蜀犬 日に吠ゆ

2009-01-11

[][]スティーブン・ミルハウザー『バーナム博物館』白水Uブックス 23:54 はてなブックマーク - スティーブン・ミルハウザー『バーナム博物館』白水Uブックス - 蜀犬 日に吠ゆ

裏表紙より

自動人形、盤上ゲーム、魔術、博物館……。

最後のロマン主義者ミルハウザーが織り

なす幻影と現実のモザイク模様。ときに

は『不思議な国のアリス』や『千一夜物語』

を下敷きに、ときにはポーに敬意を表し

つつ、想像力のおもむくままに紡ぎださ

れた十の物語。

スティーブン・ミルハウザー 柴田元幸訳『バーナム博物館』白水Uブックス

 よんだら感想を書くこと、かならずかならず!>母里



[][]文章を書いているときに、僕の考えること 23:51 はてなブックマーク - 文章を書いているときに、僕の考えること - 蜀犬 日に吠ゆ

 昨日は、降臨賞に触発されて「空から落ちてくる女の子」のことばかり考えていました。

二つの作品が両方とも女の子の悲惨物語になっているのは、(心が歪んでいるわけではないと信じたい)起承転結を考えることができなくて登場人物が死ぬか地球が滅亡するかしないと(終わり)の文字が出せないからなのです。

 空から女の子が落ちてくるというのは、たぶん新田五郎*1さん(だと思う)が提唱する「SF押しかけ女房」のステレオタイプ(紋切り型)なのでしょうけれども、じゃあ実際空から女の子が落ちてくる漫画ってなに?といわれるとつらい。たぶん「うるせいやつら」あたりが元祖でそのパクリ作品群で似たような描写がされたのではないかと憶測。しかし、「うるせいやつら」すらまともによんだことがないので困る。

 もう一つ、「天空の城ラピュタ」のシータが空から落ちてきますよね。宮崎御大のパクリ元はさすがに高橋先生ではないでしょうからアニメーションのほうでもなんかそういう紋切り型があるのかもしれません。


 まあそれはいい。


 創作をしてみたのは、私自身が小説のどういう部分に興味を持っているのか、それは漠然とした感覚でしかありませんが、何となく固まってくるような手がかりを感じるからです。

 『その後の~』というのは星新一のパクリで、大体女の子の死体はビル建設現場の整地のときどうあつかわれたのかに関して無責任です。『儒林館高校~』は、浅美先生の手塚賞作品(タイトル失念)をイメージしました。自分はパクリが好きなんだ。


 どうしてパクリが好きなのか、プロの人の小説を読んでいるときもパクリを発見すると楽しいのか、ということについて今後考えていくかもしれません。


 あと、落ちる女の子として銀河系最強のアリス・リデルのことを思い出したので、アメリカの有名なパクリ作家スティーブン・ミルハウザーのことを思い出しましたが、感想を書いていなかったことに気づいたのでこれから読み返します。


[][]カート・ヴォネガット・ジュニア 伊藤典夫訳『猫のゆりかご』ハヤカワ文庫 21:24 はてなブックマーク - カート・ヴォネガット・ジュニア 伊藤典夫訳『猫のゆりかご』ハヤカワ文庫 - 蜀犬 日に吠ゆ

 ヴォネガット先生ばかりよんでいるわけではないんです。しかし、読み終えることができるのはいつも、ヴォネガット。

猫のゆりかご (ハヤカワ文庫 SF 353)

猫のゆりかご (ハヤカワ文庫 SF 353)

 300頁弱の小説で、127章。目次からしておかしい。9頁が目次。

 『世界が終末をむかえた日』という、広島原爆の実録ものを書こうとしているライターが主人公。しかし、彼は作品をまとめ上げることができないまま、手記のかたちでなぜ作品が完成しなかったのか、代わりに何をしたのかを書きとめます。回想録を書いている時点ではすでに主人公はボコノン教に改宗しているため登場人物や出来事はそれぞれボコノンの教えに従うかたちで位置づけられ、価値を決められて書きとめられることになりますが、このくらいの順逆自在はヴォネガット先生としてはふつうでしょうか。

 ボコノン教の教えは、表紙見返しの引用が簡潔。

 本書には真実はいっさいない。


「〈フォーマ*〉を生きるよるべとしなさい。それはあなたを、

勇敢で、親切で、健康で、幸福な人間にする」

   ――『ボコノンの書』第一の書第五節


           *無害な非真実

カート・ヴォネガット・ジュニア 伊藤典夫訳『猫のゆりかご』ハヤカワ文庫

 運命、というか神(もちろん、聖者ボコノンのいう全能の神)の導きによって主人公は原子爆弾の父のひとりである故フィーリクス=ハニカー博士の足跡と、その遺児たちと〈カラース〉になります。

 最終的にはカリブ海に浮かぶ小さな島の独立国サン・ロレンゾで『ボコノンの書』に触れボコノン教徒になり、ボコノン自身とたまたま――”定められていたとおり”とボコノンならいうだろう――であいます。それが終わり。ヴォネガット先生は、自由意志や正義で世界をよくしようとする考え方を痛罵しますが、この『猫のゆりかご』ではもう一つ、科学で人が仕合わせになるという考えも揶揄されますね。科学で人が仕合わせになれると考える人は、仕合わせというのがはっきりした実体をもっていると勘違いするのでしょうけれども、平和とか、友愛とか、豊かさというものが、どこかで発見されたという報告はあったでしょうか。逆に原子爆弾や、アイス・ナインのようなものは次々とつくりだされるしかけ、というわけでしょうねえ。

*1:訂正しました