蜀犬 日に吠ゆ

2009-03-23

[][][]賢者について(その4) 20:09 はてなブックマーク - 賢者について(その4) - 蜀犬 日に吠ゆ

Ⅰ章 賢者についての考察

11

智恵に守られた賢者は

敵が多くても傷つかない。

ウッジャイニー*1のバラモン*2の子は

大勢の敵を一人で退けた。

今枝由郎訳『サキャ格言集』岩波文庫

 日本なら、賢者は争わないとかそういう理想論が格言になりそうですが、降りかかる火の粉をどうするのかという問題がありますよね。愚者のすることだからと寛容をもって臨み、結果として炎上するということは、実によくあることですから。大勢を敵に回して傷つかないのも賢者、というか賢者でいるための資質なのかもしれません。

12

愚者が口論し争う時

賢者は巧みに和合させる。

川の流れが濁っても

水を浄める宝はそれを浄める。

今枝由郎訳『サキャ格言集』岩波文庫

 「水を浄める宝」というのが智恵の譬喩なのでしょう。しかしこれは賢者にとっても簡単なことではないでしょうね。自分が賢者であることは、愚者を「ほんのちょっと賢くする」ことの困難にくらべればなんでもないようにも思います。

13

賢者はいかに窮しても

愚者の道は歩まない。

ツバメはいかに喉が渇こうとも

地面に落ちた水は飲まない。

今枝由郎訳『サキャ格言集』岩波文庫

 愚者の道を歩むものを愚者といい、賢者の道を志すものを賢者というのではないでしょうかね。『徒然草』第八十五段「人の心すなほならねば」の有名なフレーズ「狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり。悪人の真似とて人を殺さば、悪人なり。」と同じで、日本人には理解しやすい格言ですね。

 だから、バカを装って金を稼ぐことが絶賛される昨今、「バカの真似はバカじゃできない」などと弁護する人もいますがそれはやっぱりバカと呼んでかまわないのです。「どうも親バカでしてすみません」などと開き直る人も、結論から言えばバカですよね。


[][][][]学而第一(その4)。 20:09 はてなブックマーク - 学而第一(その4)。 - 蜀犬 日に吠ゆ

入りては則ち孝

 学而第一(1~16)

6 子曰。弟子入則孝。謹而信。汎愛衆而親仁。行有余力。則以学文。

(訓)子曰く、弟子(ていし)、入りては則ち孝、出でては則ち悌、謹みて信あり、汎(ひろ)く衆を愛して仁に親しみ、行って余力あれば則ち以て文を学べ。

(新)子曰く、(修行中の)若者は、家庭では孝行、社会に出ては奉仕につとめ、注意深くして約束を守り、多くの人びとと親睦する中でも誠実な人を選んで昵懇にし、実践した上の余力をもって、教養を高めるがよい。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 この章は儒教の行動主義がよくあらわれていますね。学問の云々をいう前に、弟子たちはまず行動や態度を正さなければならないということでしょう。品格だ教養だというのはそのあとである、と。「愛」に関して。ここでは「愛衆」という言葉が出てきて「多くの人びとと親睦する」とあります。「親」は次の「親仁」で「お近づきなる」ことなので「交流する」というあたりがいいのではないかと思いますが。「仁」は「仁者」で、そういう人とは親しくなっていろいろの感化を受けるべきですが、そうではない人も含む「衆」とも仲よくなくてはいけないよ、というのが夫子の教えなのでしょう。もちろん、「巧言令色」ではこまるので、まごころをもったおつきあいをするべき、だから「愛衆」なのでしょう。

 儒教というとエリート主義で、友達もしっかりした人を選ぶべきというイメージでしたけれども、もちろんそんなことはありませんよね。世間の義理もあるわけですから嫌な人とも仲よくできなければ孔子の弟子にふさわしくない、ということでしょうか。

 なお、キリスト教では、

 ローマの使徒への手紙12の16

16 互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人びとと交わりなさい。自分を賢い者とうぬぼれてはなりません。

『新約聖書』日本国際ギデオン教会

*1:11 ウッジャイニー 地名。故事未詳。

*2:11 バラモン ヒンドゥー教の四カーストの最上位