蜀犬 日に吠ゆ

2009-05-28

[][][][]里仁第四を読む(その13) 21:40 はてなブックマーク - 里仁第四を読む(その13) - 蜀犬 日に吠ゆ

父母の年は

 里仁第四(67~92)

87 子曰。父母之年。不可不知也。一則以喜。一則以懼。

(訓)子曰く、父母の年は知らざるべからざるなり。一には以て喜び、一には以て懼(おそ)る。

(新)子曰く、父母の年はいつも念頭になければならぬ。一にはその長寿を喜び、一にはその老衰を懸念する。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 親と言わず家族の安否くらいは気遣えるのがまっとうな人間の仕業なのでしょうけれども、特に親の年は、「知らないではすまされない」ということです。「孝」を尽くすにも、相手の年齢なりの接し方というものがおそらくあるのでしょう。宮崎先生が老衰と解釈するように、親は衰え、子は盛んになります。そのときどきで善い関係を築くためにも、親の年齢は把握しておくべきなのでしょう。

 前近代の中国は普通に男尊女卑なのですが、孔子はこういうとき「父母」と並べます。現代の人権感覚からの評価をするのは見当違いもいいところなのですが、バランス感覚に好感が持てますよね。前章「父之道」やその前の「事父母」、「父母在」など、きちんと使い分けられています。


古は、之を言わんとして出ださず。

 里仁第四(67~92)

88 子曰。古者。言之不出。恥躬之不逮也。

(訓)子曰く、古は、之を言わんとして出ださず。躬(みずから)の逮(およ)ばざるを恥ずればなり。

(新)子曰く、古語に、之を言わんとして出ださず、とあるのは、実行が言葉に及ばぬことを恥ずるという意味だ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 君子は、まず行えの精神を貴びます。Do It Yourself。よいのかどうかはその行為の結果で批評されるのであって、言葉ではありません。

 理想論や書生論と言った言い方がありますが、世を憂い時代を嘆くとき、だったらどんな理想社会を夢みているのか、そしてそれはどうやって実現してゆくのか、ということが念頭にないまま言葉を紡いでも無駄なんですよね。


 私のような職種の業界でよく言われることばに、「某職業は評論家になってはいけない*1」というのがあります。要資格の職業なのでみなさん最低限度の知識教養は身につけているわけですが、その頭を、「責任者捜し」だの「部外者への非難」に使ってしまってはいけないのですよね。現場で、いい仕事をするためにはどうしたらいいのか、そのことにこそ頭は使うべきなのです。自然、(言葉でまかなう職業なのに)言葉はいらなくなるのです。


 しかし、孔子先生が嘆くのも無理はなくて、「おまえは所轄官庁の大臣なのか?」とか、「そういうことを、出世してから言えたら偉いのにねえ。」というようなタテマエ論をかましたくなるのですよ。そしてかまして自己嫌悪に陥る自分。本当、情けないものがあります。


 こういう気分の時って、酒量が増えるんですよねえ。ますます情けない。


約を以て之を失う

 里仁第四(67~92)

89 子曰。以約失之者鮮矣。

(訓)子曰く、約を以て之を失う者は鮮(すく)なし。

(新)子曰く、逆境におかれたために大失敗することは滅多にない。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 宮崎先生、なんの説明もありませんが、この解釈、日本語として意味がとりにくいですよ?


 金谷先生の解釈

 先生がいわれた、「つつましくしていて失敗するような人は、ほとんど無い。」

金谷治『論語』岩波文庫

 のほうが分かります。宮崎先生、なぜに「約」が「逆境」になるのでしょう。典拠もかいてほしかったです。


 加地先生も超訳気味。

 老先生の教え。貧困(約)ならば、それ以上、もう失うものはない。(根性がすわっておれば、あとは逆に上昇することとなる。)

加地伸行『論語』講談社学術文庫

 こちらはしかしまあ分からないでもないですね。「だから倹約しろよ」という教条的セリフよりも、「貧乏? 大チャンスじゃないか!」というような、「利を見ては義を思う」の逆で「不利を見ても義を思う」というか、「貧乏が怖いなら、正義など語るな」という反骨精神がいかにも孔夫子らしい。

*1:評論家を馬鹿にしているとかそういうのではありません。役割が違うのです。