蜀犬 日に吠ゆ

2009-03-21

[][][]賢者について(その2) 23:17 はてなブックマーク - 賢者について(その2) - 蜀犬 日に吠ゆ

Ⅰ章 賢者についての考察

5

 智恵のある者は弱っても

 さらに智恵の力を増大する。

 百獣の王は飢えると

 すみやかに象の頭を襲う。

今枝由郎訳『サキャ格言集』岩波文庫

 意味不明。

6

 賢者は論議し質(ただ)さないかぎり

 その深奥さが分からない。

 太鼓はばちで叩かなければ

 他の者との違いが分からない。

今枝由郎訳『サキャ格言集』岩波文庫

 ためされていないものを賢者と崇める危険性の話かも。

7

 明日死のうとも学問する。

 今生で賢者になれなくても

 学問を来世に託して

 受け取るようなものである。

今枝由郎訳『サキャ格言集』岩波文庫

 生まれかわって、この格言をまた読めるでしょうか。読めたらいいのですが。

8

 功徳のある人のところには

 人は集めなくても、集まってくる。

 香(かんば)しい花は遠くにあっても

 蜂は雲のように集まってくる。

今枝由郎訳『サキャ格言集』岩波文庫

 この件に関して言えば、わたしは「賢者を賢者たらしめるのは賢い弟子である」という考えですので、花と蜂の比喩にしてみれば蜂を褒めよ讃えよといいたいですね。蜂こそが、花を選んで群れ集うのであり、賢者が愚者を選ぼうなどとはおこがましいでしょう。 


[][][]諸星大二郎『西遊妖猿伝』大唐編 3 講談社 17:11 はてなブックマーク - 諸星大二郎『西遊妖猿伝』大唐編 3 講談社 - 蜀犬 日に吠ゆ

 大唐編。金閣大王との因縁に決着を付けた後、天朝の求めに応じて王宮へ。弼馬温となるが、玄武門の変に乗じて秦王の命を奪おうとして失敗、運命のライバル哪吒太子と出会います。

西遊妖猿伝 大唐篇(3) (KCデラックス モーニング)

西遊妖猿伝 大唐篇(3) (KCデラックス モーニング)

[][][]諸星大二郎『西遊妖猿伝』大唐編 4 講談社 17:12 はてなブックマーク - 諸星大二郎『西遊妖猿伝』大唐編 4 講談社 - 蜀犬 日に吠ゆ

 斉天大聖は突厥が唐に進軍してきた混乱に乗じて長安を脱出。盤糸嶺に身を寄せます。

西遊妖猿伝 大唐篇(4) (KCデラックス モーニング)

西遊妖猿伝 大唐篇(4) (KCデラックス モーニング)

[][][][]学而第一(その2)。 11:18 はてなブックマーク - 学而第一(その2)。 - 蜀犬 日に吠ゆ

現代語訳 論語 (岩波現代文庫)

現代語訳 論語 (岩波現代文庫)

巧言令色鮮なし仁

 学而第一(1~16)

3 子曰。巧言令色。鮮矣仁。

(訓)子曰く、巧言令色には、鮮(すくな)いかな仁。

(新)子曰く、ねこなで声でお世辞笑いする人間に最高道徳の仁は求められぬ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 「令色」を、器量よしの意味でとるのが間違いというわけではないのですが、宮崎先生のように「お世辞笑い」、すなわち人当たりのよさげな表情ととった方が分かりやすいでしょう。生まれつきの顔の善し悪しではなくて、おざなりな態度のことを批判しているわけですから。


 なお

 これと全くの同文が、陽貨第十七451に出ている。このことは論語が由来を異にする幾つかの部分をそのまま寄せ集めて出来たものであり、編集者が最後に点検して重複した章を削除する操作をあまり厳格にはしなかった証拠である。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 ということですので、編集の意図を過剰にくみとるのは無価値であるかもしれません。


三たび吾が身を省みる

 学而第一(1~16)

4 曾子曰。吾日三省吾身。為人謀。而不忠乎。与朋友交。而不信乎。伝不習乎。

(訓)曾子曰く、吾は日に三たび吾が身を省みる。人の為に謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか。習わざるを伝うるか。

(新)曾子曰く、自分は毎日三度、自分のしたことを反省する。人の相談にのってあげて十分誠意をつくしたか、友人と談話するのにいい加減なことを言わなかったか。(弟子たちに)未熟な知識を教えなかったか。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 曾子は、こちらはもちろん孔子の学問の正統後継者です。『孝経』の作者にも擬せられています。その曾子が自らに課した心構え。

 仏教における「戒」は、「あれをしてはいけない、これをしてはいけない」というデメリットシステムでして、その意味ではこの曾子の「吾日三省」も「不忠であってはならない」「不信であってはならない」、「伝えるなら不習は避ける」というものです。

 「いいことをしなさい!」という教えと「悪いことをするな」という教えは、似ているようで異なります。日々守っていくというのであれば「自由に振る舞ってよろしい、ただしこの三つには気をつける」という儒教の考え方の方が柔軟になりますよね。


 辞書でおなじみ三省堂は、これが典拠でしょうと思いますが、確認はしていません。