蜀犬 日に吠ゆ

2009-04-17

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[][][][]八佾第三を読む(その2) 20:14 はてなブックマーク - 八佾第三を読む(その2) - 蜀犬 日に吠ゆ

八佾(はちいつ)篇は礼楽の話。


奚んぞ三家の堂に取らん

 八佾第三(41~66)

42 三家者以雍徹。子曰。相維辟公。天子穆穆。奚取於三家之堂。

(訓)三家者、雍(よう)を以て徹す。子曰く、相(たす)くるは維(こ)れ辟公、天子は穆穆たり、とあり。奚(いずく)んぞ三家の堂に取らん。

(新)魯の家老の三家が、天子の音楽たる雍で祭りを閉じた。孔子曰く、雍の詩に、並みいる辟公(きんだち)には周公召公、天子は盛徳の成王がおわしたとある。三家の堂にはいったい誰がいたと思うか。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 雍は現存の詩経にも周頌の中に収められている。奚取は、どんな取柄があるか、猿の物真似で大笑いだ、の意。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 ははは


 前回の八佾と同じく、魯の臣下、すなわち王からすれば陪臣たちが天子のおこなう祭祀を執り行いました。孔子が怒ったのは祭祀のことではなく、実力のともなわないものが分不相応のこけおどしで権威を誇ったからであるのも、前章と同じです。三家に、辟公たちも穆穆たる天子もいないのでは、いくら雍など執り行っても何の意味もない、一番大切なのは、「相維辟公。天子穆穆。」と歌う場所にはそのとおりの実質がともなっていなければならない、ということなのです。


 わたしのような適当人間は、スローガンを立ててから現実をそれにあわせていくという順番があってもいいと思いますし、そういう方法に惹かれることもあります。「立場が人をつくる」ですが、孔子はそれをもって不遜としたわけですね。


 そもそも、結局実力がともなわないのに雍をおこなうということは、結局雍の内容も理解してはいないのだとされてもしかたないのでしょう。「詩経読みの詩経知らず」というのは、確かに孔子が激怒するに十分の理由です。


 教科書的な中国歴史のまとめですと「春秋時代は諸邦が争ったがまだ王室への尊敬が残っており、戦国時代は下克上」などと言っていますが、もちろん細かく見ていけば不遜の芽はあちこちに内包されていたのでしょうね。こうした故事からもそれがわかります。一方で、権勢を誇るのに周王の礼楽を模倣する辺りが、王室への歪んだ尊敬であるとすればそうもいえるのかもしれません。