蜀犬 日に吠ゆ

2008-07-15

[][][][]凡帝と廃帝~~高島俊男『しくじった皇帝たち』ちくま文庫 23:51 はてなブックマーク - 凡帝と廃帝~~高島俊男『しくじった皇帝たち』ちくま文庫 - 蜀犬 日に吠ゆ

 しくじった皇帝たち、とはいっても紹介されるのは二人。「煬帝」と「建文帝」。

しくじった皇帝たち (ちくま文庫)

しくじった皇帝たち (ちくま文庫)

 ちょっと表紙デザインがダサくて、元の画像を拡大しすぎたか何かでぼんやりしているのが変。カバーデザインが南伸坊さんなのですから、いつもの淡泊なイラストの方がよかったのではないでしょうか。

煬帝

 隋末の群雄割拠というのは面白い時代で、おもだった将軍が高句麗(高麗)遠征に向かったあとに各地で叛乱が発生したからさあ大変、煬帝は江南に逃げちゃうし、叛乱を率いるのもたいてい隋王朝の高官たちですからね。

隋唐演義〈1〉群雄雌伏ノ巻 (中公文庫)

隋唐演義〈1〉群雄雌伏ノ巻 (中公文庫)

 この辺りをまとめて小説にしてくれる人はいませんかね。というか、田中芳樹『隋唐演義』中公文庫がありますが、挫折してるので。(田中先生で!挫折て!)ていうか隋唐演義を読めばいいのか。

西遊妖猿伝 (1) (希望コミックス (300))

西遊妖猿伝 (1) (希望コミックス (300))

 いや、でも諸星大二郎『西遊妖猿伝』潮出版社 は読んだので、竇建徳将軍とか大好きですよ。喫菜事魔だし。高島先生は李密将軍を一押しで「第五章 乱世の英雄はこの人、李密だ」と書いていますが、あんまり冴えないところももらさずに書いているので読んでいてついニヤニヤしてしまいます。高島先生相変わらずですね、と。

建文帝

 明王朝第二代皇帝建文帝は存在しません。それはそうですよね、靖難の変で永楽帝が皇帝位を簒奪した、しかし簒奪したとするわけにはいかないのでその存在は消したわけです。建文帝は太祖光武帝(朱元璋)の孫、成祖永楽帝は太祖の子にあたり、世代がさかのぼれば痛い腹を探られてしまうことを避けたというわけ。

 清朝がこの人を皇帝と認めておくなしたのは、日本で明治になってから、大友皇子が帝位にあったものとみとめて弘文天皇とおくりなしたのとおなじである。叔父に殺されて帝位を奪われた点でも両者は似ている。

高島俊男『しくじった皇帝たち』ちくま文庫

 で、この章は実際には建文帝の話はどうでもよくて、もっぱら幸田露伴『運命』を馬鹿にするのです。実際、章のタイトルが「『運命』と建文帝出亡伝説」で、『文學界』に連載されたものをまとめたもの。

 『運命』といえば、「世おのづから数といふもの有りや。」にはじまる露伴の傑作。ですが、わたくし田中芳樹先生がこどもむけに書き改めたもので読んだために話の内容は知っているのですが、露伴先生の方は挫折しているのですよね。つくづく難しい本は苦手。

田中芳樹の運命 二人の皇帝 (シリーズ・冒険)

田中芳樹の運命 二人の皇帝 (シリーズ・冒険)

 運命もしくは建文帝出亡伝説とは、靖難の変の際に建文帝がひそかに宮城を脱出し、僧となって流浪をした。永楽帝は全国を探索し、果ては鄭和を外国に使わしてまで探ったがその行方は杳として知れなかった。晩年に建文帝は自ら名乗り出て北京の寺院で息を引き取ったという物語。

運命・幽情記 (講談社文芸文庫)

運命・幽情記 (講談社文芸文庫)

 歴史的に見れば義経ジンギスカン説以上に荒唐無稽の話ですが、支那では「正史」の編集があまりに体制よりなために「野史」に惑わされる学者もいないわけではなくてときおり論争が持ち上がるらしいです。否定できない可能性もある、というくらいのあつかいでしょうか。

 で、この「運命」、露伴の傑作とされることもままあるのですが、高島先生にかかると精緻にけなされます。露伴も、それを崇拝する人々も。

こういうのを見ると、やっぱり露伴は二流だなあ、と思わざるを得ませんね。

高島俊男『しくじった皇帝たち』ちくま文庫

 そもそも、この『運命』の建文帝云々という部分は、『明史記事本末』という史書の該当部分をたんに読み下しただけのものであり、文学作品というほどのものではないとのことです。

露伴の史談の魅力は、まるで魔法のようにつぎつぎと関聨史料をとり出して見せるところにある。その本のそのところを見ればたしかにそういうことが出ているのであるが、しかしその本のそこにそれがあることを、なぜ露伴は知っているのか。それが不思議でならぬからまるで手品を見せられているような気がする。そういう「驚歎のよろこび」が露伴の史談の魅力である。

 また、史料のつかいかたがゼイタクで華麗である。たとえていえば、おおきな鯛を一ぴき持ち出してきて、ほんの一箸つけただけであとは見むきもしない、というようなやりかたをする。これが読むものに痛快の感をあたえる。たとえば文語旦もの史談ならば『運命』の数年後の「活死人王害風」。ただし、露伴のこうした魅力がもっとも存分に発揮されているのは史談ではなく『芭蕉七部集』の評釈だろう。

高島俊男『しくじった皇帝たち』ちくま文庫

 にもかかわらず、『運命』においてはたったひとつの史料を引き写しただけで作品としている。昨今の言葉で言えば「トレース疑惑」ですね。漫画業界の。

 それを、高島先生は、「スランプというか俗な雑誌の連載ばかりしていた露伴先生が久しぶりに『改造』に登場するので締め切りの厳しいのも顧みず書いちゃった。」と推理する。

 どうも露伴は、大倉書店のために『運命』を書きかけたところへ『改造』創刊号の注文があり、その期限がみじかかったか何かで、自分のへやにあるものさえ見ないでやっつけた、というような事情があったのではなかろうか。

高島俊男『しくじった皇帝たち』ちくま文庫

 大御所であっても容赦しない改造社と、悪魔の誘惑にまける露伴先生ということですか。面白すぎる。