蜀犬 日に吠ゆ

2009-05-30

[][][][]里仁第四を読む(その15) 21:02 はてなブックマーク - 里仁第四を読む(その15) - 蜀犬 日に吠ゆ

徳は孤ならず

 里仁第四(67~92)

91 子曰。徳不孤。必有鄰。

(訓)子曰く、徳は孤ならず、必ず鄰あり。

(新)子曰く、修養に心がければ、匿れてやっていても、必ず仲間ができてくる。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 意味は現代的に見ても明瞭なのですが、この言葉がいつのものであるかによって、意味あいは大きく変わりますよね。

 20代の、魯に仕官して委吏、乗田などであったころであれば、青雲の志で「徳と共にあり」という気概がうかがえる言葉になります。

 50代前半となり、大司寇となっていたころなら、「私の徳も、こうして魯公に認められたのだ。諸君も私を見習ってほしい」という、やな感じの言葉でしょう。

 50代後半からの流浪の頃であれば、「待つのだ。理解者はきっと現れる」という自分や弟子を励ます言葉のように聞こえます。

 70代、晩年。己の人生をふりかえってみて、多くの人びとに助けられたという感慨とともに弟子にこうした言葉を告げたという可能性が高いでしょうか。一以て之を貫いてきた孔子にとって、そうした隣人の存在が彼の生き方に自信をもたせてくれたことでしょう。


君に事えて数すれば

 里仁第四(67~92)

92 子游曰。事君数。斯辱矣。朋友数。斯疏矣。

(訓)子游曰く、君に事(つか)えて数(しばしば)すれば、斯(ここ)に辱められ、朋友に数すれば、斯に疏(うと)んぜらる。

(新)子游曰く、君に仕えてしつこくしすぎると、腹を立てられる。朋友に対してしつこくしすぎると、嫌われる。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 「数」を「事を急く」として「すぐになれなれしくすると」の意味にとるのが何晏の「集解」、「しばしば」で「しつこく」とする解釈は朱子の「集注」による、と加地先生のところに示してあります。なにごとも、程度問題。