蜀犬 日に吠ゆ

2009-04-07

アミバ

[][][][]為政第二を読む(その6) 15:43 はてなブックマーク - 為政第二を読む(その6) - 蜀犬 日に吠ゆ

回や愚ならず

 為政第二(17~40)

25 子曰。吾与回言。終日不違如愚。退而省其私。亦足以発。

(訓)子曰く、吾、回と言う。終日違わず、愚なるが如し。退いて其の私を省すれば、亦(また)以て発するに足る。回や愚ならず。

(新)子曰く、自分は顔回と会って話すが、一日中はいはいとばかり言っているから馬鹿かなと思う。しかし退出してから独りでいる時の様子を見ていると、ちゃんと此方の言ったことを理解していたことがわかる。どうしてあれは馬鹿どころではない。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 「発するに足る」を「理解していたことがわかる」というのはすこし飛躍がありますね。金谷訳(岩波文庫)では「やはり(わたしの道を)発揮するのに十分だ」とあり、加地訳(講談社学術文庫)では「私の教えたことを理解し、新たに物ごとを明らかにしている。」(「発」は発明として新しいものを起ちあげる意味にとっています。)

 先達の解釈に異を唱えるわけではありませんが、私は一読してこの「発」は発言のことではないかと思いました。つまり顔回の普段の様子(「私」)を見るに、新しいことをどんどん教えても大丈夫だと孔子が判断したのではないでしょうか。

 宮崎市定先生の解釈ですと、夫子は顔回が控えの間にいるときにこっそり、壁の裏や庭先から様子をうかがったりしたのでしょうか。どんだけ顔回が好きなんでしょう。


 顔回も顔回で、初登場がこんな話題というのはいかにもそれっぽい。この章は当然顔回に向けて発せられたものではなく、弟子のうちだれかが「夫子、顔回先輩ってちょっとトロいんじゃないッスか」とかなんとか言ったので、「ワシもそう思うこともある、が、よく考えてみよ」という感じで顔回のすごさを説明して見せたのではないでしょうか。


人焉んぞ廋さん哉

 為政第二(17~40)

26 子曰。視其所以。観其所由。察其所安。人焉廋哉。人焉廋哉。

(訓)子曰く、其の以てする所を視(み)、其の由る所を観(み)、其の安んずる所を察すれば、人焉(いずく)んぞ廋(かく)さんや。人焉んぞ廋さんや。

(新)子曰く、人間はその行っていることを注視し、その由来するところを観取し、その安心しているところを察知すれば、その性質は匿そうたって匿しおおせるものではない。心の底まで見抜けるものだ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 大事なことは二度くり返す、というのは『論語』における強調の手法としておなじみですが、宮崎市定先生のべらんめえ口調(「匿そうたって」)は初めて気づきました。先生、長野出身の京大卒、京大教授なんですが、関西でもこういういいかたするのでしょうか。

 閑話休題。「視」「観」「察」は、ほぼ同じ意味にとってもいいと思います。同じ文字を繰り返すことを避けてこういう風に使い分けたのでしょう。訳語もそれ相応に振り分けなければならないでしょうが、指し示す意味内容は、「よみとる」と広く捉えてかまわないと思います。

 ですから問題は、「所以」「所由」「所安」。これを宮崎市定先生は「行い」「由来」「安心」としていますが、すこし訳が難いような気もします。とくに「由来」では、なにか民話伝説の類のようでもありまして、人の資質とどう関連するのか、さらにかみ砕かなければならないでしょう。 加地訳では「日常生活の現在」、「経てきた過去」、そして「落ちつこうとしている未来」と、時間軸できれいにまとめられていますが、逆にきれいすぎませんか。


 呉智英式占いでは人を知るのに「偏差値」「出自出身」「階層階級」の要素を組み合わせますが、これをうまく対応させることは、できますかね。「所安」と「階層階級」が少し苦しいかも。


 前章で顔回が独りくつろいでいるところを夫子がこっそりうかがいみるのは、こういう理由があったからなのですねえ。


温故知新

 為政第二(17~40)

27 子曰。温故而知新。可以為師矣。

(訓)子曰く、故きを温ねて新しきを知れば、以て師と為るべし。

(新)子曰く、古いことを研究してそこから新しい知識をひきだすくらいでなければ、先生にはなれない。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 私のように先賢の解釈を引き写して満足しているようではとてもだめであるということで、耳が痛いですねえ。

 「まなぶ」は「まねぶ」ともいいますが、私たちが観測したり研究したりできるのは過去の事例に決まっています。よっぽど最先端の研究でない限り、私たちは先行する研究者なり、一般書であれば解説者やライターの人たちが解釈し編集しパッケージした「知識」としてそれを「学ぶ」ことになります。典型的には学校の教科書と、それを使った授業ですね。

 しかし、師となるような人間は、そこに満足せず、つねに新しい知識に貪欲であれと孔子はおっしゃいます。そして、新しい知識はどこか遠くにではなくて普段学習している古い知識のなかにあるよ、と。


 これも、孔子塾(という名前をいま考えました)の出来事として考えると面白いですよね。ときは春秋ですから百花斉放、続々と新しい理論が誕生し、名声を得る学者も数多くあらわれます。孔子の弟子たちのなかにも「詩だの楽だの古くさいこと学んでどうするんだ」という空気が生まれてこないこともありません。なかにはよその師匠の門を叩いて塾をかけもちするもの、よその学説を孔子の門下にもちこもうとするもの。別な学派への移籍を考えるものなどもあらわれたことでしょう。高弟たちの中にもこれを心配して孔子に相談るするものがあらわれないともかぎりません。夫子こたえていわく、「昔のことを学ぶのは、昔のことを学ぶためじゃないんだよ。心配せずにいつもの学習をきっちりしなさい」。というあたりではなかったかと想像。


君子は器ならず

 為政第二(17~40)

28 子曰。君子不器。

(訓)君子は器ならず。

(新)子曰く、諸君は器械になってもらってもらっては困る。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 公冶長第五に「子貢が尋ねた、『賜めはいかがでしょう』と。孔子は『お前は器だよ』と。」ありますので、子貢の立場がありません。『論語』の編者(たち?)は子貢と異なるグループだったのでしょうか、それとも子貢その人がこうした孔子自身の言葉を重く受け止めて、なるべく正しく伝えようとしたのでしょうか。それは定かではありません。

 孔子は子貢を責めるというのではなく、彼の実利を追い求める姿勢をときどきたしなめた(先進第十一)ふうですので、ここでいう「器」というのは「実生活の役には立つが、孝悌や徳行といった内面の価値を伴わないもの」という意味にとれると思います。

 もちろん、温故而知新と意味がつながっていて、「いっときの金儲けが望みなら、うちの門弟なんてやめてしまっていいんだよ、ジャック・ポット教にでも入り給え」ということでしょうね。孔子が求めた君子とは、もっと高いところにあったのでしょう。日暮れて道遠しとは、このことですなあ。