2009-01-20
■ [筆記][SF]語り得ぬことを語ろうとするときに考えること~~山田正紀『神狩り』ハヤカワ文庫 
先日の『浮遊研究室 5 望郷編』で上前津さんが
自分でお金を持って本を買いにいったのは、高校生になってからですね。山田正紀の『神狩り』が最初じゃないかな。
森博嗣『浮遊研究室 5 望郷編』メディアファクトリ
といっていたので、積ん読を崩す気になりました。

- 作者: 山田正紀
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1976
- メディア: 文庫
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(ネタバレ)結局神狩りには成功しないまま物語は終わるので、(/ネタバレ)この物語は『神狩り』というよりも『神の存在あぶりだし』がふさわしいのではないかと思ってしまいました。
しかし神が論理の型式をまったく異質にした存在なのであれば、神にとって世界は暇つぶしの相手であるとばかりもいえないのではないでしょうか? 地に住む人をなぶるような神の戯れは本当に戯れなのか、それを知りえることは人類にはできないのではないでしょうか。
人類の論理力は成長する、というのはその通りでしょう、少なくとも現生人類はナメクジウオよりも論理的な能力に関して優れているといってよいと思われます。しかしその成長は単線的であり、もしも「神」が人類を自分と同じレベルにしようとしているのではないかぎり人類はそこまで成長できないか、成長する前に「神」から捨てられるのではないでしょうか。
コンピュータは人類と異なる論理構造をもち、人類を異なるステージへと上昇させる補助になりうる、というのもありそうです。しかし、人類はコンピュータを、自分たちの論理によって縛ることでしか、コンピュータを利用することができません。
コンピュータの論理に合わせようとしてディストピアを生んでしまうSFはたくさんありましたからね。コンピュータを利用して神を狩ろうとしても、コンピュータが新たな神になってしまう可能性のほうが高そうです。
「神」から、人類は自由を取り戻せるのか。もしもそれができるなら、神はそれをどういうふうに価値づけするのでしょうね。
というわけで、次は山本弘『神は沈黙せず』につづく?
と、いま商品情報をチェックしたら、『神狩り2』というのがあることを初めて知りました。