑も、泣いて謝罪したのでおしまいのような感じになったので、そういう感じでいいのかもしれません。

 で、むしろ吉本の影響力、というか政治力のようなものがテレビ局に深く根をはる結果になったのではないでしょうかね。吉本やジャニーズといったベテランから若手までを揃えることのできる芸能事務所が番組の製作において権力を持つことは前々から知られていました(バーター出演とか、紅白のジャニーズ枠とかね、ナンシーさんの決めつけを読んだだけですが)。それが今はますます強まっているのではないでしょうか。ひな壇タレントやリアクション芸人の頭数を揃えて「テレビ番組」でございと強弁するバラエティーショー(クイズ番組とかね)が席巻する昨今であれば、吉本ではなくても「吉本的なるもの」が幅をきかす理由は十分にあるわけで、この首に鈴を付けるのは並大抵ではなさそう。

絶叫芸

 鎖の強さは、一番弱い環が決定すると言われている。それと同じ理屈で、バラエティー出演者の声量は、最終的に、一番声のデカいヤツの水準で横並びになる。

「絶叫芸人化するタモリや太田」2007.10.28 小田島隆『テレビ救急箱』中公新書ラクレ

 芸もないのに数を揃えるために呼ばれたタレントが埋没しないためには、デカい声で目立つしかないという話。ベテランもその中に入れば例外ではないとの指摘。非常に鋭いと思います。「朝まで生テレビ」が一時期そうで辟易したのもいい思い出で、いまは朝から晩まで絶叫する人ばかり。バラエティーだけではないです、ニュースなどでもヒマネタのときにはなんだか話題の洋菓子か何かを「おいしーい」とかデカい声出すだけで5分とか余裕で無駄に使いますからね。

 私の印象ではバラエティー番組は昔からこんな感じだったような気がします。あの下品な叫声がいやで私はバラエティーを見なくなったのかもしれません。今にして、小田嶋先生の指摘を受けた後で考えてみれば。

オカルト国歌

 テレビ欄を見ると、細木数子、江原浩之をはじめとする占い師、スピリチュアルなんたら、UFO評論家、神霊研究家と言ったあたりの名前がズラリと並んでいる。この事態(つまり、オカルト番組の全局同時制覇傾向)は、神霊芸人側の営業の結果と見ることもできるが、おそらくは、局の側のリスク管理(←早い話が、「赤信号みんなで渡ればこわくない」という非常識を常識化する際の黄金律)の結果であって、彼らは、自局だけの突出を避けて、全局揃って、一斉に、オウム以来のオカルト自粛を解禁する挙に出たわけだ。オカルト解禁元年、と。

 そんなわけなのか、年明けのテレビには、「パワー・フォー・リビング」という無料書籍の配布を告知する、不気味なCMが大量出稿されている。

「〇七年はオカルト解禁元年」2007.1.28 小田島隆『テレビ救急箱』中公新書ラクレ

 「パワー・フォー・リビング」なつかしい!あれでどのくらい日本人信者を獲得できたのでしょうねえ。そんなこんなで幕を開けた2007年には細木さんはテレビ界を去り、現在は疑似科学詐欺系の番組が進出してきているのでしょうか。これは別に小田嶋先生の将来予測ではないのですが、江原氏は放送倫理協会から指導を受けても人気にかげりが見えないので素敵です。

 で、まとめると、私がテレビを見て考えることって、だいたい小田嶋先生の本に書いてありますねえ。本にはさらにそれ以上のことが書いてあるので、「ほんまかいな」と思ってついついテレビで確認したくなる……あぶない。そうか、それが「毒舌系テレビ評論家」のいる理由なわけですね。菊池寛の「極楽」ではありませんが、「地獄はすごいよ」とか言われると下衆な好奇心が湧き上がってきてしまう。

 恐ろしいのであまり近寄らないで起きます。テレビより、テレビ評論の方が安全だし面白い、ていう結論。*1

*1:どうでもいいのですが誤植発見。「2008年4月10日発行」のp154、「セレブ妻の定義を教えてくれ!」記事の日付が「207.2.4」になっています。2007年ですよね。文章を読む上でなんの問題もありませんが。