蜀犬 日に吠ゆ

2009-01-21

[][][][]文明の衝突1840年(道光二十年)~~陳舜臣『実録アヘン戦争』中公文庫 17:31 はてなブックマーク - 文明の衝突1840年(道光二十年)~~陳舜臣『実録アヘン戦争』中公文庫 - 蜀犬 日に吠ゆ

 小説版の『阿片戦争』とは別に書かれた、アヘン戦争の概説。地の文が陳舜臣先生の主観バリバリで林則徐びいきなのがほほえましい。

実録アヘン戦争 (中公文庫)

実録アヘン戦争 (中公文庫)

第一章 衰世

 林則徐が参加した同人、宣南詩社の龔自珍から話は始まります。龔自珍や魏源は「大そうクセのある字」のせいで科挙になかなか合格できません。。宣南詩社の期待を背負って昇進したのが林則徐。

第二章 ひるねの友

 ヨーロッパ人はアルコール中毒になりがちでアヘンはその代替物という扱いだったのに、中国人とアヘンは相性がよく、またたくまに広まった由。本当でしょうかね。まあともかく、貿易の自由化で商売を民間企業に奪われた東インド会社が、ベンガル郡のアヘン専売権を獲得して対清輸出にのりだします。

第三章 狭い門戸

 広州は「海禁」の清王朝にとって例外的に開港された都市ですが、貿易は戸部の免許を受けた「行商――Hong merchants」に限定されます。これが「公行(コンホン)」。外国の商社も夷館を広州の「十三行街」に構えます。デンマーク館(黄旗行)、スペイン館(大呂宋行)、フランス館(高公行)などなど。なんだか万博のようですね。建物の名称と、なかに入る商社の国籍は一致しないんだそうですが。アメリカのオリファント商会は唯一アヘンの密輸を行わなかったので外商たちからは「シオニスト・コーナー」と呼ばれました。

 「公行」たちのリーダー(総商)は怡和(いわ)行の主人伍紹栄。公行たちもその経営は苦しく、とくにインドのパールシー族(白頭夷)の金融業者たちに操られて資産を吸い上げられてしまうことが多かったということです。だったら、いっそアヘンを合法化して巨利を得たい、という意見も登場します。

 アヘンは珠江河口の伶仃(リンティン)島の沖に「洋上倉庫」たる躉船――store-ship にストックされ、その密輸は黙認されたも同然でした。

 初代のイギリス商務監督ネーピアは清国との通商貿易を要求したが逆に商館は封艙(フォンチャン)、すなわち兵糧攻めにあって失敗。

第四章 論争 第五章 点火

 アヘン合法化は、清国の銀を海外に流出させてしまうという点から問題視されて欽差大臣林則徐がアヘン問題解決のため広州におもむきます。

第六章 虎門の煙

 林則徐はストックされていたアヘン2万箱を没収。約1425トンの由。うち7千箱はジャーディン・マセソン商会。二位はデント商会の7百箱というのでジャーディン・マセソン商会のアヘン密輸はずば抜けていたことが分かります。林則徐はこれを塩水と石灰で処分します。てっきり海水を使ったのだと思いこんでいましたが、きちんと塩を入れていたのですね。

第七章 戦火

 要請した軍艦が中国に来ると、商務監督エリオットは強気の交渉に出ますが林則徐も強硬路線。イギリス本国は東洋艦隊遠征軍を動員します。自由党のグラッドストンはこのとき不正な戦争を弾劾する論陣をはりますが少数派。

第八章 アヘンのために

 林則徐との直接戦闘を避けた英海軍は長江河口の舟山列島定海県を攻撃、さらに天津を目指します。あわてた北京の廷臣は林則徐を解任し、あとは負け戦と屈辱的な通商条約、賠償金の支払いを余儀なくされます。

第九章 プリズムの時代  それからの林則徐

 アヘン戦争は、中華思想の終わりを露呈させてしまった。中国人たちは、世界と未来に目を向けざるをえなくなります。