蜀犬 日に吠ゆ

2009-03-20

[][][]賢者について~~今枝由郎訳『サキャ格言集』岩波文庫 21:11 はてなブックマーク - 賢者について~~今枝由郎訳『サキャ格言集』岩波文庫 - 蜀犬 日に吠ゆ

 ついでなので『サキャ格言集』も読んでみます。続かなそうだ、などと自分で言ってしまっては台なしなので、できるところまでやってみます。

サキャ格言集 (岩波文庫)

サキャ格言集 (岩波文庫)

Ⅰ章 賢者についての考察

1

 功徳の蔵を持った賢者は

 貴い格言を集める。

 大海は川の蔵であり

 川はすべてそこに流れる。

今枝由郎訳『サキャ格言集』岩波文庫

 賢者を気取るつもりはありませんけれども、志は高く、貴い格言を集めていきたいものです。「述而不作。」あるいは「賢者もすなる格言集めといふもの、愚者もしてみむとてするなり」。まあ賢者が集めた格言をぽつぽつ読むのが関の山なんですけどね。

2

 人に功徳があるのかないのかを

 見きわめる知恵を持った者が賢者である。

 埃と混じった砂鉄を

 磁石は吸い付けることができる。

今枝由郎訳『サキャ格言集』岩波文庫

 うーん、この格言には困りました。

 むしろ私は禅の徒でして、常に「無功徳」の立場です。すみませんです。

中国禅宗史話―真字「正法眼蔵」に学ぶ

中国禅宗史話―真字「正法眼蔵」に学ぶ

その二 無功徳――武帝と達磨――

 梁の武帝(四六四―五四九)と達磨の則は、『景徳伝燈録』巻三にも存するが、ここでは、それより古い『祖堂集』巻二によって、訓読で紹介しよう。

爾(そ)の時、武帝問う、「如何なるか是れ聖諦第一義」。

師曰く「廓然無聖」。

帝曰く、「朕に対する者は誰(た)そ」。

師曰く、「識らず」。

又た問う、「朕、九五(てんしのくらい)に登りてよりこのかた、人を度し、寺を造り、経を写し、像を造る。何の功徳か有る」。

師曰く「功徳無し」。

帝曰く、「何以(なにゆえ)に功徳無きや」。

師曰く、「此れは是れ人天の小果、有漏の因なり。影の形に随うが如く、善因有りと雖も、是れ実相に非ず」。

武帝問う、「如何なるか是れ実の功徳」。

師曰く「浄智は妙円にして、体自ずから空寂なり。是(かく)の如き功徳は、世を以て求むることあらず」。

武帝、達摩の言う所を了(さと)らずして、容(かたち)を変えて言わず。

達摩、其の年の十月十九日、自ら機の契わざるを知りて、すなわち潜(ひそ)かに江の北を過ぎ、魏邦に入る。

志公、特(わざ)わざ帝所に至り、問うて曰く、「我れ聞く、西天の僧の至れり、と。今、何(いずれ)の所に有りや」。

梁の武帝云く、「昨日、送りて江を過ぎて魏に向かう」。

志公云く、「陛下は之に見(まみ)えて見えず、之に逢いて逢わず」。

梁の武帝問うて曰く、「此れは是れ何人ぞ」。

志公対(こた)えて曰く、「此れは是れ仏の心印を伝える観音大士なり」。

武帝乃(すなわ)ち之を恨んで曰く、「之に見えて見えず、之に逢いて逢わず」。

即ち中使趙光文を発して、彼(かしこ)に往きて之を取らしむ。

志公曰く、「但だ趙光文一人のみにあらず、闔国(こうこく)にて取るも亦た廻(かえ)らず」。(Ⅰ―七二~七三)

石井修道『中国禅宗史話』禅文化研究所

 求めれば失うのが功徳ということですから、功徳のありなしを人智にて知ろうとするのは「有漏の因」、迷いのもとになるということでしょうね。

 ちなみにこの話自体は荷沢神会(六八四―七五八)の創作らしいです(上掲書)。

3

賢者は格言を理解するが

愚者はそのかぎりではない。

太陽の光が現れると

フクロウは盲目となる。

今枝由郎訳『サキャ格言集』岩波文庫

 うう、格言が理解できないのは愚かの故なんですね。精進します。

4

智恵のあるものは過失を

取り除けるが、愚者にはできない。

ガルダ鳥*1は毒蛇を殺せるが

カラスにはできない

今枝由郎訳『サキャ格言集』岩波文庫

 「上知と下愚とは移らず」ではありませんが、賢者は正しく愚者は誤るというのは原因と結果が逆転していると思います。人は賢者になることができるというのが仏教だと思うのですが、そのための道筋は後で示されるのでしょうか。

*1:4 ガルダ鳥 ヒンドゥー教で、鳥類の王と見なされる伝説上の巨鳥。漢訳仏典では「迦楼羅」と音写される。