蜀犬 日に吠ゆ

2008-10-12

窓の十字架

[][][]始まりに死があり、生はおわり~~ホルヘ・ルイス・ボルヘス『エル・アレフ』平凡社ライブラリ 20:14 はてなブックマーク - 始まりに死があり、生はおわり~~ホルヘ・ルイス・ボルヘス『エル・アレフ』平凡社ライブラリ - 蜀犬 日に吠ゆ

(画像はおなじみエンデ『窓の十字架』。)


 どんなものにも、始まりがある。そして、終わり。

 時間は、確実に死を連れてくる。人は、それから逃れようとする。

エル・アレフ (平凡社ライブラリー)

エル・アレフ (平凡社ライブラリー)

 逃亡者は迷宮の中に身を隠したりはしないものだよ。海岸の高くなったところ、つまり船乗りが遠くからでも見ることのできる場所に緋色の迷宮を作ったりはしない。宇宙が迷宮であれば、わざわざ迷宮を作る必要はないだろう。建物のすべての廊下が集まる展望台よりも、ロンドンの方が迷宮としてはるかに優れているからね。

アベンハカン・エル・ボハリー、自らの迷宮に死す

 始まりの場所は、「EL ALEPH」。


 あらゆる角度からエル・アレフを見た、エル・アレフの中に地球を、ふたたび地球のなかにエル・アレフを、エル・アレフの中に地球を見た、自分の顔と内臓を見た、君の顔を見た、私はめまいを覚え、泣いた、というのも私の目は人間によってその名を不当にも奪われはしたが、だれ一人実際に見た人のいない秘められた推測上の物体、すなわち想像もつかない宇宙を見たのだ。

エル・アレフ

 物語は、死から逃れようとする人間、死を恐れずにいて実はとっくに死んでいた人間などの生き様を通して、1950年から1943年へと進んでゆく(もちろん、帝政期のローマやアヴェロエスが生きるアンダルシアへも逍遙する)。すべての出来事は円環をなしてゆく。

 今回の出来事はふたたびくり返されるだろう、とエウフォルブスは言った。お前たちは薪の山でなく、火の迷宮に火をつけたのだ。これまでに火あぶりにされたすべての人間が私とひとつに結びつけば、炎は地上にあふれ、天使は盲目になるだろう。そこまで言ったとき、彼は炎に包まれて絶叫した。

神学者

 死に、そして生きるという円環の中で、そのこと自体に気づくことはできるのでしょうか。


 宇宙を垣間見たもの、宇宙の燃える構図を垣間見たものは、もはや一人の人間のこと、その人間の取るに足らない幸、不幸を考えることなどできはしない。たとえその男が彼だとしても、その男はかつて彼であった人間であり、今となってはどうでもいいことなのだ。もう一人のあの男の運命などもはやどうでもいい。もう一人のあの男の国民ももはやどうでもいい。彼は今、だれでもない人間なのだ。

神の書き残された言葉

 しかし、すべての始まる場所、「EL ALEPH」は、その回転をやめない。宇宙と一体になったものにとっても、死があり、生がある。


 敗北が私を満ち足りた気持ちにさせるのは、それがすでに起こったことであり、今ある、そしてかつてあって、将来もあるだろうすべての出来事と無限に結びついており、たったひとつの現実の出来事を非難したり、嘆き悲しんだりすることは、宇宙に対する冒涜にほかならないからだ。

ドイツ鎮魂歌

 ものすごく仏教(の一部)がバカにされているようにも思えますし、それほどでもないような気もします。しかしそんなことを言うならチベット仏教も「菩薩が永遠に輪廻する」ということをいうからファクス仏教ですよねえ。


 あと、ボルヘスといいマルケスといい南米の作家は辛気くさいと思いました。この「エル・アレフ」はおそらくエンデ『鏡の中の鏡』*1と同工異曲なのでしょうけれども、ドイツ人のファンタジーに比べてなんといいますか、リアリティがあるだけにうら悲しいものがあります。

*1:今日の一枚「窓の十字架」参照