蜀犬 日に吠ゆ

2009-04-20

[][][][]八佾第三を読む(その5) 20:48 はてなブックマーク - 八佾第三を読む(その5) - 蜀犬 日に吠ゆ


夷狄だも君あり

 八佾第三(41~66)

45 子曰。夷狄之有君。不如諸夏之亡也。 

(訓)子曰く、夷狄だも君あり、諸夏の亡きが如くならず。

(新)子曰く、文化の未発達な夷狄の国にも主権が確立しているそうだ。かえって今は中国が無政府状態に陥っている。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 君子がいれば、九夷であってもむさ苦しいことはないのです。

曾て泰山を謂うこと

46 季氏旅於泰山。子謂冉有曰。女弗能救与。対曰。不能。子曰。嗚呼。曾謂泰山不如林放乎。

(訓)季氏、泰山に旅す。子、冉有(ぜんゆう)に謂いて曰く、女(なんじ)救う能わざるか。対(こた)えて曰く、能わず。子曰く、嗚呼、(曾(すな)わち泰山は林放に如かずと謂えるか。)曾て泰山を謂うこと、林放の如くならざりしか。

(新)魯の家老季氏が、魯公の真似をして泰山で旅の祭を行った。孔子が冉有に向って曰く、季氏の執事たる汝はこれを中止させることは出来ぬか。対えて曰く、できません。孔子曰く、ああ、お前も昔は泰山の礼について話しあうこと、林放と全く同一意見ではなかったか。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 普通に泰山不如林放の六字を続けて、泰山は林放に如かず、泰山の神は林放よりも軽い、と訓ずるが、泰山と孔子の弟子林放とを比較して軽重することは、なんと考えても釣合いがとれない。冉有も林放も孔子の弟子で、かつては気軽るに泰山を祭る霊のことなどを話しあったのを孔子が思い出し、林放を引合いに出して冉有を責めたと見る方が自然である。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 すまじきものは宮仕え。孔子の塾の中では高い位置にあり礼を語ることもできる冉有も、お給金のためとなれば言いたいことも言えないのです。孔子は、それではだめだと責めますが、夫子自身が結局言いたいことを言ったために疎まれて職を逐われたわけでして、困ったものです。


君子は争う所なし

47 子曰。君子無所争。必也射乎。揖譲而升。下而飲。其争也君子

(訓)子曰く、君子は争う所なし。必ずや射か。揖譲して升り、下りて飲む。其の争いや君子なり。

(新)子曰く、諸君は勝負事をせぬがよい。もしするならば弓術だ。場に上る時には丁寧に礼儀をつくし、終ってから敗けた方が酒を飲まされる。勝っても負けても公明正大な競争だ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 スポーツしようぜ、と。終わったら飲もうぜ、と。