蜀犬 日に吠ゆ

2009-05-06

[][][][]八佾第三を読む(その15) 19:22 はてなブックマーク - 八佾第三を読む(その15) - 蜀犬 日に吠ゆ

臣、君に事うるには

 八佾第三(41~66)

59 定公問。君使臣。臣事君。如之何。孔子対曰。君使臣以礼。臣事君以忠。

(訓)定公問う。君、臣を使い、臣、君に事うるには、之を如何(いかん)せん。孔子対(こた)えて曰く、君、臣を使うに礼を以てし、臣、君に事うるには忠を以てす。

(新)魯の定公が尋ねた、君主が臣下を使い、臣下が君主に仕えるには、どうするのがよいでしょうか。孔子が対えて曰く、君主が臣下を使う時には丁重に扱い、臣下が君主に仕えるには誠心をもってすることが大切です。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

関雎は楽しんで淫せず

 八佾第三(41~66)

60 子曰。関雎楽而不淫。哀而不傷。

(訓)子曰く、関雎は楽しんで淫せず、哀しんで傷(やぶ)らず。

(新)子曰く、詩経の関雎の章は夫婦和合の歌でるが、その教えるところは、楽しくても淫りに流れず、哀しんでもやけになるな、ということだ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 「関雎」は、詩経国風の周南筆頭の詩。第一句を引いてみます。

1 關雎(みやこどり)

1 關關雎鳩 kiu

 在河之洲 tjiu

 窈窕淑女

 君子好逑 giu


 關々たる雎鳩は

 河の洲に在り

 窈窕たる淑女は

 君子の好逑


 かうかうと みやこどり

 かはのなかすに

 たをやかの かのひとは

 よきひとのつま

白川静訳注『詩経国風』東洋文庫 平凡社

 歌の教えるところ、とは歌詞のことであるとも曲のことであるともいわれます。


哀公、社を宰我に問う

61 哀公問社於宰我。宰我対曰。夏后氏以松。殷人以柏。周人以栗。曰使民戦栗。子聞之曰。成事不説。遂事不諫。既往不咎。

(訓)哀公、社を宰我に問う。宰我、対えて曰く、夏后氏は松を以(もち)い、殷人(いんひと)は柏を以(もち)い、周人は栗を以う。民をして戦栗せしむるを曰うなり、と。子これを聞いて曰く、成事は説かず、遂事(すいじ)は諫めず、既往は咎めず。

(新)魯の哀公が土地神の社について尋ねた。宰我が対えて曰く、夏の時代には松を植え、殷の時代には柏を植えましたが、周の時代から栗を植えるようになりました。それは人民をして戦栗させるのが目的だとかいうことです。この話を聞いて孔子が言った。すんでしまったことは言いたてない。とりかえしのつかぬことは諫めない、昔のことは咎めない。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 語義としては、

(3)動植物の名称は、日本と中国とで内容が違うことがよくある。「柏」は日本では落葉するカシワであるが、中国では常緑樹のヒノキなどを言う。だから「松柏」と言うと、緑で一定し節操があることを表す(子罕篇

加地伸行『論語』講談社学術文庫

 戦慄のギャグに関しては

 社は土地神であるが、これを象徴するために神木を植え、それが時代とともに変遷したという。この社は時に人身御供を要求する恐るべき神であり、左伝、僖公十九年の条に、宋の襄公が鄫の君を犠牲に供して社を祀ったという記事がある。論語のこの所は下文から察すると、魯の哀公が社の祭に人身御供を用いた後、素知らぬ顔をして宰我に宰我に社の意味を尋ねたのであろう。そこで宰我は、周代以後、栗を神木とするのは、その音リツが示すように、人民を戦栗させるのが狙いだということです、と答えた。今も魯君はその目的どおり人民を戦栗させました。いやはや民間の受けた衝撃は譬えようもありませんでした、という意味である。それを聞いて孔子が心配した。遂事は諫めず。普通の場合ならこれはおかしい。既成事実を認めたばかりいては反省も前進もないはずだ。しかし孔子は宰我が深入りしすぎて危険な立場に立つことを恐れてこう言ったのであろう。同じような言葉を三回重ねたのは話の主題が並々ならぬ重大なものであることを示す。しかしそのままでは修身の教科書には不向きなので、訓詁学者が種々工夫したが、どれも成功していない。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 「戦栗」は宰我のおべんちゃらであって、典籍を踏まえたものではなかったのかもしれません。神々のありようさえも歪めて言辞を弄する宰我の姿に、晩年の孔子はなにか絶望のようなものを感じていたのではないでしょうか。

 遂事は諫めず、というのはたしかに過ちて改むるに憚ることなかれとは矛盾します。がしかし、重大であるならなお一層、きちんと説き、諫め、咎めるべきだったでしょうに。あるいはこっそりと叱って、その言葉は残っていないのかもしれません。


 本当は、さらっと人身御供を捧げる哀公のやり方こそ、諫める対象であったとするなら、この言葉はまた別の意味を持ちそうでもありますが、そういう解釈はとられないようですね。