蜀犬 日に吠ゆ

2009-02-17

[][]佐々木邦『心の歴史』みすず書房 17:07 はてなブックマーク - 佐々木邦『心の歴史』みすず書房 - 蜀犬 日に吠ゆ

佐々木邦 心の歴史 (大人の本棚)

佐々木邦 心の歴史 (大人の本棚)

 メインは長編小説「心の歴史」ですが、本書にはエッセイ二部「芭蕉の蛙」「テーブル・スピーチ」も収録されています。その意図は不明。根拠のない憶測ですが、全集(講談社刊)の第十巻を底本にしたとあるのでそのまま引き写したのかもしれません。


芭蕉の蛙

 例の「古池や」。蛙の種類はドブ蛙であろうという推理。しかしドブ蛙こそ知りません。

 「山吹や蛙飛び込む水の音」。芭蕉は二句作ってみて其角に示したところ、弟子は「山吹や」を採りましたが、芭蕉は「古池や」に定めたという伝説。


テーブル・スピーチ

 テーブル・スピーチを頼まれることもあるけれども苦手だという話。


心の歴史

 愚挙愚挙愚挙!

 ふられふられる男の、魂の物語(笑)。


 まあそれはいいのですが、示唆に富む余談に感心しました。

 私は中学令を思い出すと、所謂大東亜戦争も東亜共栄圏も軍ばかりの責任ではないと考える。すでに五十年前に、日本の政府は最高教育から基督教の分子を徹底的に排除しようと試みたのである。八紘一宇の妄想はもうその頃から萌(きざ)していたのである。以来官僚の教育はその鼓吹を主眼とした。軍人は思想家でない。文部省が長年かゝって思想の体系を完成したのだ。これは戦犯に挙げられた前文部大臣がすぐに自殺したのでも分る。一生文教に携わっていてあまりによく実情を理解していたから、責任上生きていられなかったのである。私は私学が官学に取って代らない限り、日本の民主化は覚束ないと思っているのだが、それは「心の歴史」と関係ないことだから、こゝには論じない。

佐々木邦『心の歴史』みすず書房

「善さん、徴兵に弾(は)ねられる法を伝授しようか?」

 と或晩吉田君が言った。私の徴兵検査が近づいていたのだった。

「何だか気がかりがあると思うとそれだよ。取られちゃたまらない」

「一生の計画に関係するから、是非遁れなければいけない」

「郷里(くに)なら大抵大丈夫だろうと思うんだけれど。土性骨の太いのが多いから」

「君だって可なりガッチリしているぜ」

「考えて見ると、僕はどこも悪いところがないから心細い。目だけだ」

「眼鏡は何度だい」

「十四五度だ」

「一年志願はそれぐらいまで取るようだ」

「取るらしい。ちょうど僕ぐらいのが去年取られている」

「一年志願なら少尉になれるんでしょう?」

 と光子さんが関心を持ってくれたのは嬉しかった。

 いかにして徴兵を遁れようかというのがその頃の、いや、明治大正昭和を通じての若いものゝ屈託だった。徴兵については裏と表があった。裏は私で、表は公だ。公は偽で、私は真だ。表向きは是非徴兵に取られたい、裏向きは何とかして弾ねられたい。郷里の近村には徴兵稲荷というのがあった。徴兵除けの神様だ。検査が近づくと、お母さん達が参詣する。壮丁には右の手の人さし指を鉈で叩き切ったものさえある。

「お芽出度う。甲種合格だったそうですね」

 と近所のものが表から祝ってくれる。親父は障子から顔を出して、

「お陰さまでお役に立ちます。こんな嬉しいことはありません。有難うございます」

 と景気の好い答礼をするけれど、障子を閉めた後は、

「はて、困ったものだ」

 と一家打ち湿ってしまう。戦時中はこの裏と表が更に強化された。長い間こういう使い分けの生活を立派にやって来たところを見ると、日本人は皆名優の素質を持っているとも考えられる。

 徴兵を遁れるために一時健康に故障を齎(もたら)す方法が種々(いろいろ)と研究されていた。学生は百姓よりも知恵があるから、指を切るようなことはしない。一週間毎日醤油を一合宛飲めという処方があった。これは動悸が高くなって心臓病と間違えてもらえるものだった。丈の高さはどうにもならないが、体重は融通が利く。痩せているものは更に痩せることを心掛けた。聾(つんぼ)の真似をして成功したという話もある。しかし帰りに呼びかけられて、うっかり返辞をしたため、直ぐに捉まってしまったともいう。

「ぼくはやっぱり近眼で行く」

 と私は唯一の弱点に頼る外仕方がなかった。

「結局それだね。強い眼鏡をかけていると宜い」

正月頃からやっているんだよ。始めは少し強過ぎて足許が変だったが、この頃は慣れた」

「僕も丁度君と同じぐらいだが、強いのをかけた上に、壮丁控所で待っている間、一心不乱に着物の縞の勘定をしていた。視力は疲れると弱くなる。八度ぐらいに見てくれたらしい」

「それは妙案だな。僕もやるよ。和服を着て行く」

「お父さんのを借りていらっしゃいよ」

 と光子さんがまた関心を示してくれた。父の着物なら縞が細い。

 私は近眼で丙種不合格になった。私の友達にもそういうのが大勢いる。日本の知識階級に近眼視の多いのは必ずしも目の質が悪いからでない。徴兵制度が与って力あると思う。学生は近眼になっても驚かなかった。却って徴兵を遁れるという期待で、ます\/細い書物を読んだものである。

佐々木邦『心の歴史』みすず書房

「丸尾君、君は文学が好きですか?」

 と先生が訊いたのである。好きだと答える外なかった。

「本当に文学が好きなら、こゝに一つ考えて見ることがあります。それは私自らが今頃考えて晩(おそ)かったと思っていることです。君は文学が好きなら何故自分の国の文学を自分の力でやらないんですか?」

「それは日本人ですから、日本文学の研究の方が容易ですけれど、そういう学者は日本に幾らもあるんですから」

「研究じゃありません。文学そのものをやることです。シェキスピヤ学者というものがイギリスにもアメリカにもドイツにもあります。世界を通じて何千人という人がシェキスピヤの研究に一生を捧げています。私もその一人ですが、若(も)しこの年月の努力を自分自身の文学に向けていたら、或は自分もシェキスピヤぐらいの文人になっていたかも知れないと思うんです」

「…………」

「シェキスピヤ学者になるよりも第二のシェキスピヤ第三のシェキスピヤになる方が英文学に余計貢献しますよ」

「はあ」

「日本のシェキスピヤはだれですか?」

「近松です」

「それじゃ第二の近松になるんです。後悔のないように、その辺をよく考えて下さい」

「僕はとても近松にもシェキスピヤにもなれる自身がありませんから、矢張り英文学の研究をします」

「もう一方、母国語以外の文学を研究するのは大きな引け目です。仮りに私があなたの英語ほどの日本語を学んでいるとして、日本文学を研究したら、大家になれるでしょうか?」

「…………」

「その辺もよく考えてから決心して下さい」

 ピーターソン博士は本当のことを言ってくれたのだけれど、本当のこと必ずしも有益なことではない。以来私は英文学の勉強中、成程、これだけの苦労をして自分で物を書いたら相当の作品が出来るだろうに馬鹿々々しいと思った。最後の注意は更に宜しくない。英文学は英語だから、幾ら努力しても英米人に敵いっこないという信念を固めてしまった。私は日本で英文学を研究する人達には、ピーターソン博士の教訓を匿(かく)して置きたい。

佐々木邦『心の歴史』みすず書房