蜀犬 日に吠ゆ

2009-05-24

[][][][]里仁第四を読む(その12) 16:59 はてなブックマーク - 里仁第四を読む(その12) - 蜀犬 日に吠ゆ

父母に事うるには

 里仁第四(67~92)

84 子曰。事父母幾諫。見志不従。又敬不違。労而不怨。

(訓)子曰く、父母に事うるには幾諫す。志の従わざるを見ては、また敬して違わず。労して怨みず。

(新)子曰く、父母に意見するには遠まわしに言うものだ。言うことが聞きいれられなくても、そっとしておいて反抗するな。そのためいやな用事ができても不服そうな顔をするな。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 親とけんかしてもしゃあない、というきわめて現実的な話。意見が異なることもあろうがまあ仲良くやりなさい、という意味でしょうね。


父母在せば、遠くに遊ばず

 里仁第四(67~92)

85 子曰。父母在。不遠遊。遊必有方。

(訓)子曰く、父母在(いま)せば、遠くに遊ばず。遊ぶには必ず方あり。

(新)子曰く、父母の存命中は、用もないのに遠出はしない。出歩く時にはいつも行先をつげる。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

この場合の遠遊も恐らく遊山に出かける位の意味で、大旅行の意味ではあるまい。だからもし用事があれば、どんなに遠くへ旅に出てもかまわない。民国初年の思想革命時期に、孔子思想の封建制が攻撃の的となり、父母在不遠遊では外国へ留学も出来ない、などと非難されたが、これは恐らくあまりに考えすぎたのであろう。現に孔子に従って諸国を彷徨(さまよ)った弟子たちの中には、なおその父母が在世中であった者もいたに違いない。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 という宮崎先生の解釈なので、「用もないのに」という部分が追加されるわけです。

 前章84につづくという意味では、「親に心配をかけるものではない」くらいの発言ではあると思います。


三年、父の道を改むるなきは

 里仁第四(67~92)

86 子曰。三年無改於父之道。可謂孝矣。

(訓)子曰く、三年、父の道を改むるなきは、孝と謂うべし。

(新)子曰く、(喪に服する)三年間は父が行ってきたレールを守って改めない。それができたら孝といってよい。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 これはちょっと封建主義の常識が現代に通用しない部分かもしれませんね。職業の世襲が普通だった時代には「父之道」を受け継ぐか、それを無視するのかが即物的な技術の話になったでしょうけれども、サラリーマン家庭の子がサラリーマンになっても、父と同じような仕事をするとは限らないわけで。

 いまは「生き様」とか「人生哲学」のようなものを受け継ぐ話になるのでしょうか。

 ちなみに、学而篇「三年無改」と内容はほぼ同じ。